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青いサヨナラ

「大丈夫だよ」
彼はいつもそう言っていた。
「僕を信じて。きっとうまくいくから」

彼との出会いはありふれたものだった。
友人同士が知り合いで、それがきっかけで彼と出会った。
彼の育ちの良さは、つきあいはじめてすぐ気づいたけど、実際に彼がお金持ちの良い家柄の一人息子という事は後から知った。
お勉強も出来て、良い大学も出ていて、いろんな事を知っていた。
彼はもちろんそんなことをひけらかす人ではなかった。
そんな私と彼の共通点は旅が好き、という事ぐらい。
でも彼は私の何倍も色々な所に行っていて、そんな遠い国の話を、私がせがむままに色々教えてくれたし、いつでも私に優しく丁寧に接してくれた。

そんな彼を私が好きになったのは、本当に自然なことだった。
不思議なことに、彼も私を好きになってくれた。
裕福ではないどころか、つぶれる寸前のような花屋の娘の私なのに、なぜか彼はお姫さまのように扱ってくれた。

初めて二人で出かけたのは、人の少ない海辺。
その日はとても天気がよくて、空の色を映した海の晴れやかな青さは今も忘れることができないぐらい美しかった。
そんな景色を見ながら砂浜で火をたき、コーヒーをいれたり。
彼の作ったコーヒーは、どんな高級店よりもおいしいと思った。
その後も私達は人の少ない静かな場所へ行くことが多かった。
きっと高級店での食事などに慣れてない私が気おくれしないよう、気遣ってくれてたのだと思っていた。

だけど・・・
ある頃から私は不安になった。私達をとりまく現実が見えてきたからだ。
彼はお金持ちの跡継ぎ息子。
「そんな事、関係ない」
彼はいつも笑顔でそう言ってくれた。
私は彼の言葉を信じようと思っていたけど・・・。

彼の家に遊びに行った時のこと。
あまりに大きく立派な彼の家に、私は圧倒された。
広い家にはホコリ一つなく、きれいに片づけられた、まるで高級ホテルのような部屋。
そこで私ははじめて彼の母親に紹介された。
彼によく似た綺麗で上品なご婦人。彼女も私に笑顔で接してくれた。

ただ・・・その日以降、彼が私を自宅に連れて行くことはなくなった。
何も言わない彼が、私を傷つけまいとしてるのは感じていた。
そして彼は優しい人だから、きっと、私だけでなく、彼の母親も傷つけたくないはず・・・だからこれ以上私を家に連れて行くことはないだろう。
彼は自分から誰かを傷つけるようなことはしないだろう、きっと永遠に。
彼は"幸せの王子"なのだ

その後も彼は、私に優しく接してくれた。
でも時に私は、不安を彼にぶつける事もあった。
私は彼の家にふさわしくない、このまま付き合い続けるのは無理、と。
でも彼は笑顔のままこう言うのだった。
「大丈夫、僕を信じて」
私は彼の言葉を受け入れるしかなかった。

夏になり、彼は私のためにコテージを借りてくれた。
静かな山の中にある小さな家。休日はそこで過ごすようになった。
誰に気兼ねもなく、二人だけで料理をし、食事をし、二人で同じベッドに寝た。
幸せな時間と空間がそこにはあった。
「君がよければ、仕事をやめて、ずっとここにいてくれてもいいんだよ」
彼はそうも言ってくれた。

都会に戻ると、現実が私に押し寄せてくる。
彼との幸せが、はかないものだという事をあらためて感じる。
あのコテージで暮らせば、そんな思いはしないですむだろう・・・しばらくの間は。
彼は週末に私をたずねてきて、私に優しくしてくれるだろう。そして休日が終わると彼は去る。
そんな暮らしは、私は耐えられそうもなかった。
きれいな家でなくても、傷ついたとしても、彼とずっと一緒にいたかった。
でも彼はそんな生き方はしない・・・彼は自分から、何かを壊すようなことはしない人だから。
彼は彼なりに何かを犠牲にしてるのだろうけれど・・・でもきっと、ツバメが死んでしまっても気づかない幸せの王子様なのだ。

秋の冷たい風を感じ、空の青の色も変わりはじめた。
それでも彼は変わらず優しい。
小川の横で焚火をし、いつものように彼がコーヒーをいれてくれた。
おいしいかったけど、その日はいつもより苦く感じた。
何も変わらないはず・・・いや、私が変わったのかもしれない。
秋風が、私の心を通り抜け、河原のコスモスを揺らしていた。
その花の中に折れたものがあった。
私は歩み寄り、その折れた、まだつぼみだった花を拾い上げる。
「かわいそうに」
「ああ、さっき水を汲んだ時に僕が折っちゃったのかもしれない」
「・・・仕方ないよね、気づかなかったら」
私の言葉に彼は微笑みうなずいた。

そう、気づかないものは仕方ない、悪気がないのだから。
「でも・・・傷つけるのはイヤ」
私はそのつぼみを、そっと川に流した。
冷たい川の色は私の心をうつしたようなブルーで、その流れがつぼみを遠くへと流し去っていった。

私は手紙を書いた。
あの時、つぼみを流した川の色のような青のペンで。
ただ「サヨナラ」とだけ書いた。
そしてその手紙だけを残し、コテージを去った。
もう戻らない覚悟で。
きっと彼には、幸せの王子様には、なぜ私が別れを告げたかわからないだろう。彼は私を幸せにしていたつもりだから。
それでいい。
それが私のせめてもの彼への報復。
サヨナラ、幸せの王子様。

    ~ Fin ~


~Listen to their story~
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第1話 Love again

第2話 哀しきBroken Heart

第3話 赤い月 

第4話 シンデレラナイト

第5話 青いサヨナラ




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