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美大受験反対されて泣きながら自転車で爆走した夜

この季節になると思い出すことがある。
高3の夏休みが終わった9月、夜の街道を泣きながら自転車で突っ走った時のことだ。

美大受験を決意したのは高3の夏だった。
今までバイトで貯めたお金を注ぎ込んで予備校の夏期講習に通った。

その時点で親には一言も美大受験をするなんて言ってなかった。高校卒業後は就職する、と親も疑っていなかったし、私もそうすると思い込んでいたからだ。

でも、なぜか、美大に行かなきゃいけない気がして勝手に決めた。

夏期講習に参加した頃はお金はどうにかなるし、美術系の学校ではあったので実技もなんとかなると思い込んでいたけれど、夏期講習が終わる頃には、予備校を続けなきゃ絶対受からん。ということと、このまま通っても多分、受からん。ということだけ分かった。大ピンチである。

予備校の先生から夏期講習以降も続けるならこの日までに入金してね、と入学金やらなんやらを突きつけられて、いよいよ黙っておるわけにはいかん。と、とうとう父と対面した。

私「美大行くことにするわ」
父「そんな金どこにあるんじゃ、行けるわけがないだろう大学なんて」
私「行きたいったら行きたいんじゃ!お金がなかろうが全部自分でどうにかする!なんの援助もいらん!こんな家、だいっきらいじゃ!!!!」
私はこんなことを言いながらローテーブルをちゃぶ台返しした。


ほんとに綺麗にテーブルはひっくり返った。

当時の私は、お金どうにかしてくれませんか。私、本気で美大行きたいんです。ってちゃんと言いたかったんだと思う。でも、分かってくれないこともわかってたから叫ぶしかなかった。

その後家にはいられなくて、家を飛び出して、まっすぐな道をひたすら自転車で走った。泣いて泣いて、なんでわかってくれないんだとか、どうしてうちはお金ないんだ、とか、でも絶対諦めたくないとか、いろんな気持ちでワンワン泣きながら走った。


改めて振り返ると、多分この時に私は自分の人生をどう生きていくかこの道の上で、覚悟して、本気で、決めたんだと思う。


その後、予備校に通って実技、予備校通うためのバイト、学科試験のための勉強、学校生活と卒業制作(美術系高校はあるんです)を受験期まで続けることになる。

それはもう地獄でどう考えてもキャパオーバーで、ご飯は喉を通らなくなって、ガリガリに痩せて、学校もサボるようになって、友達とも話したくなくなって、当たり前だけど現役合格は果たせなかった。


もちろん、一人でなんてなんにもできなかった。いろんな人にたくさんたくさん助けられながら志望校に合格して、今現在がある。

今でも時々、この夜のことを、風や、湿度と共にありありと思い出す。


この時爆走した道を未だに泣きながら走ってるような気もする。

でも走り始めたことも走ってることにも後悔はない。たくさん迷惑かけてたくさん感謝して一生懸命生きるだけだ。


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