武器・戦争・怖さ・死・生産・金融・自分軸・いのちの生と死の自己肯定
軍事費増額な昨今
ウクライナで起こっている戦争、中国が攻めてくるかも?、アメリカからの要求・・・ いろんな要因が言われています。
理由は何であれ、愚かなことだなと思います。
戦争はなくならない?
戦争は無くならない という意見があると思います。
自分としては
「戦い」は残る
でも国家間の戦争はなくせる。
武器もなくせる
と思っています。
利害や想いはすれ違うものだから、個人間での戦いは本能的なものでしょう。これを無くすのは、人が人でなくなるようなレベルかなと思います。
ケンカを無くしてはいけない!(紛争解決プロセス自体を大切にします)
でも、
日本では、戦国時代まではあったけれど、江戸時代の天草島原の乱(一揆)、そして明治時代の西南戦争~戊辰戦争で国内の戦争は終わっています。組織間の戦争はなくせるわけです。
国家間は第二次世界大戦以降、大国間ではなくなり、朝鮮戦争(停戦中)はじめ代理戦争的なもの(ウクライナも半ばそういう感じ)、対テロ戦争(国家間ではないので戦争というよりは弾圧)。
宇宙人でもくれば結束して戦争なんて止められるものかなと思っています。
無くせるのに無くさない。
コミットしてない。
意識を変えるだけなのに。
無くさない理由がある?
気候変動のことを考えれば、戦争どころではないので、困ります。
まず自分軸 どうありたいの?
よくあるのは
~が攻めてきたらどうするの?
家族がなぶりものにされるのをのを黙って見ているの?
根性無しの臆病者の意気地なし でいいの?
もちろんイヤです。
でもまず 受け身で考える前に
自分はどうしたいの?
どういう関係性を持ちたいの?
そこからでは?
ありたい関係性を作るべく
何をし
何を働きかけ
どう動くか
それを最優先で取り組んだうえで
他の事(恐れ対策?)
っていう順じゃないの?
勝負においても
大事なのは 勝負する 場 をどう作るかだし
自分の土俵で戦う方がいいでしょ
それを
相手がこうくるかもだからこうする
とかって、その時点で負けてる
さらに大事なのは
何かが起こってからどうするのかにフォーカスするよりも
起こらないようにすることに注力すること
不安は不安を呼び寄せるし(引き寄せ)
予防と抑止の方がかける力も少なくて済む。
攻められないようにする。
そもそも
攻めるより仲良くしたいと思うように
攻めるより褒められたいと思われるように
攻めるより尊敬するるように
攻めるより仲間に入りたいと思われるように
攻めるより敵にはしたくないと思われるように
生きる 外交する
金融視点 武器は使われなければいい?
戦争が終わりにくい理由は
軍事投資にもあるかと思っていて
投資先としては軍事系は安牌で
買っておけば 戦時に高くなって 儲かる
(投資会社カーライル・グループなど)
倫理面は
武器自体には罪はなく 使う側に罪がある
と考える事で正当化できるから
投資自体は中立であり 倫理的には問題はない
と考えられるかなと
アメリカの場合
約6兆ドルの国家予算のうち、約1割!が軍事費。
世界全体では約2兆ドルが軍事費。
日本だと約5% (増加中)大きいですよね
そもそもという風に市場が大きくて
今回のようにウクライナ戦争などあれば当然上がる
ここぞとばかりに 恐怖をあおって(メディアやアラートで)
さらなる軍拡へ という
マネーゲーム
やめられないのもうなずける
恐れ を克服できない のは 人間の性質だからしょうがない
それを織り込んだ投資をするのは 自然だと(正当化)
それでいいの?
どうする?
GDSP 持続的な国民総生産
たとえば
「持続可能な国内総生産GDSP(Gross Domestic Sustainable Product)
= GDP「国内総生産」ー 持続不可能に浪費する(した・だろう含む LCA)資源量」
が必要では?
LCA(ライフタイム)製造〜使用〜廃棄込み。
(武器を生産したら、使うことによって破壊される資源もマイナスになる 設計で想定する破壊力で想定する)
そういう投資枠組みにするのなら
武器はもちろん
非循環型の農業とかも選べない
そんな経済へのシフト(回帰含む)に投資すべきでは?
(逆に、GDSPマイナスなものは投資禁止も)
グレートリセットというならぜひそういう方向でお願いしたい!
倫理というよりはマネーゲーム
そして
たぶん投資する側にはそのバスケットに
軍事投資が含まれていることがわかりにくい形なのではないだろうか?
もし、そうだとするなら
それ(軍事への加担)が見えやすくなっていれば
もう少し倫理的なストッパーが効くだろう
見える化 もお願いします
(たとえば S&P500 (スタンダード・アンド・プアーズ500種指数: S&P ダウ・ジョーンズ・インデックスが算出しているアメリカの代表的な株価指数)の中で見える化。軍事を省いた 商品をぜひ!)
