鵜林伸也の読書遍歴⑪ハードボイルドは楽しい!

 前稿にて「編集者にいろいろ本を勧めていただいた」と書いたのですが、そのうちのひとつが、ロス・マクドナルド『さむけ』です。先に書いた通りハードボイルドにはなんとなく苦手意識があり未読だったのですが、本格ミステリとしても楽しめる、という言葉と、プロになったのだから有名作は読んでおこう(いや、プロになる前に読んでおけという話ですが)という気持ちで、手に取ります。
 ところが、です。
 いやあ、おもしろかった! ほんと、なんで「ハードボイルドは合わない」なんて自分は思っていたんでしょうか!
 これはもうすべての人(自分を含む)へ言いたいことですが、食わず嫌いにいいことなんてひとつもありません。とにかく読んでみるほうがいいのです。
 『さむけ』『ウィチャリー家の女』と立て続けに読んだ僕は、続けてどんどんハードボイルドを読んでいきます。
 まずは、ダシール・ハメット。『マルタの鷹』は「なるほどこれがハードボイルドの原型か」と感心しましたが、より楽しかったのは『ガラスの鍵』です。どれだけ肉体的打撃を受けようと強がりを貫き通す私立探偵のかっこよさといったら。あれこそ、ハードボイルドでしょう。
 続いてチャンドラーを読んでみたのですが、これはちょっと、肌に合わなかった。『長いお別れ』はなるほどよくできているし、あの名セリフはこう活かされるのか、と感心したものの、結局、フィリップ・マーロウの語りがいまいち合わなかったのだろうと思います。
 そこからネオ・ハードボイルドに手を伸ばすのですが、なんといっても大好きなのがマイクル・Z・リューインです。これまでのハードボイルドの私立探偵のようにすぐにドンパチしない、依頼人に寄り添う優しさを持った名探偵像が新鮮でした。名作『A型の女』は言うに及ばず『沈黙のセールスマン』『夜勤刑事』なども大好き。
 また、ロバート・B・パーカー『初秋』も忘れがたい作品です。いえね、大自然の中での暮らし、ひ弱だった少年の成長、という物語、めちゃくちゃツボなんですよ! そりゃあ好きに決まっています。もちろん、続編の『晩秋』も楽しく読みました。
 ハードボイルド、という文脈で挙げるのは適当ではないと分かったうえで取り上げますが、ディック・フランシスの競馬シリーズも好きです。『興奮』『大穴』をはじめ名作ぞろいですが、特に好きなのは『利腕』。どれだけ痛めつけられようと決して折れない主人公、そしてラスト一行の決め台詞のかっこよさは、まさしくハードボイルドだと僕は思うのですが、いかがでしょう?

 続いて、国内のハードボイルドに目を向けましょう。初めに挙げるべきは、原尞『私が殺した少女』しかありません。なんといっても、物語の一行目から事件が始まる、というスピード感が素晴らしい。ミステリとして、見事。
 結城昌治もいいですよね。『ひげのある男たち』といったユーモアミステリの書き手としても好きですが『暗い落日』『ゴメスの名はゴメス』といったハードボイルド物もまた傑作。
 その流れで手を出したのが志水辰夫『行きずりの街』で、こりゃおもしろいとなって初期作も読むのですが、これがまたさらに素晴らしい! 世評が高い『背いて故郷』のおもしろさを一〇〇パーセント認めるとしたうえで、僕は『裂けて海峡』が一番。巨悪と戦う一人きりの山中の逃避行、ラブロマンスのなんとおもしろいことか。もちろん『飢えて狼』もいい。
 逢坂剛は『百舌の叫ぶ夜』ももちろんいいんですが、『カディスの赤い星』のおもしろさがたまりません。ハードボイルドというより冒険小説の色合いが濃くなりますが、船戸与一『山猫の夏』『猛き箱舟』もめちゃくちゃおもしろかった。そのまま冒険小説に触れるなら、佐々木譲『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』も大好き。
 話をハードボイルドに戻しましょう。仁木悦子の『冷えきった街』に代表される三影潤シリーズはとても好き。ハードボイルドといって想像する派手なアクションは一切ないのに、まがうことなきハードボイルドという傑作シリーズです。時代を一気に現代に引き戻して、樋口有介も大好きな作家です。シティハンター並みにどれもこれも同じ話、と分かっていても、その空気感が大好きだから、読んでしまう作家です。
 ちょっと系統を変えて――ここで紹介するかSFで紹介するか迷ったのですが――鏡明『不確定世界の探偵物語』は、自分の読書歴の中でもベスト20にはまず入るであろう、というぐらい偏愛の一冊。タイムマシンが発明された世界で、どれだけ巨悪に抗い事件を解決しようと、タイムマシンによって無効化されてしまう。
 ハードボイルドとは、悪に対して一人で立ち向かう騎士の物語、であると思っています。ですから警察などの組織には滅多に頼りませんし、騎士ですからそれで利益をえようともしません。悪や、社会や、組織といったどうにもならない相手との孤独で甲斐のない戦いこそが、ハードボイルドであると。
 どれだけ戦おうと、すべてタイムマシンで無効化されてしまう。これほどハードボイルドらしい、孤独で甲斐のない戦いはないのではないでしょうか。だから僕は『不確定世界の探偵物語』が大好きなのです。
 というように挙げていくとキリがない国内ハードボイルドですが、もっとも好きな作家は、と言われれば、高城高かもしれません。最初期のハードボイルド作家、大藪晴彦や河野典正もいいのですが、それはやはり海外ハードボイルドのコピーに思えてなりません。日本人ならではの視点で、日本人にしか書けないハードボイルドを最初に書いた作家は高城高ではないか。『墓標なき墓場』などを含む、東京創元社から出た高城高全集は本当に大好きで、これを出してくれるなんてさすが東京創元社!ありがとう!と言いたくなります(ゴマをすっているわけでは以下略)

 こうしてすっかりハードボイルドの影響を受けた僕は、当時、自分の文章力の拙さに悩んでいたこともあって、練習として、徹底的に描写に拘ったハードボイルド風の話を書こう、と考えます。ミステリとしては最低限のストーリーさえ成り立っていればいい、ネタに対しての長さは度外視してひたすら丁寧に描写しよう、と。
 こうして書きあがったのが、地元・神戸の福原を舞台とした女探偵が主人公となるハードボイルドです。あれ、案外これは出来がいいぞ、となって編集者に送ってみたところ「なかなかよく書けている」という返事だったのです。ただし「ミステリとしてのネタに比して長すぎるから発表はできない」とも付け加えてありましたが(そりゃあそうです、そう書いたのですし)。
 もともと練習作のつもりだったので、僕はめげずにそこで身につけた描写力で、長編ミステリを書きます。正直に言うなら、それもまた練習作のつもりでした。ところがこれが、またまたうまく書けた。この作品は編集者からも高く評価を受けたものの、ネタが被る先行作があったことなどの事情でボツに。
 しかし、やり方そのものはまちがっていないはず。僕はその作品で得た手応えを生かすべく、今度こそ勝負作を、という思いで長編執筆に取り組みます。
 そうして出来上がったのが『ネクスト・ギグ』です――というお話は、次稿。いよいよ最終回となります。

《宣伝》『ネクスト・ギグ』創元推理文庫より、発売中!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?