どんな感情も、勇気を出して感じ切る。
心理学などを勉強して驚いたことの1つが、人が一度抱いた感情は、それが何年、何十年前のものだとしても、感じ切らない限り消えることなく積もっていく、ということ。
おそらく学問的にはもっと正しい表し方があるんだろうけど、個人的にはそんな感覚で受け取りました。
本当は「やめて!」と言いたかったけれど、言ったことで余計に面倒なことになるんじゃないかと思うと怖くて、黙って笑って流したこととか。
本当は「やってみたい!」と思ったけど、自分なんかに出来るわけない、そんなこと思うなんておこがましいと、その気持ちを無かったことにしたこととか。
その、本当は、の部分の感情です。
学びの中で、自分自身の幼少期の頃の出来事から振り返り、じっくり丁寧に向き合っていきました。
それを“人生の棚卸し”なんて呼ぶのもまた的を得ていて、くぅー!洒落てるねー!なんて思いました。笑
そして、あの頃なんらかの理由で素直に感じ切ることの出来なかった感情たちが、大人になった私の中に本当にちゃんと残っていて、今もう一度その気持ちになることすら出来ることを体感しました。
すごいね。
感情は、感じ切ってあげないと、腐る。
そして、腐った土台にまた新しい感情がのっかって、不安定なままどんどん大きくなって、自分の行動や思考にコントロールが効かなくなったり、自ら幸せを遠ざけようとしたりする。
怖いよー!
もういっぱい腐らせちゃったよー!
どうしたらいんだよーーーー!!!!
と、私自身慄きましたが、大丈夫。
なんと、感情とは本当に不思議なもので、何年、何十年経っていても、感じ直して、感じ切ることが出来るのです!
とは言え、じゃあどんな感情が自分の中に残っているのか、となると、おそらくプロの手(カウンセラーやコーチなど)をお借りするのが安心安全です。
私はひとしきり勉強した後は、自分で過去に戻って未消化の感情を探せるようになりました。
さて、ここまでは過去の感情について書いてきましたが、それよりなにより、これからです!
このことを知ってから私は、「どんな感情を感じてもオッケー!素敵!」ということにしました!
思ってしまうこと、感じてしまうこと、そもそも【しまう】ってのが要らないけれど、感じた時点でもう誕生してるんだから!
私が、あなたが、どんな人間でありたいと願ったって、感情は勝手に、自由に、あるがままに生まれます。
それを、否定しない。
無いことにしない。
上書きしない。
もし、受け止め難い感情を抱いたとしたら、「おーぅ、そう感じたかい、そうかいそうかい」と一旦はその感情を感じ切ります。
ふざけんな!!!
くそ!!!!!
やめて!!!
さみしいさみしいさみしい
こんな私に生きてる価値ない
怖い!嫌だ!どっか行け!
こんなに大好きなのに…
不安だな…
消えたい
なんでもです。
感じちゃいけない気持ちなんて一個もない!
そうしてしっかり感じ切って、時には枕を殴ったり(ごめんね、枕)、顔の穴という穴から水だだ漏らして号泣したり、とにかくこれでもか!まだあるか!?うわぁぁぁ!!と感じて感じて感じまくると、あら不思議。
その感情が、スッキリと満足してくれます。
そしてさらに、次の感情が生まれてきます。
そしたらまたその感情を感じ切る。
その繰り返し。
なんて建設的!
さらに挑戦するなら、自分の中のどんな観念がそういう感情を生み出しているのか、その感情の先にどんな願いがあるのかを考えてみると、より効率的に次へ進めますね。
心のことに、建設的だとか、効率的だとか、そんな言葉を使うようになるとは思ってもいなかった。
心とか感情とかって、もっともやぁっとした掴みどころのない、得体の知れないものだと思ってたな。
感情は単なる身体の反応。
学べば攻略法がちゃんとある。
おもしろ!
例え誰かに伝えることが出来なくても、訴えることが出来なくても、声に出すことが、表に出すことが出来なかったとしても、せめて自分の中だけではどんな感情も認めてあげる。
そうして感じ切って、終わらせてあげる。
だから逆に、ずっとその感情を抱えたまま悩んでいたい人は、しなくていいです。
そう言う時もあります。
きっと必要な時間です。
長くなりましたが、とってもお手軽で、私自身が大きく変われた、というかすごく楽になったことなので、好きな人たちにもそうであってほしいなと願って、今日はこのことを書いてみました。
あなたが何を感じようと、あなたは素敵!
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