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目的地がどこなのか改めて考える。

2018年、私は【ucacoceramics】という屋号で開業しました。
屋号を決めたのもなんとなく、だったのです。

2017年、まだ会社員だったころにイベント出店で器の販売をする機会があり、その際にInstagramアカウントが必要で作ったアカウント名が【ucacoceramics】です。

それまで使っていた個人アカウントだと〈陶器屋さん〉というのがわかりにくくなってしまうため、イベント用に別アカウントを作ったのがそもそものスタートでした。(添付画像)
(個人アカウントは当時の仕事の関係で、アウトドアっぽい内容、日々の飲み食い、趣味の陶芸という内容だったので)

アカウント名もずっと残すつもりでもなかったので、個人アカウントで使っていた〈ucaco〉に〈ceramics〉をプラスして[優佳子の陶芸]とドストレートなアカウント名にしました。

インスタアカウントとして私がドハマりしている陶芸という事がわかりやすい様に、私のことを知ってくれていてSNSでの投稿を見てくれていた当時の友人や知人たちにわかりやすい名前にしただけでした。
音の感じが好きで〈pottery〉ではなく〈ceramics〉を選んだのは、なんとなく感覚的に選んでいただけなのだけれど、改めて思うと私らしい気がしています。

その時限りのアカウントのつもりが気づけば開業すぐに雑誌掲載をしていただいたこともあってそのまま屋号として使うことにし、開業届の時に(仮)くらいのつもりで登録しました。

その後も前職のつながりで色々な方が雑誌に取り上げてくださいました。
商品掲載をしていただいたり、インタビュー記事を書いてくださったりと、仕事で知り合ったライターさん、編集者さん、スタイリストさん達がふとした時にお声がけくださいました。

ブランドの1担当者でしかなかった私だけれど、それでもお仕事で知り合った方の多くが会社を辞めてもお声がけくださって、開業時から数年はそんな皆さんのおかげで何とかやっていました。

開業と同時に闘病生活もしていて、当時はあまり身体的な無理がきかなかったのもあって、精神的にも、自分を鼓舞し続ける強さが会社員時代の様には持ち続けらませんでした。

そんな闘病生活の中で、〈陶芸〉は私をとても支えてくれたし、3か月先、半年先、というリアリティがある目標を定めるのにいつも丁度よい選択肢を与えてくれたと思っています。

私は飲み食いが好きで自分の為に陶芸を始めて、商売にするつもりは全然なかったけれど、ふと気付けば仕事になっていました。

23年間の会社員時代に学んだ多くの事柄は一人で陶芸をしていく中でもたくさん役に立ち、その最中にも色々な事を学びました。

全く関係のないことのようでいても、物事には必ず共通項があって、それをどうやって現在の自分事として置き換えていって学びとして吸収するのかは自分のマインド次第だと思っています。

この考え方は若いころからずっと変わらずにあるもので、それもあってか転職したり、職種を変えたりしてもなんとかガッツでやってこられたのだと思っています。

今はやっていけているのかというと正直微妙です。(そこが会社員と個人事業主の大きな違い)
ちゃんと黒字化できるお仕事の依頼はとても少なく、以前はそれでも次につなげていくための広報費だと思って色々と動き回ってもいたものを、ほとんどストップしたのが2023年の現時点です。
色々な思いを経て、全てを見直すことにしたのです。

私が陶芸で目指していたのはどこだったか?
以前は、漠然とだけど将来的には2ndラインを作りたいと思い描いていました。
全てを自分の手で作り、卸売りをしていてはうまく回らないけれど、生産ルートにきちんと乗せて色々な物理的課題をクリアしたら卸だって可能になるはず。そう思って一人でコツコツと制作していました。
でも、その次のステージに行くには結構な資金も必要だし、それこそ今迄みたいに一人でやっていて出来るわけじゃない。ブランドの認知度も上げないといけない・・・
それでずっと一人で製作して卸を続け、発信をしていました。
(卸をするのはPRの一環だと思っているので)

