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逸れた道こそメインルートだ。

去年の6月頃、猛烈に生きていたくなくなったのでYouTubeばかり見て過ごしていた。botみたいな定型文しか話さない人の相手をしていると疲れてしまう。セルフレジの自動音声とか電話のナビダイヤルとか、私はあれが大の苦手なのだが、たまに生きているはずの人間まであんな感じの自動音声になっている。もういいんだよそういうのは。お前じゃなくても言えるんだよそういうのは。他人の言葉を借りて、他人の思想に唆されてものを言うのはもうやめてくれ。お前の歌を聴かせてくれ。魂の口からついて出る一言を聴かせてくれよ。その手の自動音声人間と関わるのが猛烈にイヤになって、ひたすら閉じこもって一日中YouTubeを見たりして過ごす「完全OFFの季節」が定期的に訪れる。

その時期私は、野生の生き物を獲って食べる系の動画を片っ端から見漁っていた。ドブ川のタニシ、ザリガニ、スズメバチ、セミの幼虫、カマキリ、ヤモリなどを獲って、画面の中の彼らは美味い美味いと食べまくっていた。たまに不味くてオェーと吐き出す。おお。これだ。人を生きたいと思わせてくれるのは未知なるものと出逢う勇気である。美味いとか不味いとかを飛び越えて、ただただ知らないものを食べてみようとする気概である。スーパーに並んでいるものばかり食べていればそりゃあ人間鬱にもなる。人間だってもとは野生動物だ。自動音声みたいな人間に嫌気が差したら家を出て、トノサマバッタを素揚げして食えって話である。

観ていた動画の中に、「巨大ウツボを釣って食べる」という内容のものがあった。荒れ狂う海の底から引っ張り上げる重たい引き。陸にあげてもしばらく生きている強い生命力。刺身をバーナーで炙ると美味しいらしい。私の心はトゥクン! とときめく。ウツボ、私も食べてみたい。こんな大きなウツボを自分で釣って食べてみたい。獰猛かつ凶暴な海のギャングをこの手で仕留めて、北沢由宇のほうがもっと獰猛かつ凶暴な生物であるということを宇宙の記憶に刻みたい。その時から「ウツボを釣り上げて食べること」が私の人生の目標になった。

ウツボ釣りは険しい道のりだった。まずどこで釣れるのかよくわからない。ネットで調べても釣れる場所の情報があまり出てこなかった。釣り界隈では「外道(ハズレの魚)」とされ、普通は釣れても喜ばれずに捨てられるからだ。

ある日漁港で小魚を釣って遊んでいると、水底にどデカい蛇のような生き物が漂っているのを発見した。ウツボだ! これはチャンス! まさかこんな近場で遭遇するとは。仕掛けを切り替えバトル開始。ウツボはすぐに餌に食らい付いてきた。かかった! と思ったら根に潜られて糸が切れる。アワセた! と思ったら、今度はあまりの重さにリールが巻けない。その後も何度も根に潜られて引き上げられなかった。やがてパッタリと釣れなくなり、それ以降同じ場所でかかることはなくなった。戦闘終了。ウツボVS北沢由宇、勝者ウツボ。完敗である。

初戦結果は惨敗だったが、実際にウツボとバトルできたことで経験値が身に付いた。どうやら原因は道具のようだ。トライアルで買った竿やリールではウツボの重さに耐えきれない。ネットで調べて5号の硬い竿を買った。太い道糸を太いリールに巻き直した。出費が嵩むが、そんなことは問題ではない。人生の目標を達成しようという時に全力を出せない者は愚か者である。別にウツボを釣ったところで誰かに褒めてもらえるわけでもないし、仕事とも個人的な活動ともまったく関係がない。傍から見れば私は完全に脇道に逸れているように見えるだろう。だが、しかし! 人生に筋書きなんてあるだろうか。いきなり何の伏線もなく海のギャングとの壮絶なバトルが始まってもいいじゃないか。辻褄なんて合わなくていいんだよ。逸れた道こそメインルートだ。待ってろウツボ。お前をこの手で仕留めない限り、俺は次のステージに行けないんだ!

