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「いつも笑顔でいられるよう」うーめん専務のハートフル人生

宮城県白石市で地元に愛され続けているご当地麺「白石温麺(うーめん)」。

会長自ら「ハートフルヌードル」と呼ぶこの商品を創業以来126年手掛け続けるきちみ製麺。そこに集う人々もまた、ハートフル。

「社員とお客様と、毎日笑顔で過ごしたい」そう語るのは、きちみ製麺を経理や総務の面から支える縁の下の力持ち、専務・吉見智恵。

今回の記事では、元教員から商売人という当時としては珍しい道へと進んだ彼女が、人生が変わるきっかけとなった吉見光宣会長との出会いから、きちみ製麺と共に歩んだこれまでを振り返ります。




こんにちは。きちみ製麺の吉見智恵です。生まれも育ちも宮城県松島町だったわたしが白石市にきたきっかけは結婚。移り住んで気がつけばもう38年となりました。

私の人生のターニングポイントは、会長でありわたしの夫である吉見光宣との出会い。ちょっぴり恥ずかしいですが、私のお話を聞いてくださいますかーー。

反対する両親を説得してたどり着いた「きちみ製麺」との結婚生活。

きちみ製麺会長と出会った頃の写真

会長との出会いは、大学時代の友人がきっかけでした。会長のいとこでもある友人がなかなか結婚しない私に気を回して紹介してくれたんです。

元々中学校の教員をしていた、どちらかといえば堅い世界にいた私にとって会長の第一印象は「面白い人!」。本当にいろんなことを知っている会長はそれまで自分の周りにいなかったタイプで、世界を一気に広げてくれる存在でした。

今でもすごく覚えているのが、初対面でいきなり魚の中落ちの話をされたこと。そんな人いませんよね(笑)!話していても飽きないし、何より「笑顔が素敵な人だな」と思っていました。

もちろんただ恋愛に浮かれていた話ではありません。当時、会長はきちみ製麺に帰ってきて2年目を迎える頃。結婚をするということは、同時にわたしも白石へ移り住み、きちみ製麺を共に支える存在になるということも自覚していました。母には「商売屋だけは行かないでくれ」と常々言われていたので、結婚には随分反対されました。母の姉が商売の家に嫁いで苦労しているのを見ていたので、娘にはその道を歩んでほしくなかったみたいです。でも強い意志で伝え続けたら、最終的には背中を押してくれました。

白石に移り住んでからは二人の子どもに恵まれました。最初は子育てに専念し、下の娘が3歳になった頃、きちみ製麺での仕事を始めました。今でも伝票起こしや給与計算、送金などの経理関係のデスクワークを担当しています。

「うーめんは主食」から生まれた〇〇型食堂

白石に暮らし始めて38年、今となってはすっかりうーめんが暮らしに馴染んだわたしですが、実は地元の松島にいる時に持っていたうーめんのイメージは、お盆やお彼岸などにちょこっと茹でて仏壇にお供えするもの、という程度でした。

ところが白石に来たら箱入りのうーめんが売っていてびっくり!「こっちでは主食で食べるんだよ」と聞いてイメージがガラリと変わりました。
その後、白石以外の地域で主食として食べられていないのがもったいないな、まだまだ宣伝をすれば届けられる余地があるんじゃないか?と思って、提案してできたのがきちみ製麺隣にある古民家を活用した、工場併設型食堂の「光庵」です。まずは食べて美味しさを感じてもらえば、きっとうーめんを買ってみたくなるのではと考えました

うーめんが食べられる工場併設型食堂「光庵」

食堂をやると決まった時も、どれくらいお客さんが来るのかわからなくてすごく不安でしたが、「美味しいうーめんをお出しすれば、きっとみんな食べに来てくれる」と信じていました。

実際に、地元の友達が白石に寄ってくれた時に食べてもらうと、必ず「うーめんって美味しいんだね」となるんです。そんな風に地道に横に広げていくのがうちらしい宣伝の仕方ですね。やっぱりまず食べてもらうのが大事なんです。今では口コミで評判になり、成功して本当によかったです。

「俺って人を見る目があるんだよね。」きちみ夫婦の事業承継。

会社のこれからを考えたときに悩みだったのが後継者のこと。息子は会社を継ぐ気持ちはなさそうで、自分たちがある程度やれるところまではやるつもりでしたが、その先はどうしようかなあ……とずっと思っていました。

そこで、青森県の八戸東和薬品で社長を務める高橋さんに資本提携の「事業承継」という形で社外から社長に就任してもらうことに。自分の血筋で代々継いでいくのが伝統的な業界で、この選択はとても新しかったと思います。

会長は昔から新しいものが好きでチャレンジングなんですよ。例えば地元に合資会社がたくさんあった頃、いち早く株式会社に組織変更したのはうちなんですね。だから資本提携を考え出したのも、会長らしいなと思いました。

提携先の候補としていろんな企業からお話をいただきましたが、高橋社長と出会った時「今まで出会った企業とまったく違う!」と会長が言っていたんです。やり取りする中で高橋社長の人柄を知り、信頼したみたいですね。

会長は昔から「俺って人を見る目があるんだよね。」といつも言っていて。(ふ〜ん、その一人が私だったの?と思ったりしていたんですが(笑))お話はトントンと進んでいきました。

会社が変わることに不安もあったけど、今思えば高橋社長で良かったなってすごく思ってますね。「100年続く会社を目指す」と言っていただけて、安心しています。


地場産品を作る誇りで、笑顔のきちみ製麺を。

感謝祭の様子

と言っておきながら、「100年後の会社」って私には想像もできないけど、社員にとっては安心ですよね。若い社長が来てくれたから、わたしもいつでも引退できるなという気持ちです(笑)

これからはどんどん会社が若返っていくんだと思います。ITの活用など、わたしたちの世代にはついていけない動きもたくさん出てきています。新しい社員がその辺りに強いと安心感もありますよね。

わたし自身はうーめんの製造にもIT関係にも疎いのですが、とにかく社員には気持ちよく働いてもらいたいという気持ちで動いてきたなあと思います。

「気持ちよく働く」とは、仕事のやりがいがある状態なのかなと思っています。工場勤務だと直接お客様と触れ合うことがないので、お客様と交流できるように感謝祭などのイベントを定期的に開催してきました。

お客様との対話を通じて、うちの商品がどれほど愛されているのかを知り、「地場産品を作っている」という誇りとやりがいを感じてもらえたら嬉しいですね。

その証明は、なんといっても笑顔でいられること。中学校教師をしていたとき、着任当初はとにかく気を張っていたんですが、数年後赴任した学校で「私はこのクラスが大好きだよ」と伝えられるようになったら学級経営がうまくいくようになったんです。やっぱり生徒だって笑顔が好きなんだよねと気づいて、わたしは自分の人生を毎日笑顔で過ごしたい!と思いました。

商売人という道を選んだことで、笑顔で過ごせる時間がとても増えました。自分の性に合ってたんでしょうね。会長からは「苦労かけたな」と言われるけど、別に苦労かけられたなんて思っていないです。人生を楽しんで生きてきた自信がありますから!

これからも、自分も社員もいつも笑って過ごしていられる場所を作り続けていきたいです。


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