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タイトルづけは「転がる言葉」を探す

本のタイトルづけはむずかしい。

本が売れるかどうかは、タイトルが9割、だとも言われる。それは表層的には、タイトルが書店で目にするいちばん最初の情報だからそこでつかまないと逃げられる、ということではある。だけど、それだけじゃない。タイトル=背骨が「決まっている」本は、本づくりの段階でも、腰が座りやすい。書き手も編集者もそこに向けて共通の目標ができる。

では、どうやって考えるべきか。いろんな人がいろんなことをいう。どれも正しいような気がする。

おそらく、これまで本づくりをやってきて思うのは、タイトルの付け方について正しいやり方、なんてものは存在しないということだ。あるのは、結果論。出してみて売れた、あ、タイトルがよかったね、という後付けの理論。

もちろん、実績を分析していくと「こうしないほうがよさそうだ」ということは導ける。たとえば、「説明しない」。タイトルで内容を説明しようとすると、途端につまらなく感じてしまう。なぜか。内容がわかってしまうからだろう。中身のわかるコンテンツ(=自分が知っているもの)に人はお金を払いたがらない。しかも説明をすると、どうしても面白さが削がれてしまう。言い切らない。むしろ読者の想像に委ねる。この発想は大事な気がする。

では、どんな考え方が馴染むのだろう。

答えはないから、考え続けるしかないのだけど、100あるうちの1つのアプローチとしては、こう仮定している。「転がる言葉」を見つけようと。

転がる、とは、人の口の端にのぼり、あたかもそれがこれまでの世の中にあったかのような「自然さ」と「新しさ」で人の会話に上がる。なじみがあって、尚且つ新しい印象を受ける、言葉。

それを、既存のテーマやジャンルと組み合わせる。

すると、人から人へと転がっていくような印象に変わっていく、言葉。

具体的に、自分が担当したタイトルで、反応がよかったもので考えてみる。

たとえば、「医者の本音」。

「本音」という言葉はありふれている。ありふれているが、そこに醸された覚悟や暴露感や真実は、受けての想像力を刺激するようにも感じる。これが「医者」と組み合わさると、ますます「覚悟」「暴露」が際立つ。

ここでタイトル趣旨を説明しようとすると、いろんな修飾が思いつく。(実際に、仮タイトルではそんな言葉をつけていた)。だけど、説明しないであくまで想像してもらうのだ。

たとえば、「まちづくり幻想」はどうだろう?

「幻想」という言葉は、多くのヒット作もあり、新書での定番になりつつある言葉。辞書で調べると・・

幻想:〘名〙 実際にはありそうもないことを、あれこれと想像すること。とりとめもないことを頭に思い浮かべること。妄想。空想。

となるのだが、ここの込められたイメージは、「信じていたものがそうではないとわかる瞬間の驚き・不安・好奇心」だと思う。それが発動される。

「ともだち幻想」というベストセラーがあったけれど、「ともだち」だと思っていたものが「幻想」だなんて、関心が寄せられるし、日常の会話にも登場してきそうだ。(と、後付けの解説は野暮なわけだが)

「幻想」という言葉が、「まちづくり」という正しいと思われてきたもの、否定のしようもないものと組み合わさるとますます効力を発揮する。「+」方向と「ー」方向のエネルギーを一緒に配合するようなイメージ。

自分の担当作を振り返ると、シンプルだけど、背骨になりそうな言葉が入っているものは、反応がよかったように感じる。

「なぜ?」「バカ」「1錠」「非常識」・・・。

企画の本に出てきそうなワーディングでいうと、「切り口」になるのだろうか。たしかに、切り口ではあるのだけど、企画の最初からあった言葉というわけではない。作りながら、最後の最後で探して見つけた言葉もある。

つくづく、タイトルは、言葉探しであり、言葉の組み合わせだと思う。

極論な言い方だけど、それをそこにおいたことで、100万部のベストセラーとなり何億ものお金が動く。想像しただけですごいことだ。それがたった10文字くらいの「言葉」からはじまる。

一人の人が、メモの切れ端にしたためた手書きの言葉が、時間や空間を超えて、転がっていく、かもしれない。

その可能性を想像すると、出版って、すごい生業だなと思わざるを得ない。時間や空間を飛び越えてしまえる「言葉」が、ここから生み出していければいいな、とじわじわと、覚悟を決めている。

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