[7]集団自決で女性や子どもを介錯した人は犯罪者か?――『麻山事件』読後感想

 『麻山事件』(中村雪子著、草思社、2011年(1983年刊の文庫版))読了。

 1945年8月、北満の麻山で避難中の400名余りの女性や子どもたちが自決した。自らも引揚者でもある著者は、愛知県庁引揚援護課に一年間通い詰めて資料を書き写し、生存者たちに会って話を聞き手紙でやりとりしながら、13年かけて麻山事件の全容を明らかにしようとした。
 そのとてつもない執念のおかげで、麻山の集団自決事件の経過と生存者たちの戦後を知ることができる。

 これまで読んだ満蒙開拓団の引揚者の手記には、自決の場面が頻繁に出てくる。

 ―子を殺めた母親を男性の団員が銃で介錯する。
 ―追い詰められた開拓団がもはやこれまで、と幹部が皆に毒を配る。
 ―逃避行に耐えられない幼い子や老人、病人やけが人を建物の中に入れ、外から火をかける。

 自決といっても幼い子どもたちは何もわからなかったろうし、物事のわかる年齢だった生存者は怖かったとも伝えている。少なくとも子どもたちは被害者である。

 そして戦争から4年後、麻山事件の遺族が参議院に実態調査を求めて提訴した。遺族は団長ら開拓団の男性たちにより「殺害された」と考えていた。

 国のために送り出された満蒙開拓団は、戦後は日本帝国主義侵略の手先だったとメディアで批判された。実際に自分たちが開拓していた土地が現地の農民からほとんど強制的に取り上げたものだと知った人もいる。

 国のために尽くしたはずが、侵略の「加害者」になっていた。ソ連参戦後の混乱のなかで、人が人でなくなるような体験もしている。それが引揚者たちの口を重くさせただろう。そして何年かして語り始めた人がいる一方で、沈黙を守った人もいる。

 覚えていること、忘れたこと、忘れたいこと、また覚えていても語りたくないことがある。もちろん記憶違いや年月の中で記憶が変容していることもある。

 それらを乗り越えて『麻山事件』は書かれ、遺族から「加害者」と呼ばれた集団自決を決行した側の当時の状況や戦後の苦しみに迫っている。

 戦争がいけないと、いくらでも「戦争」や「軍国主義」に責任を負わすことはできる。でもそれだけでは誰も救うことはできない。

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