数え切れないほど釣行し、数え切れないほど敗北した。釣りに行くたびに何かしら道具をロスした。私は諦めなかった。これは人生の目標だ。絶対にやらなきゃいけないんだ。「やりたいがやらなきゃいけないになったらアウト説」を最近よく聞くが、私はこの手のことを言う人を見ると「随分ともったいないことをしているな」と思ってしまう。私は本気でやりたいと思ったことはすべて人生の目標だと思ってやってしまえる男である。当たり前のように人生のすべてを懸けてしまえる男である。「やりたいがやらなきゃいけないになる」というのは、単に義務感の発生云々の話ではなく、興味や勢いの段階を抜けて、実際にやっていく中で発生する諸課題をクリアして最後までやり切れるかどうかの段階に入ったということだ。やりたいがやらなきゃいけないになったぐらいでやめんなよもったいねえ。お前の望みはそんなもんかよ。お前の光はそんなもんかよ。熱を発せ。光を放て。楽しかろうが苦しかろうが無関係にやり通してしまえるのが魂の力なんだよ。すべての課題をやり遂げた人だけが見れる景色を、しんどくなったらやめちまうお前ごときが見ることは絶対にないぜ。俺はウツボを釣らないと死ねない。何度敗北しても必ずやり遂げてみせる。そう思えることがある時、それは私の人生にとっていつも特別に幸せな時間だった。

通算二十回は敗北し、泣く泣く帰るたびに装備や戦略を改善した。負け続けるたびに、だんだんとウツボ釣りの勘所みたいなものもわかってきた。基本的にはゴツゴツした岩場にいる。夜行性なので昼間は岩の隙間などに隠れていて、夜になると積極的に捕食を始める。匂いの強い餌が大好物で、秋刀魚や鯖の内蔵付きの身を付けて投げると反応が良い。軽いオモリだと波に流されて根掛かりしやすいので、20号以上のお多福型オモリを付けると良い。ナイロン製の釣り糸は鋭い牙で簡単に切られるため、金属製のワイヤーもしくは針金を糸先に付けて噛みちぎられるのを防ぐ。ヘッドライトを付けて夜な夜な海の岩場に通った。ライトなしではとても歩けない自然の磯だ。人の歩く道はない。歩いたところが道になる。ウツボは「外道」と呼ばれるが、俺は道を外れてないぜ。逸れた道こそメインルートだからな!

夜の海は星がよく見えた。知っている星座の形が見えなくなるくらい満点の星空だ。流れ星をいくつも見た。星降る夜にウツボとバトル。私は今、百パーセント自然を相手に生きている。予報にはなかった雨が降った。波の飛沫と共に冷たい風が吹き荒れた。次第に周囲が明るくなってくると試合終了の合図だった。へとへとになった身体を動かし朝の磯場を後にする。そしてこの激しい戦いがおこなわれていることを、この地球上で他の誰も知らないのだった。

その日は12月半ばで、気温もグンと低くなり始めていた。私は背中にホッカイロを仕込んで夜の磯に出かけていた。竿に一向に反応がないので、餌がついているか確認するため一度引き上げてみようと思った時のこと。おや。なんか重いぞ。全身の力を振り絞って海中の何者かを引っ張り上げる。重い! 油断するな。完全に陸にあげるまで気を抜くな。これまでこのタイミングで根に潜られたり、ラインが切れたりして何度も何度も敗北してきた。ググーッと上げて、ゴリ巻きゴリ巻き。ググーッと上げて、ゴリ巻きゴリ巻き。集中していて、もはや終始無言だった。海面に長い巨体が見えてくる。よし! きた! ウツボだ! ここで会ったが百年目! 絶対決めろ! 今ここで! 海面から一気に持ち上げて、近くの岩の窪みに獲物を落とす。緊張が走る。そして……。

ついに勝った。釣り上げた。通算二十回以上の釣行。ウツボVS北沢由宇、勝者、北沢由宇! うおおおおお!!! いえええええい!!! やっっっっっったああああああ!!!!!!

「海のギャング」と聞いていたのだが、実際に釣り上げて顔を見るとなんだかとても可愛らしい顔をしていた。この顔を見た時、私はちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。全然ワルそうな顔じゃないじゃないかよ。獰猛で凶暴なモンスターどころか、海の底で誰にも知られずひっそりと生きていたいだけって顔である。しかしこれも野生の宿命。自然界の摂理である。私とお前は本気で戦って、最終的には私が勝った。私の方が強かった。私は今からお前の命を美味しく頂く。ここから先は、私の身体の一部として生きてくれ。

持ち帰って測ってみるとサイズは80cmだった。人生の目標は達成である。こうして私の半年間に渡るウツボとの激しいバトルは幕を閉じた。この日、間違いなく北沢由宇のライフステージは上がった。巨大ウツボを一度も釣り上げたことがない人生から、巨大ウツボを釣り上げたことがある人生へと昇格したのである。

やりたいと思ったことはすべて人生の目標だと思ってやったほうが良い。やりたいがやらなきゃいけないになったぐらいでやめんなよもったいねえ。筋書きも辻褄もいらねえんだよ。逸れた道こそメインルートだ。歩いたところが道になる。星降る夜の戦いは他の誰にも知られなくていい。百パーの自然を相手に生きろ。その先に、めちゃめちゃ美味しい人生が待ってるぜ。

ありがとう、ウツボ!

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