私は努力したい人です。
私は、出来ないことが出来るようになる、ということが大好き。愛してる。堪らない。滾りまくる。という人です。
心の勉強を始めた頃に、師匠(と私が勝手に呼んでいる素敵な女性)に言われました。
「優ちゃんは努力することが好きなんだね。」と。
そして同時に、それは「努力しないと達成できないという前提を持っているということ。」だと教えてもらいました。
ハッ!としましたね。
【努力=美】みたいな観念は間違いなく私の中にあって。
だから、稽古を積み重ねてきたからこそ芸が光る、ミュージカルや、宝塚の舞台が、大好きなんだなぁと。
努力が間違いなく輝くことを確認できるから。
そうして安心できるから。
…ということに気づいたわけです。
達成のためには努力が必要、という決めつけは、もしかしたらもっと楽に達成出来るかもしれない可能性を見えなくさせます。
数年前、毎日のように一緒に居た友人は、「私は好きなこと、楽しいことだけしていたい。それで生きていける、成功出来るってことを実証してみせる。」と言って、本当に好きなことだけをしながらどんどん成功の道を突き進んでいきました。
師匠の言葉と、さらにその子のことを思い出して、何かしらの壁を越えなければそこに辿り着けない、という思い込みは、確かに不要だと腑に落ちました。
物事によっては、思いもよらない方法でひょいっと手に入れられるもの、たどり着ける場所があるかもしれない。
実際、その思い込みを手放し、根拠はないけれど「望むものはいつでも何でも手に入る」「好きなことだけして生きられる」ということにしてみたら、なんと。本当にそうなりました。
不思議ーーーー!
ただ、ただですよ。
それと、私が努力することが好き、ということは別の話。
楽して手に入るものは、楽して手にしたらいい。
だけれど、やっぱりこの世には、練習したり研究したり、時間やお金や心を注いで、やっと手にすることが出来るもの、スキル、地位、夢などは、確かに存在していて。
私はそう言ったものを、努力を努力とも思わずに、ただ練習を重ねて、達成していくことに喜びを感じるのです。
喜びを感じるのならば、すればいいじゃないか。
そう割り切って、何歳になっても、叶えるごとにまた新たに浮かんで来る夢というものに向かって、いつも何かしらに取り組んでいるのです。
だからと言って、手当たり次第そこらじゅうの壁を越えようとするのはもうやめて、狙いを定めて、必要な分だけ励もうと思います。
…さて実は、この文章は半年以上前に書いたもので、「うまくいかないことで、それを乗り越えるパワーを得て、道標をも見つけられる。」という観念は、実はまだ私の中に強くしっかりと残っていることに今気づいています。
手放せてない。
手放したら、向上出来なくなると思ってるのかな?
元々この記事を書いたときには、↓のように終わらせようとしていました。
「自分の性質を知ると、生きるのが楽になる。」
「私にとってこのことは、そういうもののひとつです☺︎」
でも実際に今は、その性質を知りながらそれを認めて貫くのか、そもそもの“向上しなければ得られない”という観念をまた手放し直すのか、うろうろしています。
人間って本当、何度も繰り返すんだね〜
私はもう、壁やハードルは要りません。
自分で自分の指標を見つけて、必要な努力をし続けます。
そう言い放って、自由にのびのびと向上していきたい、そんなこの頃です。
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