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ハートネットTV「“浮きこぼれ”の子どもたち」を見て思い出したこと。

小2の息子はここ1年ほど不登校を選択中だ。始まりは昨年の秋ごろで、はじめてから2か月経った頃。突然、図工の授業を受けたいと言ったことがある。ちょうど、真新しい絵の具セットが届いた頃だったから、使ってみたかったのかもしれない。

息子は特別支援学級に所属している。先生と相談の上、1対1で授業を受けられる時間に母子同伴で登校した。机の上には真っ白なパレットに、カラフルな新品の水彩絵の具。息子はきらきらした目でそれを見ている。
私も絵を描くからわかる。新しい絵具のふたを開けて、軽く握るだけで絵の具がパレットにたくさん出てしまうドキドキ。水で溶いて、どんな色だろうと画用紙に落とすあのワクワク。色を混ぜて、こんな色になるんだ!っていう驚き。

息子は昔から人前で絵を描くことがあまり好きではない。園児時代も、よく絵を描くことを拒否して逃げ出していたものだ。だから、そんな彼が絵の具を使いたいと。学校で使い方を習いたいと言ったことが私は少し嬉しかった。

授業が始まると、先生はこう言った。
今日は絵の具セットの使い方を説明します。早く終わったら1色だけ使えるかもしれないからがんばろうね。

絵の具が使いたくてうずうずしている息子がそこにいるのに。今日は絵の具の一番楽しいとこはできないんだなと。確かに使い方は大切だけど。やっとの思いで2か月ぶりに授業に出てるのに・・・正直なところ、私は少し落胆した。

息子はそれを聞いて、えー!って不満を口にして、少し反抗的な態度になる。それでも離席はせずなんとか指示に従う。
先生は絵の具セットの中身を説明して、パレット、水入れ、筆、画用紙、ぞうきんの机上の配置を説明する。黒板にその絵を描いて、その通りに置けるかチェック。それから水入れに話が移る。ものさしを出してきて、水を何センチまで入れるか測らせて印をマジックで入れさせて、水を線ぴったりになるまで注がせる。多すぎたらやりなおし。お次は水入れの使い方の説明。筆を洗うのはここ、最初にすすぐのはここ、すこしきれいになったらここ、汚れていないきれいな筆で、そのやり方を何度か練習させてできるかどうかチェック。
「なんでこんなことしなきゃいけないの?絵の具やりたいのに!」
息子はごねる。

ええい、ごねずに黙って従えば少しは絵の具使えるよ!そんなことを思ったり、これ別に今日じゃなくてもいいんじゃないかな、また来るかどうかさえわからないのに・・・なんてことも思いながら私は息子を見守る。

残り時間10分のところでようやく説明が終わり、1色だけ絵の具を使う許可が出た。息子は青い絵の具をパレットに出して水で溶いて画用紙に塗る。
先生は教科書通り、濃度でグラデーションを作らせようとするが息子は単色のグラデーションより、カラフルな色合いを好むし、小さなころから1色は寂しいからいろんな色があることが大切という色に対するこだわりが強い子だ。当然、他の色も出したいとごねるけど却下。結果先生の指示には従わなくなってしまう。つまらなそうに青い色を塗っていたが、先生の目を盗んで、赤色を出して紫を作って遊んでいた。大したやつだなぁなんて思ったりした。

先生がふいに、私のそばに来て話す。
「使い方の授業は退屈なんだけどね、図工は交流学級だから、やっておかないと絵の具の交流での授業に出られないから・・・。支援級はその辺りは交流のやり方に従うんです」
ああ、そうなんだなと。特別支援学級と交流級、微妙な住みわけのような、決まりみたいなものがあるんだなと知る。この場合は交流級を立てなきゃいけないんだな。だって、このやり方は子どもにフォーカスして考えるいつもの特別支援学級のやり方じゃないもの。
更に先生は続ける。

