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道がおぼえていること ── 朝吹真理子

街にはそれぞれそこにしかない時が流れ、いまこの瞬間も道々に記憶が堆積し続けています。その地層となった"気配"を掘り起こすことで浮かび上がる、あの街の意外な歴史 ──。芥川賞作家、朝吹真理子さんにとって馴染みの深い表参道界隈をそぞろ歩く、書き下ろしエッセイをお届けします。「まちを読む」をテーマに、多様な視点を持つゲストを招いてお届けするデジタルZINE「まちのテクスチャー」シリーズ第8回。

ArtWorks by Otama

 じぶんは忘れていても、道のほうが覚えていてくれることがたくさんある。通っていた小学校の手前の歩道橋をひさしぶりに登ったとき、十歳ごろの歩幅を急に思い出したことがあった。体の感覚と同時に地下鉄の排気口から吹いてくるなまあたたかいにおいを、大きな獣のため息のように思って嗅いでいたのも思い出す。歩道橋が残っていなかったら永遠に忘れていたかもしれない。
 道に流れている時間は、歴史を辿ったり、地質をたしかめるときは、玉ねぎの薄皮のように、順を追って、層状に重なっているものだけれど、歩いているときに道から感じる時間は層状になってはいないような気がする。

 歴史上の事件や人物が住んだところは、跡地として名前がついたり碑が残ったりして、たどりやすいけれど、そうではない人々のほうが多く、動物たちの歩いた時間などはまったくわからない。消えてしまうのではなくて、道だけがすべてを吸い上げて覚えているのかもしれない。地名や区画がころころ変わると思い出せることも少なくなるから、なるべく残ってほしい。
 むかしから、かつて生きていた、名前もわからないひとたちの気配を感じて生きていたいと思っている。青山通りからキャットストリートにかけてのゆるやかな坂一帯が、江戸時代は茶畑だと知ったとき、霧がかった朝に、茶を摘んでいるひとたちの仕事姿を、一度も見たことないのに、思い出すように歩くようになった。いまはキャットストリートの下に暗渠化された隠田川も、縄文時代から流れていて、その水源の周辺に集落があって、地中を深く掘ると、かつて生きていた人の痕跡が見つかる。キャットストリートのそばのハンバーガー屋にむかうとき、ふいに、この道がまだ川だったころのことを、思い出す。近所で遊んでいた女の子二人が、遠くからおくるみすがたの死んだ赤ちゃんが流れてくるのをみた。くちべらしもあったし、子供のうちに命を落とすことがたくさんあったから、それほど驚かず、赤んぼうよね、と言いながら見ただけだったと、いま九十代の道子さんが教えてくださった。川はいろんなものを流すけれど、ときには死体も流れてくる。時間を知ると、道が全く違ったようにみえる。いま歩いているアスファルトの道に亀裂が入って、樹が生えて、土埃のにおいがして、獣が走り、水が氾濫してやってくる。

 この数年、住んでいる場所が近くなこともあって、表参道を歩くことがふえた。表参道という土地に、興味がわいていることを歴史学者の磯田道史さんに話すと、表参道交差点の本屋「山陽堂」を紹介してくださった。「山陽堂」は明治時代からつづく本屋で、六代目ご主人の遠山さんは、ライフワークとして、戦争の聞き取りをしている。稀にだけれど、私もその聞き取りにお邪魔している。1945年5月24日の真夜中に表参道一帯が燃えた。一度そのことを知ると、いまの道の上にもその時間が浮かび上がってみえる。表参道にも空襲があった。当時珍しかった鉄筋コンクリートの建物だった「山陽堂」に逃げ込むことができた人たちは、ぎゅうぎゅう詰めの身動き取れないなか、夜通し、水を屋内の窓に掛け合って、火災をしのいで生き延びた。生き延びた人がいる一方で、中に入れなかった人が、あたりに重なり合うように外に倒れていた。遠山さんは戦後生まれなのだけれど、話していると、空襲の夜のことをいろんな方から聞いているのか、語りが体の中に入っていて、切迫した声で話してくださる。
 空襲を体験したおばあさまの話で忘れられない言葉がある。空襲の翌朝、あたりが焼夷弾で燃えて、建物が軒並み倒壊して、人間なのかわからないくらいに炭化している大きな何かが転がっているなか、どこかの家の、床か浴室のタイルだけが、きらきらと燃え残っていた。その、きれいな色をして残っているのに見惚れて、おおきくなったらタイルで家を建てたい、と思ったそうだ。ちいさな女の子が、家の周囲が全部燃えているなかで、大人になった姿を空想していることに驚いた。明るい声に、かえって、タイルしか残らなかったくらいに燃えていたという悲惨な記憶も梱包されているような気がする。空想の力でじぶんを守っていたのかもしれない。表参道を歩くとき、タイルの貼られたお店をみたりすると、その声がよぎってふしぎな気持ちになる。
 大規模な空襲だったのに、いまの表参道がとても華やかだから、そんな時間があったことを、つい忘れてしまう。空襲のとき燃え残ったけやきが、表参道ヒルズのそばにある。一見すると、戦後に移植した木とそこまでかわらない幹の太さだけれど、ときどきその古い木のすがたがみたくて夜の散歩をしたりする。進駐軍のみやげものやが参道に並び、彼らの口にあうものが買えるように輸入食品店がひらかれて、お洋服の街になっていった。明治天皇が御幸するためにひらかれたみゆき通りには、いまはたくさんのファッションブランドが並んでいる。
 空襲の記憶が目に見えるのは、青山通りの灯籠の角が焼夷弾があたって砕けているところと、そばにひっそり建っている空襲の碑だけだ。すでに空襲を知っている人でも気付きにくいささやかさで建っている。道の時間を忘れないでいる、ことの難しさを感じる。人はすぐ忘れて、道だけが覚えている。

朝吹真理子|Mariko Asabuki
作家
2009年、「流跡」を『新潮』に発表し、作家としてデビュー。10年、同作で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。11年、「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。著書に『流跡』『きことわ』『TIMELESS』〈すべて新潮社〉のほか、エッセイ集『抽斗のなかの海』〈中央公論新社〉、『だいちょうことばめぐり』〈河出書房新社〉がある。

※本作品は2025年5月16日までの掲載となります。

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主催&ディレクション
NTT都市開発株式会社
井上 学、權田国大、吉川圭司(デザイン戦略室)
梶谷萌里(都市建築デザイン部)
 
企画&ディレクション&グラフィックデザイン
渡邉康太郎、村越 淳、江夏輝重、矢野太章(Takram)

コントリビューション
深沢慶太(フリー編集者)