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ゲームばかりやっていて良いのか

以前、『有意義に過ごす』という考察をした。楽しいことを増やすこと、嫌なことには早めに対処して考えすぎないようにすること、"充電" も大事なこと が結論だった。私にとってゲームは間違いなく 楽しいこと だ。それでは、使える時間, 体力, 意欲をすべてゲームに投じることは良いことなのか。たぶん違う。なぜなのか。いいオトナがゲームにばかりやっているのは駄目なのか。
日々いろいろ考えている。それでもゲームしている

ゲームの良いところ

ゲームは面白い。プレイヤーの判断・行動に反応して状況が変わっていくことと、勝つための戦略を考えることが面白い特徴だと思う。状況やルールをもとに相手の行動を予測しあう "読み合い" が、ゲームを面白くさせる。問題構造の把握や意思決定については、ゲーム理論 という学問として分析され、ビジネスに用いられるほどに応用範囲が広い。

ゲームの悪いところ

ハマりすぎると生活に影響するかもしれない。
一昔前に "ゲーム脳" (『ゲーム脳の恐怖』 (森 昭雄, 2002)) という言葉が流行った。まったくもってエセ科学なのだが、ゲームという新しい遊びへの警戒心のためか、テレビ・漫画と並んで子供が勉強をサボる理由とみなされたためか、ゲームは良くないというイメージづくりに一役買ってしまったようにも思う。
しかし実際にゲームが害をなすケースがあることも分かってきている。世界保健機関 (WHO) が作成する国際疾病分類 (ICD) が2022年に改訂される。ゲーム障害 gaming disorder という分類が作られることが決まり、話題となった。厚生労働省でも対策連絡会議が行われており、その資料を見ることができる。ゲームの悪いところを知るヒントになると思う。
ゲームへの依存症を起こしてしまうケースがあり、他の依存症 (アルコール依存症やギャンブル依存症など) と同様の問題や脳機能の変化をきたす可能性がある。実際の分類基準をみると、よほど生活が破綻していない限りはこの病名にはならないことが分かる。(なので、ゲーマーが自分が病気ではないと声高に狼狽する必要もないし、ゲームを過剰に悪者扱いする必要もない)
ゲーム障害の症状に 勉強・仕事のパフォーマンス低下, 生活リズムの乱れ, 物にあたる などがある。これに依存症の特徴である 行動が制御できない, 優先しすぎて社会生活に問題を生じる などが加わる。
まとめると、ハマりすぎるとゲーム外のパフォーマンスが落ちたり生活が乱れたりする可能性があり、ゲームの悪いところになりうる。

※1 ゲーム障害で問題になるのは基本的にはオンラインゲームだ。日本ではスマホゲームが多い。海外のデータではFPS/TPS, MMORPG, MOBAがハイリスクのゲームジャンルとされる。
※2 ゲーム障害は厳密には行動嗜癖に分類される。現時点で分類基準があるのはギャンプル障害のみだが、他にエクササイズ, 買い物, 摂食などが嗜癖性があるとされる。(なのでここで論じている "悪いところ" はゲーム特有の問題ではないかもしれない)

ゲーム以外の遊びなら良いのか

他にどのような遊びがあるだろう。
例えば小説/漫画, ドラマ/アニメ/映画。ストーリーを追体験してする点にフォーカスされている。
例えばイラスト (私は描けないが)。自分のオリジナルのイメージを表現することができるし、形としても残り創造的。
例えば旅行。自分の体で非日常的な場を体感・体験できる。

ストーリー性(追体験性), 創造性, 実体験性 は、ゲームでフォーカスされにくいところかもしれない。もちろんゲームでも体験できる部分は大いにあるが (とくにストーリー)、ゲームの特有の部分ではない。他の遊びと比べて足りない部分が 悪いのか。たしかに、クリエイティブでないことや、虚構であるというのは、批判されやすいポイントのように思う。しかし、たかが遊びにそこまで求めるのか。

ゲームは遊びの代表格

遊びについては 『遊びと人間』 (Roger Caillois, 1958) での解説が有名で、今でも妥当性があると思う。遊びの原則として 自由参加, 非生産的, 虚構, 結果未確定 の4要素を挙げている。ゲームはすべてを満たしており、まさに遊びの代表格だ。もしゲーム批判の矛先を クリエイティブでない (非生産的)、虚構である という遊びの本質部分に向けるなら、もはやゲーム批判というより遊び批判だ。
もしかして、遊びがゲームである点ではなく、遊んでいるという点が良くないのか。

遊びたいという欲望

遊ぶと楽しい。遊びたいという欲望を満たすことは、快楽や幸福感を与えてくれる。これを追求するのに問題があるのか
幸福に関する議論になると、人生の意義 , 幸福論 など哲学の大テーマに足を踏み入れることになる。(自分で考えて実感することが価値がある分野なので、ここでは解説しない)

最近、個人的に納得した解説を紹介する。『欲望について』 (William B Irvine, 2007) という、アメリカの哲学者が書いた欲望について考察だ。人間は生存に有利なものを良しとする欲望に基づいて生きている。分かりやすい欲望は、生存・繁栄のための食欲や性欲。分かりにくい欲望は、承認欲求や出世欲などだが、これも社会的地位を上げて有利に生きるための欲望だ。では、欲望に従って行動していれば良いのか。

欲望は間違える

欲望の目的は生存だ。幸せになることではない。そのせいで、私達は、達成すると不幸になる欲望を抱くことがある。"試験前だけど、ゲームしちゃった" が代表である。これは、2つの欲望が衝突している。

欲望1 : ゲームしたい楽しみたい
欲望2 : 勉強したい ← テストで良い点をとりたい ← 単位が欲しい/卒業したい ← 良い仕事に就きたい ← 経済的に安定したい 

欲望1は確実にすぐ達成できる。欲望2は達成までの道のりは長い上に達成できる保証はない。長い目でみると欲望2のほうが人生において重要かもしれない。
遊びたいという目先の分かりやすい欲望が、自分が抱いている野望を邪魔する邪念になることがあり得る。極端な話で例えると、そこそこ楽しい遊びを一生続けられる平凡な人生で行くか、10年ほど遊ばず努力して億万長者になってから豪遊するのを狙うか、ということだ。

※欲望2の 経済的に安定したい が幸せを達成できる欲望かは非常に議論がある (というか多分幸せになれない)。なぜなら評価基準が文化的な価値観に依存していたり、経済的な豊かさは他者と比較して評価されるものだからだ。真の幸せは、幸せに対する自分の考えの変化によってのみ得られる、とされる哲学・宗教がほとんどだ。

それでも私はゲームする

それを踏まえて、私はゲームする。人生の優先事項は意識しているものの、24時間努力出来るわけでもないからだ。体力, 意欲が尽きて努力できなくなった瞬間からでも幸福を得るには、遊びというのはベストな選択肢だと思う。遊びの中でもゲームは私のお気に入りだ。ゲーム以外に幸福のための努力ができる余裕があるときは、そちらを優先したい

ゲームだから悪いってことはない
遊びに罪悪感を抱かなくて良い
優先度の見極めを大切にする
これが自分の結論だ。


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