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編集者の本音② 持ち込み企画に、なぜ冷たいのか?

本を出したい。

そんなご相談だったり、企画提案を受けることがあります。

知人のプロデューサーさんの紹介や、出版パーティー(あまりいきません…)や飲み会で知り合った方から後日、改めてというパターンもありますし、突然「あの本の奥付をみまして…」と手紙をしたためてくださる方など、出会いはさまざまです。

「なぜ編集者は持ち込み企画に冷たいのか?」

と銘打ってみたわけですが、「いや、そもそも冷たくはないかも」と一方で思う自分もいます。編集者はつねにあたらしいネタを探していますし、ビジネス書業界では処女作がその方のいちばんのヒット作になる、ことも少なくありません。企画の売り込みは、基本ウェルカムなはずです。

とはいえ、実際に企画書を送っても、なしのつぶて。

一度会って、話を…してみたら、なんかよくわからない説教をされて終わった。

という経験のある方もいるかもしれません。

これはなぜなのでしょう。本を出したい人と本をつくる人の間で何かズレが起こっているのでしょうか。

(ここから先の話は、主に担当する新書・ビジネス書の一例です。つまり実用書といわれるジャンルに近い。小説やマンガは新人を発掘して育てるシステムや風土が出版社に備わっているでしょうから、そことは切り離して考えてください)

私が、著者との出会いについて、的を射ているなぁと感じたのはこの一節です。

「編集者は自分で見つけたい生き物」

記憶がたしかなら、ブックライターの上阪徹さんが書いた「職業、ブックライター。 毎月1冊10万字書く私の方法」の中の指摘だったと思います。つまり、企画も人も、つねにアンテナを張って探している編集者なのだから、会いに行くよりも見つけてもらう努力をした方が出版の近道ではないか?ということだったかと思います(かいつまみすぎかもしれませんが)。

で、この指摘は本当にそうだなぁと思うのです。

つまり、お見合いパーティーの出会いではなく、図書館で同じ本を取ろうとして手が触れ合ってしまう…あの感覚を、著者の方との出会いにも求めているということなのでしょう(ちょっと違うかも。すみません…)

でも、この「自分で見つけたい」の真意は、そういう性癖の話ではなく(それも少しあるが)むしろ企画の基準をどこに置いているか、ということだといえるかもしれません。

つまり、自分がおもしろいと感じるかどうか?の一方で、読者や世間の人がどう受け止めるか…をどうしても気にしてしまっている。人によって、その塩梅はそれぞれで、「自分:読者」が「10:0」という強者もいるし(うらやましいです)「自分:読者」の割合が「0:10」(これはただの二番煎じ野郎な気も…)の人もいるのでしょう。

話を聞いて、自分が「おもしろいなー!」と思えるかどうかは、最低限たいせつにしたい感覚なのですが、それを受け止める読者がどのくらいたくさんいるかは企画の肝にもなりますし、初期の段階で考えざるをえない。そうなると、企画や人を「探す」「見つける」工程自体が、「その情報」との距離感を測るマーケティングにもなって、企画のゴーが出しやすくなる、ということは言えそうです。

なんだか、どんどん話がそれてしまった気もしますが、お医者様と同じで、冷たくしようと思っている編集者の人は皆無ではないでしょうか。そこには、タイミングとご縁があるだけです。本づくりは、おそらく自力ではなく、他力の面がとても大きい作業のような気がするので、その出会いと縁が巡ってくるを待つだけで、もうすでに十分な準備といえるのでは?と僕なんかは思ってしまいます。

のんびりしすぎでしょうか?

なんか、ノウハウチックなこともろくに言えずにすみません。

依頼するときも、紹介を受けるときも、ほんとうに9割は運みたいなもんなんです。

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