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「売れる本づくり」という呪い

のっけから、ツッコミが入りそうなタイトルである。

ここ最近、ずーっっと、もんもんと考えていることについて言葉にしてみる。

出版業界で「売れる本をつくる」というのは、華々しいことだ。Jリーグでいうと、ゴールを決め、得点ランキング上位に入るようなもので、その結果をもって、待遇が上がったり、上位チームに引きぬかれたりもする(ステップアップ)。そもそも担当本が「ベストセラーになる」とは、著者・制作スタッフ・販売すべての関係者の、その努力が報われる、すばらしい瞬間であり、めざすべき山である。

「人生で一度は年間ランクに入る本を担当したい」「ミリオンセラーをつくりたい」というのは、多くの編集者の偽らぬ本音であろう。

すばらしい体験であり、業界への寄与でもあるはずの売れる本づくり。それがここ数年、自分にとってなぜか息苦しいものになりつつある。なぜだろう…。

1・本気で売れる本つくりをめざしてきた

かくいう自分も、毎年買い換える手帳の1枚目には「〇〇万部達成」と、人生の目標であるかのごとく、何年も書き記してきた。

ヒット作を担当した編集者の講演があると聞きつけては、足繁く通った。紀伊国屋書店のベストセラーランクを分析し、トレンドを追いかけた。担当作が出たら、日に何十回とアマゾンと紀伊国屋の売れ数を追いかけ、「どの時間帯に何冊売れているか」「パブリシティがどの程度、売上に貢献するか」を逐次、チェックした。いい本をつくりたい、それを多くの人に届けたい、その一心だった。

しかし、2年ほど前、数字を追うのをやめてしまった。

理由は、本の価値を、「売上数字」という単一のものに完全に委ねてしまっていいのか、という疑念が湧いてきたからだった。

2・売れればいいのか問題

ちょうど業界的には、いわゆるヘイト本問題(その是非にはここでは触れません)が話題になっていた。売れるから、という理由だけで、特定のクラスター・民族性を攻撃した本を作り、それが売れる。

そこにあるのは、本が売れないと経営が厳しいという出版社の事情と、売れない本の企画はそもそも社内で通らない、という担当レベルの事情と、重層的にあるのだと思う。

また同じ時期、僕自身が、医師の方の本を担当した。その本を通して、医療ジャーナリズムに真剣に取り組んでいる方々の活動を知った。その過程で、いかに出版社が、売上優先で、エビデンスの薄い効能をうたった本を量産しているかを思い知らされた。(いわゆるトンデモ健康本、といわれるものだ)

上記2つの現象の要因を探ると、「売れる本」づくりをめざした結果、生まれたのではないだろうか。

3・企画を立てるとき、問いかけたいこと

本が売れることはすばらしいことだ。本をつくる前も、出来上がったあとも、ずっと売れるかどうかを考えている。あたりまえだ。

でも一方で、売上数字の大小だけで、本の価値が決まるわけではない、ということも知っている。なんだか、売れない本の負け惜しみみたいにとらえられるかもしれないけれど…

ここで言いたいのは、中身がいいから、売れなくてもいい、というよくある主張とはすこし違う。

数字というわかりやすくモノサシをとっぱらったとき、それでも、この本が最高だと叫べるか、絶対につくりたいと手を上げられるか、そんな偏執さをもちえているか、という、個々人の(主に心の中の)アプローチの問題なのだと思う。

「売れる本づくり」に感じる違和感は…そう、もっとマーケティングから遠く離れて本をつくりたい、という欲求なのかもしれない、と書きながら考える。

4・これからの本作り

本は、もともと、マスメディアではなかった。

むしろ、誰も見向きもしない異端の考えを、一人の熱狂者が止むに止まれずまとめたもの、それが書物であったように思う。

であるならば、メインストリームの指向性をリサーチするよりも、そんなものは徹底的に除外して、誰も耳を傾けない辺境のことばをさがしにいくほうが先ではないだろうか。

最初から企画が「マジョリティをめざしてしまう」理由は、もちろんあって、既存の優れた出版物流システムを元に設計された企業体は、継続するためには大部数が求められるからだ。

ただ、時代的にもNetflixのように、あるジャンルの徹底的にコアな志向が、強力なコンテンツになり、「結果的に」多くの支持を集めることはめずらしくなくなった。

たとえば、もっと、ありえないものが本になって、それを必要としている読者と出逢うしくみがあればなぁと夢想したりする。それこそ「本がそばにあるくらし」というエコシステムの、重要なエンジンになるような気がしている。たとえば、

・パトロンを募る(クラファンのような?)

・みんなの出版社をつくる(市民クラブみたいな?)

のようなものだろうか…。

まずは圧倒的に売れる本をつくってから言え、とツッコミが入りそうなので、今日はこのへんで…。コロナ時代だからこそ、試行錯誤しながら、つくり方・届け方を再定義していかねば、と思う今日この頃。ボランティア的に動いてみるか…。






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