鵜林伸也の読書遍歴⑤有栖川有栖という衝撃~鵜林伸也のミステリ観~

 ここまで書いていて、思う人もいらっしゃるでしょう。「あれ、本格ミステリの話はいつ出てくるの?」と。
 そうなのです。実は、大学生になるまで僕は、きちんと本格ミステリに触れてはいませんでした。ミステリ、という枠に入るのは、シャーロック・ホームズに赤川次郎、宮部みゆき、それに加え、漫画やドラマで親しんでいた『金田一少年の事件簿』ぐらいのものでしょうか。
 そんな僕が、本格ミステリの洗礼を受けたのはいつか。それは、大学二回生の終わりごろ、ちょうど二十歳になったばかりのときでした。
 当時僕は天文部に属していたのですが、後輩に、ミステリ研(だったか、創作文芸部だったか)を掛け持ちしている女の子がいたのです。彼女に「ミステリに興味があるなら」と勧められたのが、有栖川有栖『月光ゲーム』でした。
 いやあ、おもしろかった。目を見開かされました。ミステリとはこんなのおもしろいのか、と。
 シャーロック・ホームズ、赤川次郎、あるいは『金田一少年の事件簿』などを読んで、ミステリのおもしろさは知っているつもりでした。しかしこれは、別種のおもしろさだった。
 それはつまるところ「謎」と「解決」のおもしろさではないでしょうか。
 しかし、あなたは思うかもしれません。『月光ゲーム』に、衝撃を受けるようなおもしろい「謎」があったっけ? と。
 あるんですよ。「河原に落ちていた不自然な数のマッチ、という些細な手掛かりから、どのようにして名探偵は真相を見抜くのか」という謎が。続く『孤島ゲーム』でいうなら「自転車にひかれた跡が残る紙」、名作『スイス時計の謎』なら「犯人が持ち去ったスイス時計」。そんなのから絶対犯人なんて分かるわけないよ、という手掛かりから、見事なロジックで導き出される唯一無二の真相。
 そう「解決のおもしろさ」とは、ロジックのおもしろさ、です。手掛かり単体なら「絶対に分かるわけがない」のに、ロジックによって立証されてみると「なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか」となる。『月光ゲーム』には、不可思議な謎も、大袈裟なトリックもありません。しかし「謎」と「真相」とつなぐ解決=ロジックが見事であれば、こんなにも読者をおもしろがらせることができる。
 これがミステリなのだ、と。
 この連載の第一回を振り返ってみてください。僕は、子供向けの本の「リアリティーのなさ」「説得力のなさ」に辟易し、歴史物やシャーロック・ホームズ、ズッコケ三人組シリーズに手を伸ばしました。そんな僕が、小説中に張り巡らされた伏線という文字情報だけで抜群の説得力をもたらしてくれる「本格ミステリ」に心奪われたのは、必然と言えるかもしれません。
 ミステリの魅力とはなにか。謎の魅力である、という人もいるでしょうし、真相の意外性である、という人もいるでしょう。密室や見立てという道具立て、巧みな伏線、ミステリを通じて描かれる人間ドラマやストーリー。
 そのどれもが正解であり、僕自身もそのどれもにミステリとしてのおもしろさを感じていると断ったうえで、自分がぶん殴られた本格ミステリの衝撃、有栖川有栖の衝撃というものの原点は、ロジックのおもしろさ――読者の予想外のものを、単純明快なロジックで結びつけてしまうおもしろさ、なのでしょう。『ネクスト・ギグ』で言うなら(ネタバレにならないようにぼかして書きますが)エレベーターのあれ、ですね。後年、『ネクスト・ギグ』を読んでくださった有栖川さん当人が、開口一番「あそこがよかった」と褒めてくださいました。やっぱり、そこなんですよ。
 先述のように、ミステリには多様な魅力があります。それらを存分に生かしたミステリを、これからも書いていきたい。しかし、自分の原点として「ロジックのおもしろさ」があることは忘れないでおきたい。どの作品を読んでも「これだよ、これ、これが鵜林伸也だよ」と言われる美点としたい。
 いま改めて、そう決意を新たにしています。

