とある雲助の事故の話
とんでもないニュースが流れ、雲助は驚愕している。原型をとどめないエンジンフロント、あたり一面に飛び散らかる黒い破片、パンクした前輪。車内は外から見て、白いシーツに覆われている。車体の前方には、青く透明な粒が不規則に入り乱れている。
更に車体の先を進むと、建物のガラスが真ん中から勢いよく欠け散らかしている。さしづめショーウィンドウといったところか。中には、現代風の赤く艶めかしい棚の上に、傷一つない漆黒のバッグとパンプスが鎮座している。どうも事故現場は六本木のようだ。警察、救急隊が忙(せわ)しなく入り乱れる。
なんでも、アクセルとブレーキを踏み間違えたらしい。雲助は思う。そんなことがあるのかと。事故発生時刻は午後2時。スペイン人ならシエスタをしたくなる時間であるが、雲助にシエスタという概念はないはずだ。雲助には昼も夜もない。あるのは、出勤日と公休日だけだ。
ペダルは確かに2つあるが、踏み間違えるくらい紛らわしい車種でもない。教習所で習った基本を忘れているのではないかと想起してしまう。事故ドライバーの年齢は50代。確かに老眼で視界が黃ぼったくなるにしても、まだよちよち介護が必要な年齢でもないはずだ。むしろ政治家なら脂が乗っている。
雲助になるには、最初にやらなければならないことがある。当たり前だが、教習所通いだ。その教習所で一番最初に習うのは、安全運転かと思いきや、むしろ真逆である。夜の暴走族たちが時速80キロで高架下をドリフトUターンすることがあるのだが、それに近いことを雲助なら経験させられるはずなのだ。
教習所の構内は、とても80キロでドリフトできる広さではない。だが、狭い間隔でパイロンが整然と一直線に並べられ、パイロンとパイロンの間をひたすらスピード競争させられる。こう書くと、パイロンとパイロンの間を好きに選んでいい、と誤解されるが、手前から順繰りに通り抜けないといけない。
はっきりいって、日光東照宮のいろは坂よりもキツい。助手席に乗せてもらい、教官に手本を見せてもらったが、シートベルトが肩にAnaCondaのようにしつこく巻き付き、胃がひっくり返ってキラキラが出そうになる。システマのように呼吸を整えなければ、ウィスキーの瓶を飲んだ後みたいになってただろう。
何せ、あんな狭いコーナーを時速40キロで走るのだ。アクセルとブレーキ、ハンドルを頻繁に操作しないと無理である。しかも、過酷な運転は姿勢から、というように、背筋を伸ばし、ブレーキを確実に踏める状態を作らないといけない。片手でふんぞり返ってハンドル操作をする余裕など幾ばくもないのだ。
初心を忘れた六本木のドライバー、それでも平然としているのだろう。というのも、気にする人からアイドルグループのように卒業していくのだ。神経がウドの大木のように図太くなければ生き残れない。質を求めるのなら、まずは使う人たちのステータスをあげていかないと、風水的にも良くない。
昨今、雲助に厳しい政権が誕生したようだ。雲助が足りない、と世間では言われているようだ。だが、実態は、こうやって、事故が常に背後から付きまとう。事故に耐えられる雲助が果たしてどれだけいるのだろうか?無事故無違反に手厳しいなか、今日もどこかで雲助が一人ひとり辞めていく。
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