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今年もあと2ヶ月ですね。

11月1日ですって!

年明けは、これから暑い夏がやってきて、大好きな冬までがとても長い気がして、夏嫌いな私としてはプチ絶望感みたいな気持ちがあった。
(それくらい夏が苦手で、1年がほぼ夏みたいに思えてきた温暖化)

毎年この時期くらいに『お詫び』記事を書いている気がするけど、今年も『夕雪、小説コンテスト』が実現できなかった。
やるやる詐欺でごめんなさい。

だったら年明けでもいいんじゃない?って感じなんだけど、私の思い描いているのは『クリスマス』なので、そこは譲りたくないと思っている(頑な)

早い段階で、私と一緒に小説の審査をしてくださる方にオファーしていたにもかかわらず、私のバタバタした生活のせいで、今のこの時でさえ先が見えない状態になっている。ごめんなさい。

以前、お義父さんの病気のことを書きました。

突然、腎臓病患者の介護が始まりました。

厳しい食事制限で、大変な日々。
それから3ヶ月弱。食事作りにも慣れてきました。
この間に何度かの通院もありましたが、食事面での数値も現状維持できており、極端にどこが悪いと言われることもなく、腎臓病食作りにも少し自信がもてていました。

ですが、9月に入り、お義父さんが背中の痛みを訴え、歩くこともお風呂に入ったりすることも出来なくなり始めました。
かかりつけの病院ではどこも悪くなっていないという診断。それでも痛みは続くようで、心臓の大きな手術をしたから心臓になにかあっては困ると、再び医師に相談し、しっかり検査してもらった結果、背骨の圧迫骨折が判明。

そこからお義父さんの体調の変化が始まりました。
痛くて動けない、お風呂に入れない、すべての行動を拒むようになり、自身で歩くのも困難になりました。トイレまで行くことが出来ず漏らしてしまったり……。夜中にそんなことになり大声で起こされて、私も主人も寝不足だったり。

背骨の骨折でコルセットを作ってもらいましたが、そのコルセットが苦しく余計に痛いと装着を拒み、私たちの知らない間に取ってしまったり(3ヶ月はお風呂と寝るとき以外は外してはいけないと言われています)

コルセットでの圧迫のせいか、食事が食べられず、固形物が胸に詰まるようになりました。水も入っていかないと飲めなくなり、最悪の日は一日400mlしか飲めない日もありました(薬を飲む分くらい)
水さえも飲めないと、水分が多い雑炊やおかゆも食べられず、最悪はもう点滴になってしまうんじゃないか?と、緊急で病院に連れていったこともありました。

整形外科や腎臓内科、心臓外科、先週は週4病院の付き添いでした。

検査をしても腎臓も、心臓も悪いところが見つからず、むしろ改善されていると言われる始末。そうなると病院は何も取り合ってくれません。中身は良くなっているんですから当たり前です。

じゃあ、食事も摂れない、水も飲めないってなんで!?

食事制限がある中での固形物ではない物を作る難しさに、振出しに戻るというか、また頭を抱える日々になりました。

そんな時です、おかゆを作ったお昼のこと、食べながらお義父さんが首を傾げ始めました。すぐに食事の内容が気に入らないんだろうと察知しました。
「あまり食べられませんか?」
そう聞くと、
「おかゆや雑炊や同じものばかりだと飽きるよな」と言い出しました。
「食べられないからそういうものになってますけど、どいういうものなら食べられそうですか?」
「目で見て美味しそうか、食べてみて美味しかったら食べようという気になるよな」そう言いました。

その言葉に私はとうとうブチ切れました。

食事も摂れない、水も飲めないと言ってるやつが、なにを選り好みしているんだ! 死ぬか生きるかというギリギリのところにいるのに、腎臓病で食事制限がかかっているのに、見た目や味の何をこだわっているんだ!

「今は、とにかく何でも食べないといけないって分かりませんか!?」

そこへ主人もやってきて

「あんたは、生きたいのか死にたいのか、どっちなんだ!」


以前の記事にも書きましたが、お義父さんはすごく変わり者で、偏食でわがままです。
主人や義妹が言うには、それに加え、妬みが激しかったり、人と比べられることが嫌だったり、ひねくれ者だったり……と、手に負えないところがあるそうです。
しかも現在服用している薬の副反応では、メンタルの浮き沈みもあるそうです。

私と主人の言葉が効いたのか「夜ご飯は頑張ってみるか」と言い出しました。
それから見違えるように食事を食べれるようになったんです。
もちろん固形物は控えて、やわらかく調理したものなどを作って。
雑炊でも胸につかえていたのに、それが普通のごはんでも、つかえることがまったくなくなりました。
水も飲めば「ゲポゲポ」言って苦しそうで、とろみを付けたお水が少し飲めていたくらいだったのが、普通に水も飲めるようになり、以前のように1リットルは飲めるようになりました。

背中が痛い痛いと、フルマラソンした後のように息切れしていて歩けなくなっていたのも歩けるようになり、お風呂に入るのを拒んでいたのが入るようになり、コルセットにも慣れてきたのか痛みも苦しさもないと言っています。

この劇的な変化。

そうです、お義父さんはメンタルがやられていただけなんです。(一概には言えませんが)
「痛い痛い、苦しい苦しい、歩けない、何もできない」自分でそう思い込んでいただけなんです。

確かにその日の体調の良さによっても気分の変化はありますが、今現在はずいぶんスッキリした顔をしているように思えます。

高齢ですし、大きな心臓の手術をしたのもあります。
薬のせいでメンタルの浮き沈みもあると思います。

ですが、生きるか死ぬかは本人次第。

こちらが何を言っても、何をしてあげても、その人に伝わらなければ改善はされないんだなということが分かりました。

だってね、コロナ禍で運動会やイベントが中止や見学人の制限がかかっていた数年前から、孫の運動会を見に行きたいと言っていたお義父さんが、
制限が解除された今年「行かれない」と言ったことに、寂しさを感じていました。

運動会のために歩けるようにならないと……ではなく、もう何もする気になれないという状態で、退院してきてからずっと寝たきりになっていたんです。
たぶん圧迫骨折も原因がわからないところをみると、寝たきりだったからかな?と先生とも話していました。

私自身、子供が第一なのに、お義父さんのことで振り回されていることが、子供にも申し訳ないし、自分のことが出来ないことに悲しくなっています。

気分屋のお義父さんのことだから、また何が待っているかわからないのが現状です。

このまま「生きる」ことへ頑張り続けてくれたらいいのですが。

と、いうのが私の近況です。

よく占いで
『自分のやりたいようにやること、自分のことだけに集中すること』なんて結果が出たりするでしょ。
「私だってそうしたいのよ~」って思います。

食事のことや病院や、子供のことや……考えることはたくさんで、自分のことは後回しになってしまう。
仕方ないことだけど、せめて心穏やかでいさせて欲しいと思う今日この頃です。

でも、あきらめてはいないので『来年こそは夕雪小説コンテストを開催したい!』(毎回言ってるw)
こんな有言実行できないダメダメな夕雪ですが、これからもよろしくお願いします。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。