32. CODA
宿のすぐ近くには学童保育所のようなところがあり、時々お邪魔しては子どもたちと遊んだり、勉強を教えた。
この日はお祭りの日で、子どもたちは民族衣装を着て、踊ったりカラオケを歌ったりとはしゃいでいた。
マチュピチュに行くのと同じくらい、こういう時間が好きだ。
@ペルー、クスコ
僕はAmazon Primeの会員なので、時々Prime videoで映画を見る。
つい先日観たのは、CODAという映画。
*CODA公式サイト
映画の内容には詳しくは触れないけど、どうしようもなさや心の葛藤が色濃く描かれた中に、下らないユーモアが散りばめられた、とても響く映画だった。
漁師一家の娘で、歌が大好きな高校生が主人公。
一方で、彼女以外の両親と兄は聾者であり、耳が聞こえない。
唯一耳が聞こえる彼女は、仕事の面でも一家の頼りにされている。
彼女も一家の仕事を支えているけど、でも実家を離れて音楽大学に進みたいと思っている。
一家は裕福ではない上に、娘がいなくなってしまっては今まで通りの仕事ができなくなってしまう。
それがわかっているから、彼女は音楽大学に進むことを素直に望むことができない。
物事の大小や色や形はそれぞれ異なるだろうけど、そんな”これまで通りの安定”を求めて、自分の”響き”に向き合えていないという人は少なくないんじゃないだろうか。
変化は怖いし、今まで頼りにしていたものがなくなってしまったら、とても不安になる。それは誰だってそうだと思う。
余裕があり前向きな人であれば、「じゃあどうするか」を考えて、プランBを作り、それから小さく始めて手応えを確かめながら方向修正していくだろう。
これは、今正しいと言われている一つの正解の形だとも思う。
だけど、この映画を観て感じたのは、手放せないと強く思い込んでしまっていることを捨てて、もっと不確かな未来を選んだ先には素晴らしい何かがあるのかもしれない、ということ。(もちろんリスクもあるだろうし、うまくいかないケースもあるだろうけど)
人生どうなるかわからないから、自分の響きを抑え込みながら”まあこんなもんでしょ”という人生を歩んで行くのか。
それとも、人生どうなるかわからないけど、地図もない不確かな未来に一歩踏み出してみるのか。
踏み出してみればその先が見えてくるものだし、手放したら何もかも成立しなくなると思っていたその何かに代わる別の何かが、自然と舞い込んでくるものだと思う。
何より一番避けるべきなのは、妥協した結果、後悔する人生を歩むこと。
単に一つの例え話として書くけど、僕は新卒で入った会社を3年ちょっとで辞めて、世界一周の旅をした。
当時、出来るだけ準備をしたつもりだし、とてもよく考えてから行くことを決めたけど、それでも帰国後の保障は何も無かった。
「このまま仕事を続けるよりも、世界一周に行ってその後一生コンビニバイトでもいい」
本当にそう思って、だけど自分の中の響きを信じて、不確かな未来を選んだ。
そうしたら、数々の素晴らしい経験ができたし、自分も人として成長できたし、実際的な話では帰国後は1社目よりもずっと良い仕事に就くことができた。
最初からあった安心にしがみ付いていたら、そんな風には絶対なれなかったし、今の僕はここにいない。
縮こまっていたら何も生まれない。
可哀想な私のことなんて、誰も癒してはくれない。
自分の中にある響きを大切にして、勇気をもってその響きに素直に生きていくんだ。
これを読んで下さっている方の性別も年齢も、どこに住んでいるかも、僕にはわからない。
だけど、せっかくの機会なので、自分が本当に願っていることをじっくり感じてみて欲しい。
そして、それを大切にして行動するだけのリソースが十分にあると理解してほしい。なぜなら、あなたは今まだ生きているから。
僕はコーチとして生きているけど、クライアントやあなたを幸せにすることはできない。
自分の響きを大切にして、その人生を歩んで行くのはあなた自身だからです。
最後ちょっと熱くなってしまいましたが、なんだか自分の気持ちに正直になれていない、何か我慢している気がする、という方は、是非CODAを観てみてください。
不確かさを歓迎しよう。
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