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【リモートワーク】「地方に住んで・都会で働く」のあまり語られない価値

3月に地方移住した途端に、コロナで緊急事態宣言が発令された。

タイミングが良かったね、なんていわれることもあるが、まだ移住1ヶ月の身。すぐに「移住はおすすめです」なんてことはいえるわけがない。

でも、「コロナ」で社会が大きく変わるタイミングで、「住まい」を変えてみて、気づいたことがある。それは、「東京の3LDKマンション」にいては気付けなかったことだ。それを書いてみたい。

ひとつは、ソーシャルディスタンスならぬ、「ファミリー・ディスタンス」の重要性。

・「共働き家族」の適正な距離感

軽井沢にきたことで、東京の頃の家賃に「+3万」で一軒家に住むことができた。すると、書斎スペースができる。これが、思いもよらず、今回のテレワークで効力を発揮した。

というのも、在宅勤務になって、問題になったのは、共働きの妻と3歳の子供との「距離感」である。うちの家族の仲はいいほうだと思う。けれど、やはり仕事の「モード」に入るためには、家族とは一定の距離が必要になる。これが、「都内のマンション」だったら。この「オン・オフ」の切り分けが相当にむずかしかったと思う。

都内のマンションは、ものすごく機能的だった。掃除もラクでいいし、生協を頼めば、定期的に食べ物も届く。マンション内でクリーニングも済ませられる。とても効率的だった。しかし、どんなに生活を効率化していっても、この物理的な空間(スペース)は都内では望みにくい。そして、この空間がメンタルにもたらす影響は、想像以上に大きかった(かつては、パートナーが夜中に、PCをパチパチ叩く音で目が覚めてしまって、寝付けない…なんてこともあった)。

広くないながらも、いまは「庭」もある。

すると、子どもが庭で遊べる。なにをあたりまえのことをいうのだ、と思われるかもしれないが、このスペースが果たす役割は大きい。

何をするでもないが、外出もしづらい制約のなかで、花を植えたり、巣箱をおいたり、鳥を観察したり…それらが、かけがえのないエンターテイメント(=心の拠り所)になっているのだ。

自然がそばにあることが、これほど生活にゆとりをもたらすとは…これは、引越し前には想像もできないことだった。

・なぜそんなことに気づかされたか

ここで主張したいのは、「家は広いほうがいいよ〜」という単純比較なものではない。

投資家・レオスキャピタル藤野さんが「コロナ後、日本人の「生活」「住まい」「働き方」はここまで激変する…!」をテーマに記事を書かれていて、非常にうなづくことばかりだった。いかに、住まいが人生の基点になるかを気づかされたからだ。

とくに「住まい」について言及した下記の箇所。コロナはきっかけにすぎず、これまで見て見ぬふりをしてきた本質的な問いへの回答を、見事に導き出していると思う。

これまで多くの人にとって、生活は仕事を中心に回っており、勤務先で働く時間が「主」、家庭で過ごす時間は「従」でした。しかしstay at homeと言われるようになり、この主従関係は逆転しています。都心部では、多くの人が苛烈な通勤ラッシュから開放される一方、「家族そろって1日中過ごすには広さが足りない」「いまの自宅では集中して仕事できる環境をつくれない」といった問題が生じています。
家族がずっと一緒に過ごすのに十分な広さがあり、仕事をするスペースも用意できる家に住もうと考えれば、地方が選択肢になります。そして、これはウィズ・コロナ時代だけの話ではありません。今回の経験によって在宅ワークに関する知見が蓄積されれば、アフター・コロナ時代にも働き方や住む場所を見直す動きは続くでしょう。

ぼくらはもともと、もっと多様で、自由な世界に住んでいるはずだった。なのに、これまでの慣習や思い込みで、行動を縛っていたのかもしれない。

自然との共生というすんごいポテンシャル

物理的な空間がある、自然がとなりにある。それは、言っていれば「自然」のポテンシャルである。

移住前は、「自然のなかで暮らしたいな〜」なんて呑気に思っていただけだったが、実際に近づいてみると、これはすごいポテンシャルが秘められているな、と感じる。花の名前も、鳥の名前も、昆虫も、自分はまったく知らずに、すごく「雑な視点」で外部と接してきたのだと痛感する。

庭を掘って、野菜の種を植えてみたが、そこに至るまでの「土」のつくり方でも圧倒的に奥が深いのだ。しかも、土いじりをしていると、無心の状態になっていく。まさにマインドフルネス。

上記の藤野さんの記事では、「地方創生の次のフェーズ」がふれられているが、大型施設やイベントやゆるキャラのような人工物じゃなくて、空気と水の美味しさ、そこに惹かれた人が開く1軒の心のこもったカフェ。そんなもののほうが、人の心をググッとつかんでいくのだなぁ、とあらためて思わされた。

そして、「密」というものの違和感が顕在化したいまの日本で、これから人間がいかに自然と「あらたな距離感」を模索しはじめるのか、とても興味深く眺めている。もはや、「老後ののんびりライフ」ではない、アグレッシブな価値が、自然との共生に眠っているのかもしれない、と感じています。

この記事は「投げ銭」記事です。サポートいただいたお金は、家庭菜園で野菜をつくる費用に投じていきます。畑を大きくして、みなさんに配れるようにするのが夢です。