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名古屋STREETDANCE HISTORY9 〜1996年:始動に次ぐ始動〜

どうもです。UCです。

(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次9です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )  
(2020.06.16 追記アリ)

さて、このヒストリーを立ち上げておよそ1ヶ月。
皆さんのご協力もあり、順調に進んでおります。

自分がダンスを始める2002年までは何とか漕ぎ着けたいと思いますので、
引き続き、お付き合いお願いします!

今回は、1996年編です!
(※文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)

はじめに


1996年と言えば、
2pac』銃撃事件があり、
翌年には『Notorius B.I.G』銃撃事件が起こり、
USAでは東西のHIPHOP抗争が激化していた頃ですね。

そんな時代に名古屋はどうだったかというと、
95年編では、長らく”ストリート“と”スタジオ“の間にあった壁が徐々になくなり、
新チームが次々と結成されたと記しましたが、
96年はそれらの動きがさらに拡がり、
色んなことが動き始めます!

拡がるゆえ、話があちこち飛ぶかもしれませんが、
後々繋がる話も多いので、
ひとつずつ記していきたいと思います。

96年のDANCE DYNAMITE

昨年より、本選でも優勝が決まるようになった名古屋の風物詩イベント『DANCE DYNAMITE』ですが、
世代交代の波はこの『DANCE DYNAMITE』にも徐々に訪れます。

この年の”春予選“には、世界的bboy crewの日本支部『ROCK STEADY CREW TOKYO』がGUESTで登場します。
昨年のNYからのNEW SKOOLレジェンドに続き、
この年は日本のOLD SKOOLレジェンドが来名ですね。

そして、
with 『MAIN FLOOR
として、この年誕生した新イベント『MAIN FLOOR』とコラボした選考会となりました。
(『MAIN FLOOR』については、後で詳細に説明します。)

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▲DANCE DYNAMITE ’96 春選考会フライヤー
※イラストは『MAIN FLOOR』の”SENBA“(『MOVE UP』)の直筆イラスト!


そして、
見事本選に進出したのが、
1.『PAPALATCH
※情報募集中。

2.『PINOCCHIO
※前回チャンピオンチーム!予選は、”PINO”, ”KENJI”, ”TOMOKAZU”で参加も、本選では”PINO“, ”KENJI“の2人でした。

3.『うずずほい!
※”YOHEI“(『来い!』オーガナイザー), ”IMAYAN“率いるオールドスタイルチーム。
 この年の春選考会“1位通過“!

4.『NAGOYA SOUL SISTERS
95年編でも紹介したカリスマフィメイルチームです。この頃には”IZUMI“(現、”維月見“), “CHITOSE”, “YUKARI”の3人で活動。

5.『2TIGHT
90年編よりこれまで何度も登場している “TOMOKO”と“KEIKO”による姉妹チーム。
この年に『ALL JAPAN DANCECONTEST』で”優勝”するなど、大活躍していた名古屋SOULダンス界の重鎮。
 春の選考会では見事3位入賞!

6.『Beeper
95年編で紹介した『ジャイアント馬場股関節骨折君』の改名後です!
 メンバーは、“KATSU”, “You-Gee”, “NAOKI”(現、“SEAMO”), ”MIYA“(現、“AKEEM”), ”JIRO“の5人!

7.『ICE
94年編で紹介した『DANCE DYNAMITE’94』春選考会優勝の『BODY COUNT』の“NORI“率いるJAZZチーム。
選考会時のメンバーは、“NORI”, ”SAYURI”, ”YUKIE”, ”AIKO”。

8.『二子山ブラザーズ
※”アオイ“, ”マコト“の兄弟によるスーパーKIDS BBOY!

9.『C-HAIS
94年編95年編でも紹介した ”TOMOKAZU“(『PINOCCHIO』)のHIPHOPチームです。
実は”TOMOKAZU“自身は予選は『PINOCCHIO』の方で出ていたが、本選は『C-HAIS』で出場!w

10.『MOVE UP
90年編から毎年登場している、名古屋レジェンドチームの1つですね。

11.『EDITS
95年編で紹介した現役高校生HIPHOPチーム!メンバーは、”WAKKAN“, ”JUNBO“, ”AKIRA“, ”JUNJI“。
当時、10代(KIDS除く)でダイナマイト決勝進出するのはかなりの快挙でした!