何年か経ち、あの時ぼんやり描いていた気持ちは変化しています。
2ndラインと言ってもむやみに大量生産をしたいわけじゃない。
(それは当時からあった思いです)

私が開業してから製作を始めた[陶器土で作る洋食器]は基本的にはとてもシンプルなモノばかりです。(金彩、プラチナ彩の縁取りの器)

シンプルだけど少し違って見えるのは、磁器のような見た目なのに陶器であるという事。
シュッとしているの?温かみがあるの?どっち??というような所を選んで作っています。
狙っているというよりは、自分がその雰囲気が凄く好きだから、欲しいものを作ったというのが1番の理由です。
(奇をてらったモノ作りはあまり好きではありません)

自分が好きなモノを、世界観を、出来るだけ多くの人にも受け入れやすいように、自己主張しすぎるデザインではないもので表現したかっただけです。
(商品づくりに関する詳細はucacoceramics.comのproductブログでご覧いただけます)

有名店への卸などをしていたのは、有名なセレクトショップに置くことで、自分で手売りしているだけでは伝えきれない方の元へ器を届ける為、知ってもらうためのPRと考えてのことでした。
大きな会社との取り組みのメリットは、先方が撮影をしてくださり、PRし、拡散をしてくれることでした。
他からのオファーが増えるという相乗効果も期待しました。

小さな個人店へ卸していたのは、私の代わりにきちんと一人一人の方に接客をしてブランドの認知を一緒にしていただけると思っていたからです。

それに、沢山売れるようになるには自分自身の認知度が上がらないと売れないし、知ってもらわなきゃいけない。そう思って卸販売は自分の器をブランド化するためのPRと考えて卸していました。
卸しを始めた時にすぐに思っていた(始める前から薄うす気づいていた)のは、この利ザヤで続けたら自転車操業になるな・・・長くは続けられないな・・ということでした。

中には会社の大きさ云々ではなく、制作者である私の無理が無いような掛け率に調整してくださったり(私を育てるような意味合いもあったと思います)店頭でもPOPをうまく活用してくださったり、私の器だけでなく私自身にも関心を寄せてくださっていたことを感じるお取引先様もあり、そういう時にはいつも心が温かくなっていました。

今、卸をやめているのはそれ以外で辛い思いも沢山したからです。
そんな中でも、いくつかのお店さんやスタッフさん、御担当者さんの対応を思うと、またあのお店さんとはお取組みができたらなとは思います。

それが卸販売のSHOPさんであっても無くても、個人さんでも、飲食店さんでもなんでもいいというのがぶっちゃけたところの本音です。

ただ、そこに優しい気持ちがあるかどうか?が私にとってはすごく重要なのです。
自分の器を[高くで売りたい]のではなく[自分を安売りしたくない]という意地です。

本当に舐めてる。と言われても仕方がないです、私。
何物でもないくせに、チョモランマ級のプライドですか?って言われるかな?
それでもいいです。

自分の行動に納得できず、自分を落としめててまではやり続けなくていい。
一度はいろんなことを受け入れて、悔しい思いも全部一旦は引き受けてやってみたんだから。
そのうえで、自分を大切にしよう。守ろう。今はそう思っています。
やっぱり、本当に応援してくださる方をまずは10人、いや5人でいいから見つけたい。見つけてもらいたい。ただそれだけです。

また長々と書いてしまったけれど、結論。
◎目的地=ucacoを含めたucacoceramicsを応援してくださる方に見つかる
◎現在地=物理的な応援が全く足りない
(むしろ応援としていただくオファーの多くが物理的に困窮していくものが多い)

です。
さぁ、ここからどうやって這い上がればいいんだろう?

私の人生ゲームは今いったい何章目なんだろう?
(そろそろ最終の21章だと思いたい)


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