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猫に哲学。

幼い頃、家に猫がいた。
それも数匹。
三毛猫がいたのを微かに覚えている。
飼ってはいけない家だったはずなので、勝手に居ついていただけだと思う。
そんな時代だ。

猫のそばで泣いている写真があった。
猫をいじっていたら、猫が引っ掻いたと母から聞いた。
うん、それもなんとなーく覚えているんだ。
実は、ちょっと猫が怖いのはそのせいだと思う。
いや、でも、怖いといってもほんのちょっとだけよ。
…加藤茶か。

猫を飼っている女性の家に上げてもらうと、
猫がまとわりついてきて、
「この子が人に懐くなんてめずらしい」なんて驚かれるのは、
一度や二度じゃない。
その理由はわかっている。
平静を装っている私を、猫は見抜いているのだ。
同等またはそれ以下であると瞬時に。
「本気出したら、俺の方が勝つんだぞ」と心の中でつぶやいていた。
とはいえ、そのおかげで飼い主の女性に対しては、
「わるい人じゃない」という関門は軽く突破し、心の距離は縮められた。

猫の世界は猫の世界でいろいろと大変なのだろうが、
人間から見ると、自由気ままで、身軽で、それでいて愛される。
猫は猫のままで愛される。
猫はがまんしない(たぶん)。
猫はやりたいことをやる。
猫は過去を振り返らない。
猫は未来を心配しない。
猫にはいましかない。
猫は来るもの拒まずでもない。
拒むときは拒むが、去るものは追わない。
それでも猫は愛される。
ありのままで生きいているから愛される。

ありのままに生きるって勇気いるよなー。
でもそれって、過去や未来に縛られているからではないか。
あれ?「いまここを生きる」ってそゆこと?

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