12.『EASE
※当時、フィメイルチームでいわゆる”ゴリゴリHIPHOP“を踊っていた唯一と言ってよいチーム。メンバーは、“サンダー”, “ヨネ”, “ハズキ”。
コラボイベント“『MAIN FLOOR』枠”での通過。

という12チームでした!
今でも豪華なメンツが揃っていますね!

ちなみに、
ジキルアンドハイド』という名前で、
KUMAZAKI”(のちに『PLAYS』, 『HIPHOP CORN』)と“NOB”(のちに『ALL DEGREE』, 『Bush Babeez!!』『RAG POUND』)も出ていたそうです!
名古屋と静岡のレアユニットですね!!


そして、本選は恒例の『DIAMOND HALL』で行われました。


ダイナマイト’96本選


そんな『DANCE DYNAMITE』の本選にて、
ナンバーワントラベル賞』をGETし、
見事二代目チャンピオンに輝いたのが、
ICE』でした!

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▲DANCE DYNAMITE'96 フライヤー

(GUEST DJに、あの”DJ BEAT“がきていますね!)


ICE』は本選では、予選時のメンバーに、92年編などでも紹介した“ANN”(のちの『UNIVERSE』『GATSBY IN THE JOCKY』)と、“MAME aka MAKOTO”を加え、
6人で優勝をもぎとります!

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▲ICE(左から、MAME, AIKO, YUKIE, SAYURI, ANN, NORI)

リーダーの“NORI”は、『BODY COUNT』で94年の『DANCE DYNAMITE』で選考会1位を獲得した後、
独自のセンスで、“JAZZ”と“HOUSE”をmixしたスタイルを完成させ、
当時、名古屋HOUSEシーンの最前線チーム『MOVE UP』, 『PINOCCHIO 』とともに、
PINORI UP』というユニットでshowをするなど、
ストリートダンサーに受け入れられたスタジオダンサーの先駆けの1人として活躍していました。
95年編でスタジオとストリートの壁を崩したのは、
KITOH”や“ANN”の存在が大きかったと記しましたが、
NORI”も同じような役割を果たしていたのでしょう。


また、協賛の『FILA』賞を受賞したのは、
高校生チーム『EDITS』であり、
のちに“華の78年組“と呼ばれる世代で真っ先にダンスシーンでの出世を果たします。
その後、次々と同世代のダンサーがシーンに勢いをもたらしていきます。


そして、この年を皮切りに5年連続で『DANCE DYNAMITE』本選出場を果たすこととなったのが、
Beeper』であり、
豊橋を所縁の地として始まったチームが、
一気に名古屋をレペゼンするチームの仲間入りをするキッカケとなり、
後述しますが、“KATSU”はイベントオーガナイザーとしてもその才能を発揮し、
シーンを牽引する存在となっていきます。


このように、
当時の『DANCE DYNAMITE』は、
本選進出を果たすことが、
【今、名古屋(東海)で最も熱いチーム】
というステータスを得られ、周りの目も一気に変わるほどに影響があったそうです。


MAIN FLOOR始動!


その一方で、『DANCE DYNAMITE』が”ダンスコンテスト“の側面が強くなるほどに、
初期の『DANCE DYNAMITE』(91年編92年編、参照)のように、
いわゆる”パーティー感“が薄れてきます。

初期の『DANCE DYNAMITE』の目玉は、
大御所チームのSHOW CASEはもちろんのこと、
SHOW後の”DJ TIME”にあったと言え、
とにかく、とても盛り上がっていたそうです。
全国各地から集まったダンサーがサークルを作り、踊りまくっていたそうです。

本選会場が『DIAMOND HALL』に移った頃から、
時代と環境の変化から徐々にそう言った”ダンスタイム“が減少していきました。

その変化に対して、
やはり”ダンサー“の本質はクラブタイムのフロアーであり、
”もっと踊りたい“という想いから、
MOVE UP』の”SENBA“, ”MICHI“と手を組んだのが、
KITOH“(当時、『珈琲屋タニ』オーナー/現、『DANCE STUDIO FORCE』代表)であり、
SENBA“、”KITOH“らを中心とした、
MAIN FLOOR』が誕生します!!

MAIN FLOOR』の会場となったのが、
鶴舞にあった、いくつもの伝説イベントを開催してきたクラブ『RADIX』でした。

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▲MAIN FLOOR vol.1フライヤー
※こちらも、”SENBA“(『MOVE UP』)の手書きイラスト!!


