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多様性と友達づくり

友達づくり難しいよね、という話。


多様性の良さは共通点の少なさにある

個性がゆたかで、それを隠さず過ごせるコミュニティは楽しい。自分にない個性を他の人に見出すと、自分の視野が広がるようで面白い。
自分では生み出せなかった選択肢を加えられて、より良い行動を模索しやすくなる。

とくに趣味などの非日常コミュニティは面白い。趣味以外の共通点が少なく、みんな個性的に見えるからだ。
家族や学校/職場といった現実生活のコミュニティと違って、育ってきた環境や住んでいる地域や年代などが共通しにくいからだろう。

(だからといって、趣味以外のプライベートとも言える部分に積極的には触れないのが、オトナ的なマナーなのかもしれない)

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ 作詞『私と小鳥と鈴と』

共通点が少ないと困ることもある

多様性ゆたかで共通点が少ないのは、難しい面もある。というのも、人とつながるには共通点が欲しいからだ。

その時・その場所に一緒にいただけでつながれるコミュニケーション能力が高い人も居るかもしれないが、そうでなければ少ない共通点を頼りにするしかない。

共通点がなくなるとつながりが弱くなる。
家族ですら、離れて暮らすと、一緒に過ごす時間という共通点が少なくなるためか疎遠になりやすい。

ましてや、共通点としている趣味という生活に必須でない部分では、飽きてしまうことがある。そうなると共通点がなくなって、育ってきた環境や住んでいる地域や年代がバラバラな人同士になってしまう。

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ
夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね

山崎将義 作詞『セロリ』

共通点が少なければ増やせばよい

ひとつの共通点がなくなっても、他にも共通点があれば大丈夫だ。つまり、きっかけとなった共通点が失われるまでに (飽きるまでに) 新たな共通点を作ればよい

趣味がきっかけだったとしても、同じ時間に一緒に遊んだ体験という共通点で、あるいは他愛もない雑談のなかで新たに発見した共通点で、さらにつながりが強くなる。仲良くなるというのは、そういうものだと思う。

だから、つながりを強めるには、きっかけになった過去の共通点にこだわるより、脇道の探索 (他の共通点探し) が大事なのだろう。相手の趣味に合わないかもしれないけれど誘ってみる勇気が必要だ。

それが結構むずかしい

共通点をきっかけとして多様な人とつながり、さらにきっかけ以外の部分でもコミュニケーションを重ねて共通点を増やしていく。
それが簡単にできていれば、とっくに友達100人できている。大人数で多様な体験だってできていただろう。

ひゃくにんで たべたいな
ふじさんのうえで おにぎりを

まどみちお 作詞『一年生になったら』

趣味コミュニティは、多様性のあるつながりを得やすいが、そのつながりの維持にはコミュニケーション (技術と努力) が必要だ。

そして、息抜きのためにそんなに労力を割くのか、という葛藤も産まれてくる。どうにか簡単にできないだろうか。

コミュニティをかけもちして解決する?

つながりを維持する、つまり共通点を増やすのが難しいのは必然でもある。そもそもコミュニティの多様性のゆたかさ・共通点の少なさが特徴だったのだから。

だとすると、同じコミュニティに固執せずに、複数のコミュニティをかけもちするほうが良いということになる … のだろうか?

  1. 大人数多様な人とのつながり (共通点が少なく関係性は薄い)

  2. 共通点が多く関係性が濃いつながり (少人数で多様性は乏しい)

どちらも魅力的だ。
自分の視野を広げるという点では 1 の関係性 (大人数・多様) は魅力的だし、かといって複雑な悩みや気持ちを共有するには 2 の関係性 (少人数・濃い) のほうが良い。

多様性のないコミュニティも悪くない

少人数で濃いつながりも求める気持ちを思うと、多様性のない※ コミュニティも悪くないように感じた。

※ 多様性を容認しないという意味ではなく、同じような人たちの集まりという意味

  • 趣味などの非日常コミュニティで多様な関係性を築く

  • 学校・職場などの現実生活コミュニティでじっくりと関係性を築く

この両方に手をかけておくのが、妥当なのだろう。いずれにしても、大変なことだ。


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