コミュニケーションと身体の関係 その1
人間関係の悩みは尽きません。
私もたくさん悩みましたし、
そこから学んだことも数多くあります。
争いごとの多くは意見が対立する場面
つまり
善か悪か、正義と悪、白か黒
それぞれに正解があり
それぞれが主張し、
何が正しいか
決着を着けようとすることから争いが生まれます。
仮に太陽の色は何色か?
という質問があった時
黄色、赤色という子供がいます。
私は白だと思います。
透明や黒と表現する人だっているかもしれません。
そもそも一色じゃないんじゃないか、等
意見は一致しません。
無理なんです。
しかし。
このお題では理解できても
□上司があの役職で妥当なのか
□いう事を聞かない子供のしつけ方は
□戦争は正しいのか
などの質問になったとき
特別な感情になる自分がいて
頭に血が上り冷静になれない事も少なくありません。
頭で理解できていても
実生活でそれが活きるまでには
何かが隔たりとなっているのです。
それを私はコミュニケーション武道の中で
身体が変化していないからだと教わっています。
コミュニケーション武道というのは
護身術ではありませんし、
相手を倒すことを目的ともしません。
相手(人間)を感じる力を養うことを目的とします。
これは人間関係に直結します。
例えば
相手が攻撃的な力を用いてくるとします。
投げ技を繰り出そうと、
手や胸倉を掴まれたとします。
その際
こちらも攻撃に反して、掴み返したり、投げ返そうとしたりすると
どうなるでしょうか。
ゴングが鳴り、試合開始です。
どちらが強いか、勝敗が決する格闘技に発展しています。
これをコミュニケーションに例えると
私の意見や考え、性格などを否定、攻撃してきた場合
こちらが便乗して相手を罵ったり反撃すると
喧嘩がはじまります。
仕事上ではトラブルです。
クレームに対して、こちらが攻撃的な反応をして
どちらが正しいかなんて決着をつけて
仕事がうまくいくなんてありません。
仕事や恋愛、すべての人間関係をうまく構築する人は
相手を読むのがうまく、
相手が何を考えているか
こちらがどういう言葉をかければ
上手く事が運ぶかが見えています。
『無敵』という言葉がありますが、
これは向かう敵なしの強さという意味ではありません。
敵をつくらない強さという意味です。
仏陀(ブッダ)は
苦行の果てに悟りはなかったといいました。
仏陀は数々の苦行を自らに課せたことでも有名ですよね。
しかし、自らが努力をしすぎてしまうと
今度は努力していない人を悪とし
怒りの感情が込み上げてしまいます。
私はこんなにやっているのに
相手はなんで楽をしているんだと。。
その2へ続く。