そして、『MAIN FLOOR』の内容は、
・DJ TIME
※DJは各ジャンルのスペシャリスト揃い!
DJ MITSU“(現、『nobodyknows+』), ”DJ GOTSU”は『DANCE DYNAMITE』本選でもDJをしており、シーンに欠かせないDJであることが窺えます。

・DANCE SHOW
※『MAIN FLOOR』クルーがHIPHOPパート、HOUSE パート、ガールズパートに分かれてのspecial show!

・チームダンスコンテスト

そして、当時新しかった、
・ソロ(バトル)コンテスト(HIPHOP音源)

でした。

バトルといっても、現在のダンスシーンで多く見られる、ダンサー同士が向かい合って行う1on1の形式ではなく、
最後までサークルでのサイファーバトルを行なって優勝者を決める方式でした。

そして、
チームダンスコンテストには、『DANCE DYNAMITE』が協賛についたこともあり、
優勝チームが『DANCE DYNAMITE』の本選に出場できる、という特典がつきました。
(これが先ほどの『MAIN FLOOR』枠です。)

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▲MAIN FLOOR vol.1募集要項
※チームコンテストの音源はカセットテープ!!(今更ですがw)


そして、
DANCE DYNAMITE』以外でトップダンサーが仕掛ける地元コンテストがまだ少なく、
またソロバトルコンテストも当時ほぼ存在していなかったため、
この『MAIN FLOOR』は初回からとても盛り上がりました。

第一回のチームコンテストは、
【優勝】
C-HAIS
(“TOMOKAZU”, “TATSUYA”, “MASAKI”, “TAKAOMAN”, “MOTO”)
【準優勝】
EASE
(“サンダー”, “ヨネ”, “ハズキ”)
【3位】
J.A.P.
(“OJIRO”, “SAKAI”, “ SUGI”, “AKIO”, “ウッチャン”, “ヤス”, “タケ”)

という結果でした。
※既に『C-HAIS』は『DANCE DYNAMITE』本選出場決まっていたため、『EASE』が繰り上がりで、”MAIN FLOOR枠”を獲得!


ちなみに、
この時、三河を代表するHOUSE チーム『Back to the BASIC』も出場していたそうです。
メンバーは、
豊橋にHOUSEを広め、定着させた ”SHUICHI“(現、『QUARK』代表)を筆頭に、”YASU“(のちの『FOOT ILLUSION』), ”NORICO“(のちの『DANCE FUSION』,『BT STUDIO』代表), ”MISAKO“の4人でした。

NORICO“は、高校時代に実家である『BT STUDIO』に”MICHI“(『MOVE UP』)がインストラクターで入ったことをキッカケにHOUSEを知り、高校卒業後、”SENBA“(『MOVE UP』)のレッスンへと通いさらにハマっていきます。
これが、のちのNY留学→HOUSEレジェンドクルー『DANCE FUSION』入りという流れが生まれるキッカケとなります。


そして、
ソロバトルコンテストの初代チャンピオンは、
RYO-Z“(のちの『Hi-Problem Child』『FIVESTAR』『Bush Babeez!!』など)
でした!!

この時の映像を見たことがありますが、
サークルはすごい熱気で、観客含めみんなめちゃファンキーです!
RYO-Z”の暴れっぷりも最高です◎

のちに全国的に活躍する”RYO-Z“が、
勢いを掴んで上昇するキッカケが、この時の優勝だったのかもしれません。

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▲MAIN FLOOR vol.1後の集合写真


ちなみに、
翌年の『MAIN FLOOR』で、誰よりも早くクラブデビューしていたのが、
KITOH“と”IKUMI“(『BLACK BEANZ』)の長女であり、
これからの名古屋シーンを牽引していくであろう、
ハルナインティー“(のちの『BULL BABE』『AYLAH』)
でした笑

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▲ハルナインティー(写真真ん中)


来い! 始動。


そして、『MAIN FLOOR』と時を同じくして、
新しく始まったのが『来い!』でした。

93年編から登場している、『うずず』の “YOHEI”が仕掛けるイベントであり、
この96年の第一回目を皮切りに、その後10年間続くイベントとなります。
この年はvol.1のみ“SHOWイベント”であり、
vol.2から“ダンスコンテスト”となります。

主催者”YOHEI“は、
「当時、『DANCE DYNAMITE』が1000人規模の大型イベントとなっていたが、300〜500人の中型のイベントがなかったので、
 そういうイベントをやりたかった。」
とコメントしています。

いわゆる“パーティー“と、“イベント“の中間みたいなものが理想だったのでしょう!

