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【日記】“15年ぶりの蕎麦”と“赤いオーロラ”と”会社で寝る”の話【24.5/6-19】

久しぶりにちゃんと忙しく働いていて、いよいよ前週の日記が次の日曜日までに書き上げられなかったので、今回は合併号にしちゃう!笑このnoteはそもそも映画の感想を書くために始めたはずなのに、映画を観る時間も、駄文を紡ぐ時間も全然なく(いやきっと捻出するべきだけど怠けていて)本当に悲しい限りだ…。

【今週のいろいろ】
◯読んだ本
『ヴァルター・ベンヤミン 「危機」の時代の思想家を読む』仲正昌樹
『文學界』(5月号)
『誰かがこの町で』佐野広実(Audible)
『密告はうたう』伊兼源太郎(Audible)
◯観た映画・ドラマ
『悪は存在しない』
『えんとつ町のプペル』(Netflix)
『シティーハンター』(Netflix)

▶︎15年ぶりの蕎麦は格別に美味い

5月6日。月曜日。
GW最終日。午前中に仕事を片付けて、ついに、ついに、ついに!念願の蕎麦を食べることにした。高校生のときに蕎麦を食べて体調が悪くなった経験から、15年間も自分が蕎麦アレルギーだと思い込み続けてきた哀れな30歳(なんと人生の半分も!)が、ついに、その呪縛から解き放たれる時が来た!

「啜っていいね」と医師が言ったから、
五月六日はおそば記念日!

食べログの「蕎麦百名店」をしらみ潰しにするぞと勢い込んで、前日の夜にいくつものお店をピックアップしたのだけれど、なんだかんだ午前も仕事に追われて正午をまわり、「まぁ地元に美味しい店見つけたら最高だよね」理論に従って、自宅から徒歩7分ほどの店(それでも評価は高い!)を、活動再開のステージに選んだ。

軋む引き戸をガラガラと開けると、全身がムンと蕎麦の香りに包まれるような感覚がある。その瞬間に、自分の身体が多少強張るのを感じた。「僕にはまだ蕎麦屋は早いのか」「もしかして、実はアレルギーなんじゃないか」などの疑念が脳裏をよぎり、胸中を満たすが、ええいままよ、ここまで来たら食べてやろうじゃないか!

メニューを開くと、そこには見知った文字が並ぶ。
「北海道産そば粉を使用」「道産食材にこだわりました」
僕は恐ろしいほどにさめざめしく肩を落とした。去年の夏までは、蕎麦の名産地の1つである北海道で暮らしていたのに…。僕はただの1杯も食べることができなかった…。だって、、だって、、アレルギーだと思ってたんだもん………。

気を取り直して、目に留まった「えび天せいろ」を注文して待つ。蕎麦は比較的手頃な価格帯の印象があったけれど、「えび天せいろ」は1400円もした。高い。でも、僕にとっては大切な大切な復帰戦。ここで踏ん張らなくてどうする!

待つことおよそ15分。その1皿はやってきた。いわゆる二八そばというやつなのだが、不揃いに切られた麺が見た目だけでもうすでに尊い。しかし同時に奇妙なことに、この麺の、つまりは蕎麦の味を想像できなくなっている。15年という歳月は、僕の記憶から、あるいは味蕾から、「蕎麦」という存在を抹消してしまったらしい。ああ、啜ってみたい。まるで未知との遭遇か。でも、どこか懐かしい。僕の舌が口腔が脳が、蕎麦を思い出したがっていると強く強く感じる。

そして僕は心を空にした。
蕎麦と向き合うことにした。
深呼吸、箸を持ち上げ、摘み、啜った。

美味い。

ああ、これが蕎麦か、と全身が欣喜雀躍としている。
思い出したのだ。
封じられていた記憶を、味覚を。
ああ、これが蕎麦か、とまた全身が欣喜雀躍とする。

そば粉とつゆの絶妙なハーモニー。
僕の人生を、もう二度と戻らない時間を、蕎麦への哀愁と後悔が過ぎ去っていく。

こうして、僕はまた蕎麦を好きになった。
きっとずっと好きだったんだけど。

あの日からもう10杯は食べている気がする。
蕎麦は安いところは安いし、カロリーも低い。

Viva La Soba!!

▶︎赤いオーロラが見たかった…。

5月11日。土曜日。
日本各地とりわけ北海道の空をオーロラが赤く染めた。
数日前に発生した大規模な太陽フレアの影響で発生した、いわゆる「低緯度オーロラ」と呼ばれる現象だった。

実は去年の夏、この「赤いオーロラ」についての脚本を執筆し、光栄なことに「北のシナリオ大賞」というコンペで大賞をいただいた。タイトルは『山神家の森』。去年の9月にはNHKさんに放送してもらい、人生初の脚本家デビューとなった記念の作品だ。

自分の書いたキャラクターにプロの役者さんが命を吹き込んでくれる。自分の紡いだ物語をスタッフの皆さんが世界として奏でてくれる。その嬉しさたるや…!収録にもお邪魔させていただいて、その興奮と感動はきっと生涯忘れることがないと思う。どうにかまた、もう一度。そう願って、書き続けている。

