心配より信頼◎
もはや《愛》の代名詞。かと。
心配して、気にかけて、声をかけて、あの手この手を差し出して、それが愛だと思っていた頃もありました。
ということは、他人からもそうしてもらえることが愛だと思っていた頃があったということですね。
それで互いの心が満たされ、幸せならば、もちろんそれでいいでしょう。
でも、心配よりも信頼、とほんの少し意識を変えるだけで、同じ想いでも比べられないくらいの宝物になることを知りました。
わかりやすく極論で言うと、心配を伝えることは「あなたには出来ないんじゃないか?」という可能性を表現すること。
そんなこと、言う方も言われる方も思っていないはずだけど、だからこそ知らず知らずのうちにその前提が共有されていく。
あれした?
これした?
それじゃダメだよ
もっとこうしなよ
それらは時に「あなた1人じゃやっぱりダメね」になり得てしまう。
一方「あなたなら大丈夫!」と思ってもらえることは、例えそこに何の根拠も無かったとしても、不思議と勇気をもらえます。
自分で自分を信じられない時や、自分こそ心配でたまらない時に、誰かからもらう「大丈夫!」の一言の価値ははかりしれません。
それに気付いてからは、日常の些細なことから人生をかけるような大きなこと、どんなことにおいても、大切な人たちのことこそ「あなたなら大丈夫!」と信じることにしています。
内心、心配はもちろんたくさんあります。
大切なのだからなおのこと。
でも、信じて、任せる。
どんな結果になろうと、その人の出したものならばそれがベストだと、受け止める。
誰かに何かをしてあげたくなったら、一度止まって、その心配は誰のためにあるのだろう?と考えてみる。
信じることは、相手に勇気を与え、強くする。
そして同時に、自分のことも。
でもそもそも人を信じるためには、まず自分を信じられることです。
どうしても疑心暗鬼になる時や、外側のことが心配でたまらない時ほど、自分自身との信頼関係を振り返る時だよ!というサインだと思っておくと、目を向ける先が変わります。
私にとっては、つまり今〜〜!
ありのままの自分に「大丈夫だよ!」と言ってあげられるようになる時です!やー!
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