 『月光ゲーム』『孤島パズル』はたしか借りて読んだはず(後に買い直しました)ですが、この二冊を読んで我慢できなくなった僕は、借りに行くのももどかしく原付バイクで書店に走りました。言うまでもなく『双頭の悪魔』を読むため、です。
 もっとも好きなミステリ小説を一冊挙げろ、と言われれば、迷うことなく『双頭の悪魔』と挙げるでしょう。それほど僕にとっては大切な、思い出に残る作品です。
 前二作を受けて否が応でも高まった期待、お馴染みのメンバーが寸断されて始まる物語、怪しげな村の怪しげな人々、鍾乳洞、そして、三つも挿入される、読者への挑戦状。あのワクワク感と、解決の際の「なるほど!」という強烈な納得感。文句のつけどころのない本格ミステリである、と断言します。
 学生アリスシリーズのあとは、もちろん『46番目の密室』に始まる火村シリーズを読みました。あるとき、家の鍵を失くしてしまって一晩家に帰れなかった僕は、書店で『ダリの繭』『海のある奈良に死す』を買って、京都市円町の二十四時間営業の喫茶店、からふね屋で朝までかけて二冊とも読んだのも懐かしい思い出です。このころ読んだ火村シリーズでは『朱色の研究』が一番好き。普通であれば理屈に合わないはずの犯人の行動の説得力、砂浜に伸びる影から真相を導くロジック、周参見海岸の情景など、忘れがたい一作です。ノンシリーズの『マジックミラー』『幻想運河』もいいですよね!
 短編で言えば、神戸生まれの人間にとって『蝶々ははばたく』には強い思い入れがあります。もちろん先述の『スイス時計の謎』も大好きですが、この段階(2002年ごろ)ではまだ刊行されていませんので割愛。
 このように、語りだせばきりがありません。有栖川有栖に出会わなければ、僕が本格ミステリの道に入ることも、今こうして作家として活動していることもありえませんでした。後に僕は、『月光ゲーム』の版元である東京創元社からデビューし、その最初の単行本の解説を有栖川有栖に書いてもらうこととなる――という話を二十歳のときの僕にしても、絶対に信じなかったでしょう。
 この運命に僕がどれだけ感激し、どれだけ感謝しているか。そういう気持ちを少しでも伝えたくて本稿を書いている、という面もあります。

 こうして有栖川有栖を入り口として、いわゆる新本格の世界へずぶずぶと入り込んでいくことになります。
 例の後輩に次に勧められたのが、北村薫でした。『空飛ぶ馬』に始まる円紫師匠と私シリーズはもちろん、ミステリとは言えない時と人三部作(個人的には『ターン』が一番好き)まで読みつくすことになります。印象深いのが『水に眠る』で、短編小説というものの味わいを知った読書でした。いったい何度読み返したか。実は宮部みゆきが東京創元社から出ていたのだ、ということを知り『パーフェクト・ブルー』を読んだのもこのときです。
 この流れから分かるとおり後輩氏は新本格でも東京創元社系好みなのですが、天文部にはもう一人新本格好きの後輩がいまして、こちらはゴリゴリの講談社系。最初に読んだのはもちろん綾辻行人で『十角館の殺人』には見事にやられました。それでも一番好きな館シリーズはと言われれば『時計館の殺人』ですが『霧越邸殺人事件』も同じぐらい好き。
 法月綸太郎のシリーズも一気読みしました。『密閉教室』のどこか中二病臭さのある拗らせた青春ミステリは大好きですが、ベストなら『頼子のために』でしょうか。能天気に探偵をしていた法月綸太郎が闇へと落ちてしまった瞬間は忘れられません。
 その後輩氏は京極夏彦の大ファンで、京極堂シリーズも彼女に勧められて読みました。『鉄鼠の檻』を一晩で読んだのは、いやほんと若さゆえのパワーですよね、と(今は絶対にできない)。個人的なベストは『絡新婦の理』で。
 もちろん、島田荘司も読みました。残念ながら『占星術殺人事件』はネタバレ済みでしたが、それでも楽しめました。しかし一番好きなのは『斜め屋敷の犯罪』です。いえ、犯人やらトリックやら、ある程度想像はつきましたよ? それでもやっぱり、美しいじゃないですか。たったひとつのトリックのためにあれだけの労力を注ぎ込んでしまうのが。

 しかし、このときの後悔は「新本格で止まってしまったこと」です。横溝正史『獄門島』『本陣殺人事件』、高木彬光『刺青殺人事件』『人形はなぜ殺される』、鮎川哲也『黒いトランク』などは読んだものの、それ以上古典には手を伸ばさず、海外ミステリを読むこともありませんでした。
 もしミステリ研究会に入っていれば、周りからの推薦でそれらを読んだかもしれません。しかし当時すでに三回生であった僕は、いまさら新しいサークルに入る気はありませんでした。
 もう少し早く本格ミステリと出会っていれば……というのは、言い訳にしか過ぎませんね。このときの後悔(失敗、と言ってもいい)は、のちのちまで――いえ、今に至るまでずっと――引きずることとなります。

 というわけで、有栖川有栖と、本格ミステリと出会った僕は、趣味として継続していた創作のほうでも、大きく本格ミステリのほうへと舵を切っていくのです……というお話は、次稿で。

《宣伝》『ネクスト・ギグ』創元推理文庫から、7月29日に発売されます!


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