そして、
vol.1となった96年は、
丸美観光ビル4Fの『Atlantic Bar』(のちの『CIPEHER the underground』、跡地に『FLEX LOUNGE』)で行われました。
(翌年より『iD Cafe』で開催されるようになります。)

この時に、SHOWに出演していたのは、
・『でらコツ
※当時高校生だった”KAZ“(現、『10game』『CAKRA DANCE COMPANY』), ”タツヤ“, ”RISA“(元、『OOCHIE COOCHIE』), ”レナ“の4人組。

・『D-JUNKY
※”HAYATO“(現、『DOPE FRESH』, 『PUPPETION』代表), ”YOSHINORI“(のちの『炭水化物』, 『DOPE FRESH』)を擁する3人組。

・『J.A.P.
95年編でも紹介したHIPHOPチーム。”OJIRO“(のちの『Hi-Problem Child』『FIVESTAR』), ”SAKAI“(のちの『FIVESTAR』『PLAYS』), ”AKIO", "SUGI“, ”ウッチャン“, ”ヤス“, ”タケ“の7人組!

・『マックス
※女性3人組JAZZチーム

・『アンテプリマ
※”ヒトミ“率いるチーム

・『New Power G
※大阪から繋がりで友情出演!
のちに『JAPAN DANCE DELIGHT vol.5』でも優勝するチームであり、のちの『PaniCrew』メンバーもいた伝説のチームです。

などなど、
バラエティ豊かなメンツだったそうです!
面白いですね!

余談ですが、
MCはタップダンサーの”サカイダコージ”(現、『arttaproom 81』代表)と、”SATOSHI”(現、『D-HIGH DANCE STUDIO』代表)の2人だったそうです(^^)


KATSUイベント始動!!


さらに、
その後の名古屋シーンを牽引していくイベントが始まっていきます。

それが、
KATSU“(『Beeper』, のちの『DEGIL FIRE』『MASH BRUSH』)が仕掛ける、
From Behind』でした。

「名古屋の『MAIN STREET』(※当時、東京最高峰のSHOWイベント)を作りたい」
との想いで、
まさにシーンを創ろうと動きだしたイベントでした。

この『From Behind』は選ばれしチームがステージに立てるイベントでした。
そして、翌年には、
若手登竜門的な、エントリー可能なSHOWイベント『Check It Out』も始まります。


そんな次々とイベントを仕掛けていった ”KATSU“が好んだ表現が、
オーガナイザー“でした。

当時は、“主催者“, “プロデューサー“なんて呼ばれ方が多かったみたいですが、
東京のイベントで“オーガナイザー”という言葉を耳にし、
調べてみると、”organize"=“組織化”するという意味が分かり、

「自分のチカラだけでイベントをするわけではなく、出演するダンサー、シンガー、MC、DJ、スタッフ等みんなのチカラがあって成り立つモノで、
自分の役割はそういう人たちの能力をひとつにまとめることだから、
この言葉がピッタリだ!」

ということで、
以来、意識して“オーガナイザー”という言葉を使っていたようです。
今では東海地方でも定着した言葉ですが、
使い始めたのはこの“KATSU“であり、
以後、ダンサーのイベントをオーガナイズし続けた“KATSU”が現在に至るまで名古屋ダンスシーンに残した影響は非常に大きいのではないかと思います。

少し話は逸れますが、
この頃、『BLACK INDIANS』というダンスパフォーマンス集団が存在しており、
CLUB QUATTRO』や『DIAMOND HALL』でLIVEをするなど人気を博しておりました。

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▲BLACK INDIANS ライブフライヤー

この『BLACK INDIANS』と、『Beeper』の出逢いも、
のちに多くの人の人生を左右する出来事となります。
詳しくは次編以降に記しますので、
記憶に留めておいてください☺︎

名古屋以外の地域での動き


このように、
名古屋で多くのダンスイベントが立ち上がり始めましたが、
この年は、名古屋のみならず、三河や三重でも動きが見られた年でした。


豊橋市では、“SHUICHI”(現、『grand space QUARK』代表)が、
D-NIGHT』というダンスコンテストをクラブ『LAHAINA』で開催します。
GUESTには、毎回東京から『TAILWAGS』や『Mo'Paradise』などが来るなど豪華なイベントだったそうです!