「水入れもね、入れすぎてまわりが濡れたり。授業中に水入れの水が汚くなって、複数の子が水換えたくなったり、一斉に水入れに水入れたりすると、水道の数が少ないし、床もびちゃびちゃになるから担任の先生は困るんですよね」

それならこうやりなさい!って決まりきった指示じゃなくて。こういうことが起こると困るんだけど、何かいい方法ないかな?って子ども自身に理由を伝えて考えてもらう方がずっと身につくのにな。いろんなアイデアが出て、イレギュラーなシーンでも応用きくようになるのに。なんて言ってみようかと思ったけど、言っても仕方ないかと思い直して話をきく。

「でも、こうやって教えても、毎年画材の配置や絵の具の使い方は担任の先生によって変わっちゃうから、来年度はまた違う使い方を教えないといけないんですよね」
そう言って先生は苦笑いを浮かべた。

なんだか私はすごくがっかりしてしまった。ああ、そうか。そんなことのために、今日の息子の貴重な時間は使われたのかと思ってしまった。先生が困らずに、円滑に授業を進めるために、今日の息子の時間は使われたのか。やっと先生とのつながりを求めたのに、大人が楽をするために息子のせっかくの好奇心はつぶれてしまったよ。

きっと息子はもう絵の具の授業には行かない。だって全然楽しくない。
きっと家に帰っても絵の具を使いたがることはないだろう。とうぶん絵を描くことに興味は持たないだろう。せっかくのチャンスだったのに。滅多に来ないチャンスだったのに。
もったいないなぁ・・。悔しいなぁ・・・。
そう思った。

ふと、自分の小学校の時の出来事を思い出した。私は3年生の時、モンシロチョウの飼育係だった。アオムシは面白くて夢中になった。一生懸命大切に育てているのに、さなぎ間近に育つとなぜか死んでしまうアオムシ。そして飼育ケースのふたには黄色い繭がついている。そう、寄生バチだ。でもそんなこと当時の私は知らなくて、どうして死んでしまうのか知りたくて、先生に聞きに行った。だけど知りませんって言われてしまい、先生なのに知らないんですか?って何気なく言葉を発したら先生にむかって失礼だ!と、目を吊り上げて怒鳴られた。
帰り道、悔しくて、悲しくて。ただ知りたいだけだったのに答えてもらえなくて。先生なんて大したことないんだ!なんて子ども心に思ったそのことを、なんだか思い出して。

ああ、そうだ。これが学校だったなぁ。って
そうも思った。

帰り道「楽しくなかった」と息子は言った。
「そっか」と私は答えた。
「なんであんなことしなきゃいけないの?」息子は聞いた
「先生がさ、たくさんの子どもが居るから、みんなが同じことして、決まりを守ってくれないと授業が遅れて困るんだって」
私は正直に答えた。
「ふぅん」
「家では自由に描いたらいいよ。道具は何度も使っていくうちに、自分が一番やりやすい配置とか、自然と落ち着いていくものだから。それでいいよ」
混乱させるかもしれないと思ったけど、そう言わずにはいられなかった。
この日、どうにも悲しくて。私は帰って少し泣いた。

あれから1年。絵の具セットは一度も使われることなく今もピカピカのままだ。

私は息子に学校に行ってほしいとは思ってない。学校や先生を責める気もない。この日の出来事も、ただ私が一人勝手に悲しかっただけで、それは私の主観に過ぎない。今の学校の仕組みの中でできる範囲のことはしてもらっていると思う。
ただ、母子同伴で学校に行って学校内の様子を見聞きしていると、色んな矛盾に気付いてしまう。子どもの集団と、数少ない大人というカタマリゆえの、違和感のようなものを感じてしまう時がある。変わるといいなと思うこともあるけれど、変わっても息子は行かないなとも思うから。息子のためには、おいしいとこだけうまく利用していくのがいいのだろう。

ただ、教育とはいったいなんだろうと。そんなことをよく考える。
子どもに日々接する者として、思考停止することなく私なりに考え続けていたいと強く思っている。

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