『山神家の森』の舞台となったのは、日本で一番寒いまちとも言われる北海道・陸別町。その名前に相応しいほどに北の大地の奥深くに位置し、一番近い大都市である帯広からですらバスで3時間ほどかかる。公共交通機関のみで行くと、札幌からはおよそ7時間。その経験がすでに神秘的な物語を帯びている。

北海道在住時代には何度か足を運び、“日本一寒いまち”ならではの「しばれフェスティバル」にも参加した。マイナス30℃近い極寒のなか、かまくらで一夜を明かす超耐久型のお祭り。手足の感覚はすぐになくなり、時が止まったかのようなカップラーメンは芸術に変わる。僕にとって、陸別町は忘れられない土地になった。

『山神家の森』の執筆時に取材させていただいた陸別町の方から、「今晩オーロラが見られるかもしれないですよ」と連絡をいただいたのは、土曜日の朝だった。悔しさに唇を噛んだ。今はもう北海道にはいない。もしあと1年早く「赤いオーロラ」が出現してくれていたら、きっと僕はすぐにでも陸別へと駆けつけ、その光景を目の当たりにできたに違いない。翌朝、テレビ局はどこも「赤いオーロラ」の興奮を伝えた。またしても、名状しがたい悔しさに襲われた。

『山神家の森』で描きたかったことの1つに、“誰かと何かの瞬間を共有する”ということがあった。人は誰しもきっと忘れられない光景がある。それは、家族と行った幼い日の旅行かもしれないし、友人と直面した悲しい出来事かもしれないし、恋人と分かち合った日常のひとコマかもしれない。その前後のことはよく覚えていないけれど、なぜか脳裏に、まさにシャッターがきられたかのように焼きついた光景。それは誰かと共有することで情景となり、記憶へと昇華するように僕は思う。

「赤いオーロラ」はそんな情景のそしてかけがえのない記憶の萌芽を、あまりにも秘めていると僕は感じた。それは「赤いオーロラ」が宇宙という絶望的に大きなスペクタクルのなかにあるという理由もさることながら、私たちが普段は忘れかけている「空を見上げる」という身体行為を思い出させてくれるからだと思う。「誰かと見上げた赤いオーロラ」は、きっとその誰かとの、かけがえのない記憶になるに違いない。僕はそれを体験してみたかったのだ。そして体験できないと思っていたからこそ、『山神家の森』にその想いを託したつもりだった。

もし今度「赤いオーロラが見られるかもしれない」と言われたら、是が非でも北海道に行こうと決めた。やっぱりこのままその光景を目にしないでいることは、きっと生涯の心残りになってしまう気がするから。だけどきっと、あの日夢見た“誰か”はそこにいないのかもしれないけれど。

▶︎会社で寝始めたら終わり

5月17日。金曜日。
今週もやけに忙しかった。しかしそういう時こそ決まって、珍しい人から飲みの誘いを受けたりするものだ。今週は13日の月曜日と17日の金曜日、2回もそういう機会があった。

本来ならば「忙しい時期で…」と断念すればいいものの、滅多にないお誘いと、やっぱりお酒好きな本性が騒ぎ、「仕事が終わり次第伺います!」と返事をしてしまう。合流できるのはだいたい22時ごろになり、いやに上機嫌で赤ら顔の皆さまに迎えられ、「では店を変えますか」となる。

22時過ぎに店を変えるということは、2軒目にたどり着くのはどれほど早くても22時半。飲み始めたら23時になって、家が近い人たちからは「まぁタクシーで帰ればいいよね」という雰囲気が漂い始める。和気藹々と酒が進み会話も弾み、過ぎていく時間。しかし僕は職場から家が遠いので、タクシーでは帰れない。

困った、困った。本当は「僕は終電があるので」と切り出したいところだが、遅れて来た手前、なかなか途中では抜けにくい。ましてほとんどが僕より年上だ。よくないことだとは思いつつ、遠慮が心に澱む。そうしていつのまにか午前0時をまわり、気づけば僕の終電はなくなっている。困った、困った。

そして深夜1時や2時になると、早めから飲んでいた諸先輩方は疲れを見せ始め、「じゃあ帰りますか」とタクシーの動向を探り始める。冗談じゃない。僕はもう帰れないのだ!それならば朝まで飲んでくれ!という心の叫びを押し留め、「お疲れ様でした」と頭を下げる。そして僕は一人、職場へと戻る。

幸いなことに、職場のなかには椅子も机もある。当たり前だ。深夜3時。結局、先輩への遠慮と明日への恐怖でお酒の進まなかった僕は、シラフとほろ酔いの狭間で、ゴツゴツとした椅子に身体を横たえる。心のうちで谺する。

なにやってるんだろう。

明日までにやらなければいけない仕事が脳裏に浮かび、ポツポツと作業したりする。身体から嫌な汗が滲む。明日のどこか、1時間でもあればシャワーだけでも浴びに帰ろうと思ったときに、「終電で帰っておけば...」という後悔が襲う。

本当になにやってるんだろう。

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