当時、
SHUICHI”は“DJ”としても活動しており、
地元豊橋で『Move front』というパーティーを主催するのみならず、
95年編で紹介した“TAKU-G"(現、”魂宮時”/『studio ku〜空〜』代表)プロデュースの『Master Quality』や、
その後を引き継いだ“SENBA“(『MOVE UP』)主催の『HOUSE  TOPS』など、
名古屋のpartyでも”DJ“をしており、
非常に顔が広かったようです。

また、”SHUICHI“はダンサーとしても、
早い時期から”KOJI“(『ROOTS』, 『ALMA』)を豊橋に招いてはHOUSEを広めていました。
(92年編で少し触れましたが、名古屋は『P.D UNITS』からの流れ、三河は『ROOTS』からの流れでHOUSEが広まっていきます。)

そして、当時NY留学から帰った“YASU”(のちの『FOOT ILLUSION』)と、『THE LiFE』というチームを結成していました。


そんな“SHUICHI”主催の『D-NIGHT vol.1』は名古屋からもエントリーがあり、盛り上がったそうですが、
見事”優勝”に輝いたのが、
Moody Parson』(“TONE”(現、『Living for Nexx』店長), “ウッチー”, “ユーキャン”)
という岡崎市のHOUSE チームでした!
(※ちなみに『Moody Parson』は続くvol.2も優勝したそうです!)

(そして、その後『THE LiFE』と『Moody Parson』で結成されるのが、三河を代表するHOUSE チーム『ESSENCE OF LiFE』です!!)


ちなみに、準優勝は94年編95年編でも紹介した名古屋の実力派HIPHOPチーム『C-HAIS』だっだそうです。
ある意味下克上ですね!

そして、
KATSU“(『Beeper』)が豊橋でレッスンを始めたのもこの頃であり、
豊橋にダンサー人口が一気に増えた年でもありました。
※豊橋の練習場所のメッカは『愛知大学』だったそうです。


一方、三重では、
95年編でも紹介した『entrance』(“YU-JI“, “MO-TA“, “RYO“)が、
三重を代表するHIPHOPチームとして順調に活動を拡げる中、
entrance』以外の注目チームも産声を上げます。
鈴鹿では、『梅辰』(”TAKAOMI“(現、『(株)エントランス』代表取締役), ”RYUZO“, ”MA-KUN“ )が結成され、
名張では『phatbranch』(”COZY“(現、『DELI DELI』代表), “MATSU”)が結成されました。

お気づきの方もいると思いますが、
その後このメンツが三重と名古屋を繋いでいく重要な役割を果たしていきます。


名古屋=HOUSE王国 時代


95年編で紹介したように、
PINOCCHIO』が全国的に大活躍し、
またその先輩チーム『MOVE UP』も、
ダンサーとして、DJとして、
全国にその名を馳せていました。


※大阪 『ADHIP』のイベントに出演した際の『MOVE UP』の使用曲が新しすぎて、
その時、ゲストで来ていた”Peter Paul“と”Caleaf“が、
急遽『MOVE UP』から曲を借りて、
GUEST SHOWのソロ回しに使ったなんて逸話もあります。笑


また、『P.D UNITS』の影響もあり、
かなり早い段階でHOUSEの情報を掴んでいた名古屋は、
全国的に“HOUSEシーンの強い地域“と認識されていました。

しかし、
P.D UNITS』は初代も二代目もメンバーの個性が強すぎる故、
それぞれが独自の表現路線を歩み始めます。

また、
この年『PINOCCHIO』の”PINO“と”KENJI“がさらなる活動の場を求めて、上京します。

そして、
MOVE UP』も”SENBA”, ”MICHI”, ”JUNYA”, “YASU”(現、“DELAYAS”)のHOUSE組と、
AG”, “TAKAO”のHIPHOP組(95年編で紹介した『HIPHOP CORN』)に分かれ、
MOVE UP』名義での活動が減ってきます。
また、
YASU”は昨年頃から就職を機にダンスシーンから一時離れていました。

そんな中、
HOUSE王国名古屋を次に支えていったのが、
この年結成された『UNIVERSE』でした。

MICHI”(『MOVE UP』)は当時、『BT STUDIO』でレッスンをする様になり、
また”ANN“も、92年編で紹介した『CELEZOORATION』などのJAZZ/TAP要素の強い活動から、クラブで出逢ったHOUSEにハマる様になっており、
そんな2人が出逢い、意気投合し、
ある営業イベントのオファーをキッカケに、
互いのHOUSE仲間を集めて結成されたのが『UNIVERSE』でした。

