相手がいてこそ「言語化」は深まる
最近、twitterやfacebookが、「モヤモヤとなんか嫌な感じがするなー」と思ってみていました。
ちょうどそんなタイミング、とあるIT 企業にて、WEBサービスの提案を受ける「打合せ」がありました。出版マーケティングに使える、ということでお話をいただいたのですが…。
「twitterは2ch化しています!」
提案の中のそんな言葉に反応してしまって。
何に驚いたのかというと、SNSに感じていたモヤモヤを言葉にしてくれていたから。あぁ腑に落ちる・・・と思ったのでした。
やや大きく括りすぎかもしれないですが・・・
IT系の人と話をしていると、時代やサービスを俯瞰してとらえようとする意欲をとても感じます。つまり、ちゃんと「言語化」しているのです。
僕なんて、SNSをみていても、「なんかヤな感じ」「タイムライン、ギスギスしすぎ」くらいにしか感じないけれど、そこからSNS 利用者の変遷を分析し、利用者のニーズを見出し、マーケティングコストを考える人がいる。いや、それって、本づくりにも大いにつながる話だと思ったわけです。
一説によると、人は自分の潜在意識の1割も言語化できていないそう。
だからこそ、書店をブラブラすると、思いもかけない本(目的買いではなく衝動買い)との出会いが生まれる。そこで初めて、あぁ自分って今こんなことに興味があったのねーと気づきます。書店にいかない人は、それがSNSに代わるのでしょう。
「データをみて、机上で企画を詰める」危うさは、こんなところにあるのかもしれません。
つまり、時代の言語化って、雑談やプレゼンなど、「相手があってこそ」成立するものだからです。
「答え」ではなく「問い」が大切な時代とよくいわれます。もちろん、一人壁打ちや素振りで深める側面もあるのは知っています。でもやっぱり「問い」が深まる瞬間は、他者とのキャッチボールあってこそ。その機会を怠らない努力は、きっと誰にでもできますよね。センスがない分、心がけでカバーしないといけないよなぁと気持ちを新たにした、そんな「打合せ」だったのでした。
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