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オタクは差別されているのか

これはオタク差別だ。

ネット上にはそういった声(書き込み)もよく見かける。
あるオタク曰く、オタクは差別されているらしい。
私もオタクであることを自認するが、その真偽については懐疑的である。
この記事ではオタク差別について考察したい。

オタクとは

1980年代、日本のサブカルチャー好き同士が互いに「お宅」と呼んだことが語源とされる。
1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発覚した。信憑性は不明であるが、その事件と関連して、コミックマーケットに集う人々を「10万人の(事件犯人名)がいます」とマスコミが報道したそうだ。
この事のように、オタクは変質者、性犯罪者的扱いを受けてきたとする見方が強い。

また、オタク評論家の岡田斗司夫氏曰く、

オタクとは一般に「子供向け」とされる文化(アニメ・SF・ミリタリー・まんが・鉄道・ゲームなど)を「自分はそれが好きだから」と敢えて自ら選択し、世間の批判の目を「意志と知性」で乗り越えていく存在。

としている。だがその岡田氏も2006年頃には「オタクはすでに死んだ」(そのようなオタクはもういない)と評している。だがオタクという言葉は今尚生き続けており、オタクとされるものの意味は変容していると考える。
この記事ではオタクとは、(前述の)子供向けとされる文化の愛好家とする。

インターネットの発達とオタク

オタクと、インターネットの発達は切り離せられないであろう。
インターネットの黎明期、インターネットは所謂オタクが中心にいたように考える。
そのため、その後オタク以外の層にもインターネットの利用が広がると、そういった層にもオタク文化が広く認知されるようになったと考える。それでオタク文化に対する偏見やハードルは小さくなり、所謂アニメ絵が巷でよく見られるように市民権を得たように思える。また子供向けの文化としながらも、オタクでない層の大人もアニメ絵などにはばかりを持たない人が増えていると考える。

同時にインターネットの発展は、どの分野においても言えることだが、コミュニティにおける空間的障壁を緩和したと考える。要はより多くのオタク同士がコミュニティを形成しやすくなり、事実2chなど巨大なオタク集団が新たに登場したと考える。
またオタク文化が市民権を得たことも相まって、オタクは自身が世間に認められたと考えるようになったと思われる。

だがここで注意したいのが、オタク文化は市民権を得たといえるが、その愛好家に過ぎないオタクは現状も市民権を得たとは言い難いということである。
これだけではないが、オタクはオタク文化とオタクを意識的無意識的関わらず混同しているきらいがある。オタク文化の否定をオタクの否定と考えたり、オタクの否定をオタク文化の否定としたりもその混同によるものと考える。

加えて、オタクのコミュニティは、ネットコミュニティの多くで言えることだが、一見外に開けており頭数があるから多様な価値観があるようで、閉鎖的で考えや意見がより先鋭化しやすいという特徴がある。

これらのことから、オタクは、自身らが世間一般に認められていると誤解しているが、実際は価値観が世間と解離していると考える。

そのため、オタクは自信をもってオタクコミュニティでは認められている言動を世間の目が見える外のコミュニティでも行うが、それが余りに世間との価値観と解離しているためにバッシングを受けるのではないか。

このことが如実に出たのが、最近では、詳細は省くが、ごちうさリプトン炎上騒動であろう。

被害者意識と特権階級

このような社会性の欠如と共に、オタクの特徴として、被害者意識が強いという印象がある。
これは岡田氏のオタクの定義やまたは1980年代からの変質者扱いなどからも言えるように、オタク自身はオタクは批判を受ける存在であるという認識から被害者意識が強いと考える。オタクが批判されると、無実の自分は批判される謂れはないと怒り出す人もいた。
また実生活、実社会において、学校でイジメをする側はオタクが少なく、イジメを受ける側はオタクが多いように思う。
このようにオタクはオタク自身を被害者だと考えているような印象を受ける。

同様にして、オタク意識が強い人ほど、オタクとオタク以外を強く区別しているように思える。それは被害者という立場を特別に思ったり、またかつてのオタクが知性を備えていたこと、インターネット発達に寄与したりしたこと、市民権を得たサブカルチャーの造詣が深いことなどから起因する。

自身を特権階級だと思っている節もある。

それ故に、被害者だからと、他の弱者に寄り添うといったことは少なく、むしろハンブラビ法典ならぬ、やられたことをやり返そうとする、攻撃しても許されると勘違いしている人が多いように思える。これは頭数だけはあるように思えることから多数の支持があり自身に正当性があると勘違いすることで増長している節もある。
しかも前述の通り、価値観が解離しているため、世間から反発を受けやすく、かつオタク自身は妥当な行動だと思っているため、そこに大きな齟齬が生じているのではないかと考える。

結語

結局、オタク文化は市民権を得ているが、オタクは市民権を得ていない。
多数の支持を得ていると勘違いしているが、世間と価値観が大きくずれている。
そして、オタクの強い被害者意識と攻撃性。

これらのことからオタクは批判されているのではないかと考える。
当然不当な言いがかりも中にはあるように思うが、それらも自身らの行動が招いた身から出た錆のように思う。

これ以上攻撃を受けたくないのであれば、反社会的な行動をしたオタクがいればちゃんと批判し自浄する、そのためにもオタクコミュニティから出て多様な価値観に触れ、少しでも世間の価値観とのずれを是正することが必要と考える。

私もオタクである。
少しでもオタクが快適に過ごせればと思い苦言を呈した。どうか届いて欲しい。

長文を読んで頂き本当にありがとうございました。
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