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▲初期UNIVERSEメンバー

初代は、”MICHI“, ”ANN“, ”SENBA“, ”イタ“, ”JUNYA“, “HABA“など。
のちに、”YASU“(現、”DELAYAS“), ”YUKARI“, ”JUNKO“, “BOYA“などメンバーが加入していきます。
BODY  COUNT』で『DANCE DYNAMITE’94』の選考会優勝した“NAO”も、
NYでHOUSEに転向したのち、帰国後『UNIVERSE』で活動した時期もあったそうです。

このように、
名古屋の最前線でHOUSEをするメンバーを次々と巻き込んでいったレジェンドクルーとなりました。

名古屋HIPHOPの反逆


そんな名古屋といえば”ハウス王国”な当時のイメージを覆すために、
名古屋ニュースクールHIPHOPで、
全国で勝負したいという強い思いで結成されたのが、
あの伝説のチーム『Hi-Problem Child』、通称:『ハイプロ』です!!

前述の『MAIN FLOOR』のソロコンテストで優勝した”RYO-Z“が、
J.A.P.』の”OJIRO“と、
当時『Beeper』に1ネタだけ参加していた ”YOSUKE“(現、『Hello Store』代表)
を誘い結成しました。
当時、20〜21歳でした!

そして、
いきなりその年の『OSAKA DANCE DELIGHT(以下、ODD) vol.12』で”準優勝“を果たします!

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▲ODD vol.12 レポート(提供:ADHIP)
※『J.A.P.』(この時は”ウッチャン”, ”AKIO”, ”SAKAI”, KUMAZAKI”)や『H-DAZ』(”HAYATO“, ”DAISUKE“)のエントリーも見られますね◎

※3位、特別賞の『OVERDOZE』『AFRO BLUE』も関西のレジェンドHIPHOPチームです!!

▲ハイプロの伝説ネタ その1
(何度ビデオで観たことか!!)


そして、ここから翌年にかけて、
Hi-Problem Child』の快進撃が始まり、
名古屋HIPHOPダンスの”黄金期”と呼ばれる時代が始まります!!

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▲Hi-Problem Child
(左から、RYO-Z, OJIRO, YOSUKE)


詳しくは次編以降で記します。


というわけで、
かなりの出来事があり、
今回もかなり長くなりました笑

どうしてもコンテストなど結果の出るものは振り返った時に客観的な事実として残りやすく、
そうした結果メインの振り返りになってしまいますが、
当時もクラブパーティーは盛り上がっており、
また『FILA NIGHT』というファッションショーとダンスイベントを融合したようなイベントもあったそうです。

FILA』で”ANN“や”KUMAZAKI“(のちの『PLAYS』, 『HIPHOP CORN』), ”IZUMI”(現、”維月見”), ”TAKAO”(『MOVE UP』『HIPHOP CORN』)
なども働いていたこともあるそうです!
ダンサーの秘密基地的な存在だった時期もあるそうです笑

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▲FILA NIGHTでのNAGOYA SOUL SISTERS
(左から、IZUMI(現、維月見), YUKARI, CHITOSE)

(イカしてますね!)

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▲一夜限りのスペシャルユニット
(左から、KOU, TAKU-G, MAKOTO(チョコブラ), TOMOKAZU, RYO-Z, KING-BOO)

※『CHOCO BROTHERS』の”MAKOTO“は名古屋黎明期を支えるRAPPERです!

また、
KING-BOO“(現、『Marble Studio』代表),  ”SANO“, ”OZEHAN“(ともに『3DOPE HYPE』)らも、
THE UNDERGROUND』で、
毎週木曜に『XXX NIGHT』というイベントを主催していました。
DJに、
DJ SUKU“(当時『THE UNDERGROUND』代表/現、『the empolium』代表)、
DJ MITSU“(現、『nobodyknows+』)、
DJ MURAKAMIGO“(現、『SUGARBITZ』)、
DJ Nigel
らが顔を揃え、平日にも関わらず、毎回200人近く集め、時には300人集まる人気パーティーを開いていました!
(丸美のキャパを考えればどれだけ凄いかが分かりますね!)


というわけで、
次回は97 年。
さらに色んなことが怒涛のように起きていき、
またシーンを担う新世代が次々と流入していきます。


まとめ


それぞれの想いを抱い東海シーンを彩るイベントが多く誕生した年であり、
またこれまでのHOUSE王国名古屋からHIPHOP黄金期の芽が芽吹いた年となった。

↓NEXT↓



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