インド聖地巡礼③ ~人と人とが濃密に繋がり、生きていく世界~
私がお世話になったMUNGER RAJ MANDIRは、一年中日本をはじめ世界中からの巡礼者を受け入れていますが、普通に地元の人々に開かれた寺院でもあります。
早朝のお祈りが終わった後しばらくすると、寺院全体がだんだん目覚めてきて、どこからともなく朝食の準備が始まっているのが分かります。
しかしここでは、まず寺院の外で道行く人々に食事を振舞うという奉仕活動を行ってから、中にいる人々が食べられるという決まりになっています。
この活動を『プレーマプラサーダム』と呼んでいます。
簡単な造りの屋台を引いてきて、門の外に配置し、簡素な使い捨てのお皿に食材を盛り、道ゆく人々に向かって『プレーマプラサーダ!』と叫びます。
すると、食事が欲しい方々が近寄ってくるので、差し上げる。
用意した食材が尽きるまで、続けます。
同じことを、夕方にも行っています。
またこの寺院は、様々な用途の寄付を幅広く集めて、きめ細やかに運用しているという事も知りました。
私が滞在したとても短い期間にも、地域の人々に無料で医療を届けるための寄付や、牛に対する寄付などを募っていました。
そんな中、今回の日本からの参加者が、要らなくなった子供服をたくさんインドに持参して寄贈するという活動をされていました。
大きな段ボールいっぱいに詰め込まれた、子供服。
日本からのたくさんの善意を感じました。
しかし、わたしが本当に驚いたのはここからです。
なんと、寺院の関係者を中心に、寄贈された服を一着一着吟味して、地域の学校のどの子にどの組み合わせをプレゼントするか、仕分けをされたのです。
そして、それぞれの子に、直接手渡しでプレゼントする機会が設けられました。
…ただ段ボールをポンッと、学校に寄贈したのではないんです。
たとえこんな小さな機会でも、自分という存在にきちんと目を向けてもらえているという体感を、子供たちにきちんと味わってもらう。
人が心の中に“信頼”という気持ちを作り上げていく上で、とても大切な体験。
簡単なことではないと思います。
でも、時間と手間をかけて、行っている。
サードゥ・マハラージャ師は、とても熱っぽく語られました。
この世界で生きて行くには、人と人とがきちんと繋がることが大事だ、と。
ここでの生活は、効率とは無縁。
ちょっとした都合によって予定はコロコロ変わるし、その連絡も口伝えが基本。
キーマンの所には常に人が寄ってきて、その場でパラパラと用事を伝えていくから、優先順位もなにもあったもんじゃないなと苦笑いすることもしばしば。
言いたいことを言い終わるまで黙る気のない人も多いし、一生懸命しゃべくりあっているその様は時としてまるでコントのよう。
しかし、ぐっと視点を引いてそんな生活を眺めてみると、人生って割とそんなもの、頑張って競って効率化を図っても、頭は満足するかもしれないけれど心はどうかな、という気がしてきます。
寺院にいらっしゃる、すばらしい打楽器奏者のサチさんがこんなことを言っていました。
「人は、近くに水があって、そこから水を汲んで来れれば生きることが出来るよね。
でもその水の安全をずっと守り続けるには、いろんな人の努力が必要だよ。
その人たちは、長期的に見てなにが水にとって良いことでなにが悪いことなのかだけは、知っていなくちゃならない。
ここの人たちは、短期的な利益に飛びついたりしないし、そんなものは結局必要ない。
だから、ここでは守るべきものが守られているんだ。」
日本人としては、ちょっとは効率も考えて欲しい…と思ってしまうこともやっぱりありますが、
こんな世界が存在するのもまた良し、とも感じます。
長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。