4.「イソン」に「イゾン」はありませんか?


 その朝、出かける準備でリビングを行き来しているときに耳が捉えたのは、「ギャンブルイソンショウ」という言葉でした。テレビではアナウンサーがIR施設の誘致問題を伝えていました。

 「そうだ、依存症は『イソンショウ』と読み、濁らないのだ」と思った次の瞬間、「いや、この頃は自分も『イゾンショウ』と濁って話していないか」と、急に気になり始めました。

 校正は文字が相手のためルビでも出てこない限り、「依存」がイソンかイゾンか、問題になることはありません。これまで「依存」に読み仮名を必要とした仕事は記憶にありません。しかし今後もないとは限りません。

 もし「依存(いぞん)」という文字列に出会ったら、これを「依存(いそん)」と直すべきでしょうか?

 それを決めるため、まずは手元の国語辞典を引きます。
 『精選版日本語大辞典』『広辞苑(第6版)』『明鏡』はいずれも見出しに「いそん」を取り、「いぞん」とも読むとしています。
 次に『記者ハンドブック』で見ると、見出しは「いぞん」で、「いそん」とも読むとしています。

 国語辞典は規範としての役割も求められることから、イソンが正しいとされてきた歴史があると察せられます。そして現在ではイゾンの読み方も広がっています。

 ではイソンとイゾンの2通りの読み方がある理由として、漢字としての「存」が読みの違いに関わっていることはないかと、まず「常用漢字表」を調べてみました。
 「常用漢字表」では、ソンの例として「存在」「存続」「既存」、ゾンの例には「存分」「保存」「存じます」が掲げられています。このうち「既存」には「依存」と同じようにキゾンとも読まれています(『広辞苑』『明鏡』)。でも「保存」はホソンとは読みません。

 次に漢和辞典を調べました。『新漢語林』では、ソンは漢音、ゾンは呉音、そのほかヒントになりそうなものは見つけられませんでした。一般の漢和辞典は文字としての漢字の説明が中心なので、使い方や使い分けを調べるには日本語としての漢字を扱った『新潮日本語漢字辞典』が重宝します。

 それには「存」の意味として7つ掲げられ、うち「現にこの場にある。現にこの世にある」の例として「存する・存在・存立・存続・実存・現存・既存・共存・残存・依存・存否・存否・存廃」が挙げられています。前にくる「存」はソン。後ろの「存」は、「現存・既存・共存・残存・依存」はソン・ゾンの両方があり、「実存」のみゾンの読みが振られています。

 「生きている。引き続き生きている」の意味ではゾンと読むとなっています。例には「生存・存命・存生」。この場合は「存」が前でも後ろでもゾンです。

 もうひとつゾンと読むのは「考えを持つ。知っている」の意味です。「存じる・所存・存念・存意・存知・存分・存外・一存・異存」が挙がっています。

 「多く『ゾン』と読む」とされているのは「長い間保ち続ける」の意味です。「保存・温存・恵存」が挙げられ、「恵存」のみソン・ゾンの読みがあります。

 このように意味で読みが分けられるようですが、きれいに区別されているわけではありません。「実存」のような例外がどんな意味を持つのか新たな謎も加わってしまいました。
 なぜ「依存」にイソン・イゾンの読みがあるのかは、歴史や音声的な事情を探ってみないと解明できそうにありません。
 とりあえず「なぜ」と理由を追い求めるのはここまでとしましょう。

 さて伝統的なイソンに代わり、イゾンはどの程度広まっているのでしょうか。
 NHKが2010年に行った調査では「薬物に依存する」の読みを聞いたところ、「イゾン」が92%、「イソン」が6%という結果でした。これを受け、『NHKアクセント辞典』の改訂でイソンを優先としていたのを、イゾンを優先としました。「依存」のほか「共存、現存、残存、併存」も同様です。「既存」はどちらの読みも同等に認めています。*

*NHK放送文化研究所HP参照 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/202.html

 今やテレビやラジオ、ネット動画から流れるアナウンサーの話す言葉も、イゾンが優勢となっているかもしれません。

 ここで最初の課題に戻ります。
 「依存」の読み仮名は、実用的なものなら「いぞん」で問題はないでしょう。今後、国語辞典も見出しは「いぞん」になり、「古くはいそんとも読む」と書かれる日がくるのかもしれません。

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