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いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉 by 中井久夫

いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉 by 中井久夫

いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉 by 中井久夫 を読みました。深い!

帯の通り「この本を読むか読まないかで、いじめへの対応が変わります。」でした。子どもでも読めるように、シンプルで短いながら、本質をしっかりつかんでいると思います。ご自身の戦時中のいじめられ体験にも触れられて。自分も少なからずいじめられる側にいたので、身につまされながら読みました。

いじめのプロセス「孤立化→無力化→透明化」

「孤立化」

まず、孤立させる
「次のターゲットはあいつにしよう あいつをハブろうぜ。無視しようぜから始まります。
(この段階では、暴力は振るわない)
周りのみんな(子ども、教師、大人)はターゲットから離れていく。
孤立させられた被害者は、
「なぜかわからない。自分になにか落ち度がある?」と思います。
(先生等の何気ない「あいつも~なとこがあるしなぁ」も材料になります)

継続されると心理的に異常な状態になり、身体にも異常があらわれます。
「じぶんはいじめられても仕方がない。のかも」と思うようになっていきます。
(遊びかもしれない というごまかし に対しては
立場が交換されるかどうかで判断できます。いつも役が決まっていたらそれは「いじめ」です。)

「無力化」

ハブった反応が出てきたら次の段階へ。
孤立化させた方はまだ反撃が怖いので、反抗しても無駄だと思い知らせます。
「お前、反抗してやろう とか思ってんじゃないだろうな」
(ビクッ! 心を読まれてしまっているように思う。)
少々の反抗も徹底的につぶす。暴力も辞さない。
被害者が大人に助けを求めることに対しては特に大きな罰が与えられます。
それはずるい、いけない、卑怯だ という価値観が内面に作られていきます。
じぶんは劣った卑しい人間だ」
つまり無力化されます。逆にここまで来ると暴力は減ります。

「透明化」

「いじめ」隷属状態があたりまえになり、意識しない/されない、透明になります。
被害者には、加害者とのつながっている時だけがリアルなこと、みたいな状態。
そして
いじめられない時が幸せになり
それが加害者からの「恩恵」となります。

他の「いじめ」に加担させられることもあります
そうすると被害者としての立場も取れなくなってしまいます。
逃げ場なし。

この段階での大人からの介入は 
自分をあけわたし
自分を本当にあきらめることになるので、
暴力で反抗することもあります
何をいまさら という怒り からそうなります。

そして「お金の搾取」
家からお金を取ってこい。
取ってきたら それを浪費する。さらには燃やしてしまう。

お前が苦しみながらやったことなんて 
全然なんの意味もないんだ
お前に価値はないんだ と伝えます。

お金がほしいからでなく、無価値だと知らせるためにやっています。

被害者は 出口なしの沼 へ向かっていきます。

さらにアイデンティティを破壊するような「無理難題」
例えば 大切な人 家族とかおばあちゃんとか 好きなコとか にまつわる大切な何かとか 恥ずかしいこととか 罪深いこととか 

何であれ自らを破壊するような 
自殺してしまいたくなるような何か「無理難題」なことをさせます
被害者は自ら奴隷や罪人になっていかざるをえません
最終的には「自殺」

人を思い通りにしたい!権力欲

いじめる側にとって
たぶん理由はなんでもいいんです。

ターゲットも誰でもいい。
誰か を陥れればいい。
権力・力を感じたいのが理由だから。

なぜ?
力の世の中では誰かが被害者になっていて、
そこから自らを救おうとしている?
(しかしもちろんいじめで救えるわけではない)
 いじめている方の子も家庭内では被害者かもしれません。

何ができる?

とにかく早い時期に対処できれば
お互いに「いじめ」について知っておき、気づくこと。
生徒も、教師も、保護者も、学校外の人も。
(おせっかいもありかも)

孤立化
この段階で、孤立させないことができたら。
離れていかない人がそばにいてくれたら。
(まずは よりそうこと)

無力化 透明化
本人は、卑小感、劣等感、罪悪感で
どんどん自分を追い込んでいく。
「きみは犠牲者なんだよ」ということを話してきかせ
それ(卑小感、劣等感、罪悪感)を軽くしていくこと。
が最初の目標。
(道徳的な劣等感は、不思議なことにいじめられっ子が持ち、
いじめっ子の方はもたないものです。)
被害者は逃げてもいいんです

社会を織りなす私から変わる(著書とは別に)

「いじめ」る人がいるんでなく
「いじめ」ざるをえなくなるような社会があるのです。

この構造を、空気を変えていかないと変わらないでしょう。
明治以降、近代以降、戦時中も、高度成長期中も、
そして今も
(高度成長期~バブル期よりも今のほうが鬱屈しているイメージはある)

しかしそれは、空気は 
一人ひとりから変えていける。

いじめ のことを 自分ごととして 構造 として 理解したり
兆候に気がつくように意識したり
おせっかいかもを超えて関わってみたり

自分の中のいじめられっ子 いじめっ子 を意識するとかい

やれることから

いじめの政治学

もともとは、中井さんの「いじめの政治学」に入っていた論考であり、まさにこれは「政治」なんですよね。小さな子ども社会における政治でもあり、大人政治社会の縮図もしくはしわ寄せでもある。

いわさきちひろ「海辺を走る少女と子犬」

関連リンク

いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

【第 1 回】いじめって何?どうしたらいいのかな?
https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000121/121316/28ijime.pdf

『虐待問題と「いじめの政治学」の関係試論』
~障害者虐待と「臨床的人権」そして、社会福祉学のミッション~https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=15571&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1


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