見出し画像

小1息子はちょっと珍しい不登校らしい

「息子君のような不登校は珍しいんです」

先日の懇談での先生の言葉だ。

我が家の小学1年生の長男はADHDと自閉スペクトラム症(以前の診断基準で言うアスペルガー症候群)の診断を持ち、特別支援学級に所属している。彼は昨年10月から不登校を選びいつも自宅にいる。かっこよく言うとホームスクーリング中だ。

だが本好きの彼は週に1度、図書の授業だけ学校に通う。当初は図書のみだったが、最近では昼食をみんなと一緒に食べると言い、週1の登校日はお弁当を自分で手作りして通う。(あ、もちろん私が手伝っている。給食は止めているのでお弁当)図書には必ず参加するが、昼食は学校で食べる日もあれば、やっぱり食べないと言い、帰りに公園でピクニックにする日もあったり、とても自由に学校と繋がっている。

「不登校の子で、こんなに毎週欠かさず、その上ニコニコと笑顔で学校へ来る子は珍しくて。帰るときもまた来週ね!なんて笑って帰っていく。こんな経験、私は初めてなんです」

冒頭の言葉の続きだ。先生と私の間に何とも言えない空気が漂う。でもそれは不快なものではなく、何か未知のものと出会いワクワクとドキドキが混ざったような不思議な空気感。おかげで少し私の肩の力が抜ける。

この日は来年度についての相談をする懇談だった。来年度の方針と物品購入の相談だ。先生は続ける。

「スクールカウンセラーの先生は、今の息子君の様子を見てもうじき通うようになるかもとおっしゃるのですが・・・私は・・・」

『来ないんじゃないかなって思うんです』

『行かないでしょうね~』

先生と私の声がかぶる。お互い顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。

平成29年に、不登校に関する文科省の指針が変わり「学校へ登校する」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要があること。と位置付けられた。(文部科学省 不登校児童生徒への支援のあり方について 参照)

息子の不登校がはじまってから、一貫して学校から登校指導のようなものは受けておらず、本人と私の思いを尊重してもらっている。

表面上は。

特別支援学級の息子には担任と副担任、かかわりの深い先生が2人いる。それぞれ、息子の不登校に対する立ち位置や受け止め方の違いは、言葉の端々、目線、声掛けの言葉選びなどを見ることで感じることもあった。

誰も「学校へ来い」と直接言いはしない。それでもやはり、来てほしいという熱い思いを感じることもある。更にその思いも先生によって微妙に色が違う。先生と言えど人間だ、個々の信念や価値観が違うのは当たり前のことだろう。先生たちも、私もそれぞれの立場で息子を大切に思っている。だがこればっかりは正解のない問いだから、お互い探り探り、彼にかかわる大人達(私も含め)はどこか足並みがそろっておらず、不協和音を奏でているようだった。

そんな我々大人を息子は思いきり翻弄してくれた。大人の選んだ言葉の端に、彼にとって好ましくないにおいを感じ取れば、敏感に反応し、あからさまに警戒する。逆に彼にとって好ましいにおいをかぎ取れば、安心して懐いていく。彼の反応を受け止めながら、大人たちは「彼にとってのちょうどいい」を学んでいく。一体しつけられているのは大人と子どもどちらだろう。

そして5か月間彼の背中を追い続けた我々大人は、今、ニコニコと楽しそうに過ごす彼の姿に、「コレでいい、コレもあり」と、心から素直に思える瞬間を時に共有し、笑えるようになった。この形を「仕方ないから」ではなく、「コレで良い」と思って受け入れてもらえているように感じ、私は少し安堵する。「息子くん、やっぱり君はすごいよ」心の中でそう呟く。

懇談では来年度の物品購入の話もした。

「連絡帳、いらんね!」「漢字ドリルは欲しいかな~」「でも漢字ノートはいらないよね」「いらない、いらない!1年生のでさえ手つかずだし」「嫌いだよね~書字」「あ!でも最近枠に収まるようになったよね!」「そうそう驚いた!」

先生2人と親1人が1人の子どものことを考えながら話をする。笑いながら話をする。ただそれが嬉しくて。目頭が熱くなり、喉の奥にこみ上げてきたものを慌ててごくんと飲み込んだ

帰り道、私の足取りは軽かった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。いただいたサポートは子どもたちとのおいしいおやつに使わせていただきます♪