財政黒字はバブルの兆候と見做せるか? ——望月慎「MMTがよくわかる本」の批判的検討

 私のnoteではこれまでMMTの基礎的な理論について批判的検討を試みてきた。今回は「財政黒字は民間部門の赤字か海外部門の赤字を必ず伴うが、これらはバブルの兆候であり、危険である」というMMTの主張を検討する。まずは望月慎氏「図解入門ビジネス最新MMTがよくわかる本」6-4節から引用する。

財政「黒字」の危険性
 財政黒字が実現するには、民間部門の赤字か、海外部門の赤字が実現していなくてはなりません。
 また、民間部門の赤字が短期的にでも持続するには、民間部門が旺盛な借入支出を行う必要があります。
 しかし、そうした旺盛な借入支出は、通常はバブル発生を伴う必要があり、必然的にバブル崩壊と共に破綻することになります。破綻した民間部門の救済や総需要の補頃には、当然財政赤字が用いられるしかありません。
 海外部門でも似たことが言えます。 
 途上国でのバブルによって海外から一挙に資金流入が起き、それを元手とした途上国輸入の増加によって海外赤字が一時的に実現したとしても、途上国バブル崩壊によって元の木阿弥に戻ることになります(この際に、途上国で起きるのがいわゆる通貨危機です)。
 このときは大抵、アメリカや日本などのハードカレンシー国が、破綻した途上国の救済のため、(直接資金供出するにせよ、途上国の輸出品購入で買い支えるにせよ)陰に陽に財政赤字などで補助することになります。 
 このように、財政黒字は、民間や海外での維持不能な信用膨張を示唆する「危険信号」「腫瘍マーカー」にあたるのです。

財政赤字を「許容」する
 当然のことながら、財政赤字にしたからといって、民間や海外のバブルが起こらないわけではありません。
 財政黒字はあくまで、民間信用の膨張が、税収の一方的上昇という形で観測されるという性質によって生ずるものに過ぎないからです。
 腫瘍マーカーが上昇したとき、腫瘍マーカーとなる物質だけを減らす薬を使っても、ガン自体がなくなったりはしないのと同様、財政を単に赤字にさえすれば、民間や海外の信用膨張がなかったことになるわけではないのです。
 しかしながら、民間や海外のバブルが起きておらず、また民間部門が(正当にも) 全体での純貯蓄を実現しようとするならば、その際は、基本的に財政赤字を受け入れなくてはならないということも事実です。 
 持続的な財政赤字こそが「常態」です。
 財政赤字を拒否しようとする財政指針は、事実上、民間ないし海外のバブルを”必要”としてしまうということに注意しなくてはなりません。

望月慎「図解入門ビジネス最新MMTがよくわかる本」秀和システム pp.92-93 強調原文

 本稿ではシンプルに閉鎖経済を考えることにしよう。そうすると望月氏の議論の骨子は以下のように整理できる。

  1. 財政黒字が実現するためには民間部門が赤字でなければならない

  2. 民間部門が赤字であるためには民間部門の旺盛な借入支出が必要である

  3. 民間部門の旺盛な借入支出は(通常は)バブルの発生を伴う必要がある

 ゆえに、財政黒字はバブル発生を伴う=バブルを許容しないためには財政赤字を許容しなければならない、と望月氏は結論する。そもそもバブルが発生しているかどうかは旺盛な借入支出(信用膨張)自体ではなくファンダメンタルからの乖離によって判断すべきではないかという当然の疑問が湧くが、その点はさしあたり不問としよう。

 ところで財政黒字の実現には民間部門の赤字が必須であることを主張する1は、MMTのStock-flow consistent modelによって示される関係
 民間貯蓄超過(S-I)=財政赤字(G-T)+経常収支(NX)
に由来している。この等式自体はMMTに独異のものではなく、通常のマクロ経済学でISバランス式と呼ばれるものと同一であるので、以下ISバランス式と呼称する。今は閉鎖経済を考えているため、 NX=0 であるから、
 民間貯蓄超過(S-I)=財政赤字(G-T)
となる。なるほど、財政黒字(G-T<0)であるためには民間部門が赤字でなければならない、という主張は、それが民間貯蓄超過(S-I)がマイナスでなければならない、という主張を意味しているのであれば、その限りにおいて問題なく正しい。ではS-I<0であるためには、民間部門の借入が旺盛でなければならないのだろうか? 次の数値例をご覧いただきたい。