しかし軍事はあくまで平和のため、安全保障のため
というストーリーがある
正当化にはもってこいだ
ここは改めて
武器よりも
それ以前の対話やコミュニケーションの部分に
注力すること
お金をかける事
時間をかける事
それこそが安全保障なのだ という理解が必要だろう
深いレベルで相互理解・相互共感できるコミュニケーションの機会をつくるとか 教育で取り組むとか 深い市民交流をするとか 国際官僚間でやるとか マルチステークホルダーで深い対話をするとか。。。
防衛省より平和省
古武術などの達人は
武力もあるが
あとはメンタル
勝つぞ!なんて欲があると
そこから心にほころびが出て負ける
最強は
恐れの対象ではなく
あらがいがたい 大いなる愛に包まれて
溶けいったら負けていた
みたいな至福体験 らしいです
サムライ日本であるなら
そういう古武術方向にイノベーションしていった方が
いいんではないでしょうか
(日本国憲法は現代版の武術心得かも。
そして当事者としての意志も示している。)
コスタリカがコネクションプラクティス(NVC+ハートマス)や
平和を創り出す教育を取り入れているように
しかし
安易なナショナリズムの方が
野蛮で原始的で わかりやすい のもまた事実
筋肉マッチョがやはり見てて強そうだし
核をもつのが普通の国だとか 明治ショックのトラウマのまま
でも現実は
物理的な戦いからサイバー~メンタルな戦いの方がリアル
恐怖 をどう避けるか よりも
恐怖 と どうつきあうか です
早く 自己洗脳を解きましょう
世界も
武力からサイバー力にさらに精神に
重点が変わっていっていると思います
武器商人、武器投資に 流されず
ウェルビーイングの高い民こそが最大のパワーだという風に変わっていってほしいものです(その意味では仮想世界にも期待)。
自己否定?自殺願望?罪悪感?ファナティック
(岸田政権とかはもう属国日本であることに絶望してあきらめたかのようにフリーズして絶望一直線 にも見えたりするんですが)
これって自殺願望なのか?
人類こそ癌 という自己否定、罪悪感?
システム的に限界になると
いったんリセットして破壊・死と再生してしみたい!
なんて衝動にみまわれてしまっているのだろうか?
とさえ思ってしまう
世界もそうだ
気候変動の秒読みが10年切ってしまった今
変容するより死と再生した方が楽
人口減らして 一部は宇宙に逃げ
っていうハルマゲドン幻想願望に流れたりするものなのだろうか?
タナトス 死への願望
または ここにいなくなる離人症 不感症
それもしかし、
生あればこその欲望
よりそっていこう
たぶん、多様な個人と社会 が相互補完的にこれまで歴史を紡いできて、これからは 多様な個人と地球社会 のレベルになる にあたり、近代国家が解体再生される段階での、変容フェーズなのではないだろうか。
地球圏での民主主義をどう作っていくかが次には問われていくことになる。
(AIとかインターネットとかDAOとか仮想地球通貨みたいなもの含め)
死への恐れ~生産への過剰な肯定 生産性~時間戦争 人類至上主義
やっぱり 死 は こわいもの
わからないから
それがなんなのか
だから 生きること を讃える 過剰に
多分、農耕が始まって、組織化・階層化が進んでいく過程で
ライブな時間から 貯蔵できる時間ができて
循環する時間から 切り離された時間ができて
生まれて死んでいく「個人」という概念もできていって
死というものが恐ろしくなっていって
宗教とかもできていく
そこで司祭社会が
死という恐怖を肩代わりして楽にしてくれることになって
個々人の命よりも
社会(司祭・王)の命を優先するようになって
王の命が最優先されるようになった
今も 資本主義*民主主義 の名のもとに、
社会の命が優先されている
(もちろんその中で福祉社会も進んでは来ているが)
しかし 歪んでもいく 時間戦争
生産 は多い方が絶対いい
生産性は 高い方が絶対いい
工夫やイノベーションは絶対いい
そんなことができる人類は偉い
そういうことができない人間は
ランクが低い
努力が足りない
劣っている
と
個々人の それぞれの時間・スピード よりも
社会の時間・スピード が優先
しかし結果的に
地球中の生態系のバランスを崩し
格差を作り出し拡げ 貧困層を増やし
突出した 生 とは裏腹に
たくさんの弱きモノを虐げ
多様性を失いつつある
社会 が 近代国家 であることに 限界が生じている
地球サイズにならないと矛盾が大きすぎる
同時に
個人と社会の命の分断が進みすぎて生きてる実感が乏しい
どうしたら?
生と死の循環を各自が取り戻す
生 だけではなく
死 も
生 と 死 と わけるのでなく
大きな 流れとして 連なりとして
いのちの 創発的運動体として
生き死にすること
そして
他者軸の大きな物語の終焉
歴史とか人類とか進化とか国とか民族とか
そんな他者軸の主語はいったん手放して
わたしが どう感じているのか
わたしを通して 創発的運動体としてのいのちが
どう感じているのか
どうしたいのか
そこから やり直すこと
それぞれがそれぞれの源と繋がり直すとき
おのずと
地球が内から現れるだろう
ホールネス(Wholeness 全体)=Heal(癒し)
全体の一つの命の、多様な現われとしての 私たちが
それぞれの時間をそれぞれの存在のかけがえのなさとして生きる時
地球生命民主主義も織り成されるだろう
自分軸の多彩な主語・主体のライブを地球的にセッションしながら
今ここで生きあっていこう💖
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