見出し画像

「まえがき」公開 「地道に取り組むイノベーション」


共著者の賛同および編集者のご好意によりまして「地道に取り組むイノベーション ――人類学者と制度経済学者のみた現場」の「まえがき」を全文公開いたします。
2020年9月18日(金)、ちょうど今ごろは印刷製本されようとしている時分のはず…。
みなさま、お手元に届くまでもう少々お待ちくださいませ。
(渡辺)


まえがき


 この本を手に取るのはどんな方々だろうか。もしかするとあなたは企業で新事業を任されたリーダーかもしれないし,経営コンサルタントやデザイン・ファームの人かもしれない。あるいは,これから働くことを考え始めた人文社会科学系の大学生や院生かもしれない。もちろん,マーケティングや人類学や経済学,組織論などの研究者も多くいるだろう。

 本書『地道に取り組むイノベーション――人類学者と制度経済学者がみた現場』は,多様な関心の読者によってさまざまな入り口から読まれることを想定している。そのことは,著者らの立場・専門の多様さと直接つながっている。本書は,マーケティングの実務家,人類学者,そして制度経済学者という,学術における通常の共同研究ではまず一緒になることのないであろう 3 名が協力し合いながら執筆した本である。したがって,読者が上記三つの分野にそれぞれ等しく関心をもっていることもまた,ほぼありえないことだろう。

 本書は間口を広くとりながら,しかし同時に,読者がどの分野への関心から入ったとしても読み進めるうちに日頃ふれることのない他の・未知の専門領域の視点にもおもしろみを感じてもらえるように工夫して編んだつもりである。とはいえ,何の予備知識もなく読み始めると,著者間の執筆スタイルの違いに困惑するかもしれない。そこで,最低限の導入として,本書がどのように書かれたのかについて 3 点ほど述べておく。

 一つめは,著者らの関心についてである。私たちは「今日のイノベーションの現場では何がなされているのか」という関心から出発して本書を書き始めており,これが本書のテーマになっている。

 二つめは,研究対象についてである。本書では,3 名の著者がいずれも「UCI  Lab.(ユーシーアイラボ)」という,商品・サービスの企画づくりにクライアント企業のエージェントとして伴走する小さな組織について深く掘り下げている。つまり,本書は世の中のイノベーションの成功事例を広く取材し,比較・整理したものではない。私たちはむしろ UCI Lab. のみに焦点を絞ることによって,イノベーションの内容や成果ではなくイノベーションに関わる実践とその背景を丹念に論じたいと考えている。

 三つめは,著者ごとに異なるアプローチを用いたことである。著者 3 名はそれぞれ異なる背景と専門をもっており,同じ UCI Lab. という研究対象を論じていても,各々の考察する視点や距離感がまるで違う。それぞれの立ち位置や執筆に至る経緯については序章で詳しく述べることにするが,3 名の視点の多様性によって UCI Lab. の実践を立体的に(そしてできるかぎり中立的に),さらにはイノベーションに直接関係する実践の周囲で起きている組織内外での出来事を含めてこれまでにないかたちで描き出したいという野心をもっている。執筆の過程でお互いの立場・専門の違いを参照しあうことは各著者が自らの視点の個別性について深く内省する機会にもなり,最終的に著者ごと(第 1 部,第 2 部,第 3 部それぞれ)の結論は,UCI Lab. についての考察だけではなく,各著者自らの思想的立場を表明する場にもなっている。

 ここで,イノベーションを扱った従来の研究書やビジネス書と比べたときの本書の特色(異質な点)を述べておきたい。それは,従来の多くの書籍のように新しい概念,フレームワーク,方法などを示してイノベーションを実現させる確率を高めることを目指してはいない点である。本書で詳しくみていくように,UCI Lab. は,イノベーションすなわち新しいユーザー価値の社会的実装という到達目標に向けて,プロジェクトごとの状況に個別に向きあい,その度に判断と選択をおこなって,その過程で多くの人びとと協働している。このような営みをチャートや相関図のように細かく図示して視覚的に理解してもらおうとするのではなく,極端な抽象化をできるだけ避けながら実践の現場でなされていることを可能な限り詳細に記述し,それを基盤に考えを深めていくことが本書のやり方である。

 イノベーションという言葉の響きからは,斬新で綿密な事業計画,カラフルなオフィスや活発なブレイン・ストーミング,何かが降りてくるような気づきの瞬間といった華やかで知的な印象がつきまとう。しかし,実際の現場でなされていることは,その都度訪れる新たな局面に対して,立ち止まって静かに思索し,ねばり強く対話を続ける地道な営みではないだろうか。本書では,そういった決して洗練されてはいない側面にこそ光を当ててみたい。

 さらにいうと本書は,読者が本論を読み進めていくなかで,著者間のアプローチや執筆スタイルの違いについてもよい意味で驚いたりおもしろく感じてもらえることを期待している。それは,私たちが本書の研究会で味わった,興味深く得がたい感覚を追体験してもらいたい,ということである。そして,本書全体をとおして自らの専門分野を越境しながら物事の理解を深めることの醍醐味を感じ取っていただければ幸いである。

渡辺隆史・比嘉夏子・北川亘太


Amazonページはこちら

「ナカニシヤ出版」の紹介ページはこちら

本書の概要についてはこちらのnoteを「出版のお知らせ」

スクリーンショット 2020-09-18 8.47.38

スクリーンショット 2020-09-18 8.47.27

「地道に取り組むイノベーション」著者略歴

渡辺隆史(わたなべ たかし)
1977年生まれ。UCI Lab.所長,経営修士(専門職)。学部で国際関係学を専攻し学際的なものの見方を学ぶ。株式会社ヤラカス舘(現 株式会社 YRK and)へ入社し,消費財のプロモーション企画や調査を手掛ける。また社会人学生として立命館大学大学院経営管理研究科経営管理専攻(専門職大学院)で得た研究的な思考態度は現在にも大きな影響を与えている。UCI Lab.設立後は,ユーザーの生活と企業の技術,ビジネスと学術的知見といった相反しがちな事柄を対話的に統合していくような実践を追求している。
比嘉夏子(ひが なつこ)
1979年生まれ。北陸先端科学技術大学院大学知識科学系助教,博士(人間・環境学)。学部時代から文化人類学を学び,オセアニア島嶼社会の経済実践や日常的相互行為について継続的なフィールドワークを行う。並行して企業等の各種リサーチや共同研究にも携わり,人類学的な調査手法と認識のプロセスを多様な現場に取り込むことで,よりきめ細かな他者理解の方法を模索し,多くの人々に拓かれた社会の実現を実践的に目指す。
北川亘太(きたがわ こうた)
1986年生まれ。関西大学経済学部准教授,博士(経済学)。国家公務員として二年間働いた後,京都大学大学院経済学研究科博士課程に入学し,制度経済学の理論や調査方法を研究する。それと並行して,学んだ調査方法を自分なりに応用しながらドイツ労働組合やコンサルティング・チーム(UCI Lab.)の現地調査を実施し,現場での出来事を,制度経済学が提示するマクロ経済の趨勢と関連づけて解釈する研究を続けてきた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?