このNoteの筆者が作成した架空の数値例。3行目は財政赤字のマイナスなので財政黒字となっている。

 この数値例がISバランス式を問題なく満たしており、S-I=G-T<0となっていることを確認してほしい。はて、この経済は、民間部門の借入が旺盛な経済だろうか? 信用が膨張しているバブル経済だろうか? どうみても、家計は貯蓄を取り崩し、企業は借入を返済している、信用が縮小している経済である。つまり、望月氏が言う意味で「民間部門が赤字」(=財政黒字)であったとしても、それだから民間部門の借入支出が旺盛であるとか、バブルの発生を伴う必要があるとかいったことは言えないのである。

 一体、望月氏は何を間違えたのだろうか? 実は上記引用箇所における望月氏の議論には、その出発点からして、信用膨張を議論するための概念装置が欠けているのだ。望月氏は「財政黒字が実現するには、民間部門の赤字か、海外部門の赤字が実現していなくてはな」らないと述べているので、ISバランス式からして、望月氏の言う「民間部門」の赤字とは貯蓄(S)から民間投資(I)を控除した民間貯蓄超過(S-I)のマイナスを指していると解釈するしかない。しかし信用が膨張している経済とは、銀行部門のバランスシートが拡大している経済であり、すなわち企業部門の借入と家計部門の預金が拡大している経済なのだから、SとIが同時に拡大している経済なのである。であるからして、望月氏の言う「民間部門」(S-I)の赤字によって信用膨張を捉えることなどそもそもできるはずがないのだ。信用膨張によりSとIが同時に増加しても、S-Iの増加はゼロなのだから。

 ここで望月氏が犯した誤謬は、私が前回のnoteでランダル・レイ(Wray)について指摘したのと本質的に同じものである。MMTerはISバランス式を「民間部門の黒字(赤字)=財政赤字(黒字)+経常収支黒字(赤字)」の形で表示し、「民間部門」(S-I)の中で貯蓄(S)と民間投資(I)がネットされている事実には気を払わないことが多い。しかし今述べたように、信用膨張という現象はSとIを区別しなければそもそも捉えることができないのである。日本の財政赤字が日本の高い貯蓄率を実現しているというレイの議論も、貯蓄(S)と貯蓄超過(S-I)を混ぜこぜにした混乱の産物であった。

 さらに述べておけば、MMTによるクラウディングアウト否定の議論にも同様の誤謬が働いている。MMTはISバランス式をもとに、財政赤字が同額の民間貯蓄を創造するのだからクラウディングアウトは起き得ないと主張することがある。しかし財政赤字(G-T)と同額で増加するのは貯蓄(S)ではなく民間貯蓄超過(S-I)である。G-Tが増加するとき、ISバランス式はSの増加のみならず、Iの減少によっても保たれうる。それは取りも直さず民間投資のクラウディングアウトを意味するのである。そもそも財政赤字(G-T)の増加によって民間投資(I)が減少することがクラウディングアウトなのだから、SとIを区別することになしには、クラウディングアウトが起こるとか起こらないとかいったことは論じようもない(この点はケルトン氏の回で詳しく述べた)。

 このように私の見るところ、MMTの主要な命題は「民間部門」と政府部門の区別を特権化し、「民間部門」の中で家計の貯蓄と企業の投資がネットされていることには注意を払わない(そしてしばしば家計の貯蓄と「民間部門」の純貯蓄を混同する)独特の思考法に由来するまやかしである。だが経済厚生の主体はあくまで家計であり、この観点からは企業や政府はただのハコにすぎないことに我々は重々注意しなければならない。「民間部門が(正当にも) 全体での純貯蓄を実現しようとするならば、その際は、基本的に財政赤字を受け入れなくてはならない」と望月氏は言うが、家計と企業を合わせた「民間部門」なる幽霊が純貯蓄を蓄積しなければならない理由などそもそもないのである。民間の投資によって成長する経済では、企業部門の金融負債は増加し、それは家計部門から見れば金融資産の増加となる。それは「民間部門」の純貯蓄=貯蓄超過(S-I)を形成しないが、それで何も問題ないのである。経済成長や好景気の結果として税収が増えれば財政収支が改善し、財政黒字によって「民間部門」が「赤字」(S-I<0)となることもあるだろう。それは問題なく健全な経済であり得る。その好景気がバブルであるかどうかを判断したければ別の基準を持ってくるしかなく、ISバランスと睨めっこしても得るところはないと言わなければならない。

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