性格は変えられるのか?うつ病前の私とうつ病完治後の私と生きる権利

どうもー。INTJ-A クロノです。ちょっと重い話になるかもだけど、
今日は「性格って変えられるのか?」って話と、
うつ病になる前と完治した後での自分の変化について書いてみようと思う。それと、生きる権利についても少し触れてみるわ。

うつ病前

まず、うつ病になる前の自分は、超が付くほどの人見知りだった。初対面の人と話せるようになるまで、すごく時間かかってたし、会話もあいさつぐらいだった。

とにかく対人関係をミスるのが怖くて、ビクビクしてた。だから、話しかけられるまで、ずっと孤立したまま。学校のクラスとか、マジで地獄だったよ。

うつ病完治後

で、うつ病完治後の今は、人見知りは多少残ってるけど、話しかけようと思えば話しかけられるようになった

対人関係の失敗も、前ほど気にしなくなった。まあ、今でも学校のクラスみたいな場所だと、孤立しがちだけど、完全に友達作れないわけじゃないし。

何が変わったのか?

じゃあ、何が変わったのかって話なんだけど、うつ病の影響で何かが変わったのか?それとも、元々HSPみたいに神経が繊細過ぎたのか?って色々考えたんだけどさ。

HSPじゃないと思うんだよね。

多分、自分の場合は、単にマイノリティ過ぎて、学校集団生活での人間関係が失敗しすぎて、苦手意識が強くなってただけだと思う。
INTJ 男性かつ 高IQ団体会員 の組み合わせだと マイノリティ度合いが2%どころじゃない。0.1%を大幅に下回る。
ADHD手帳を貰うレベルでないにせよ、その要素もあるのだから、、
どんどん学校が、上がれば上がるほど まるで会社予備校のよう。

学校が会社環境に近づいていくにつれて 適用障害を起こすのも必然であった。

別にうつ病だから、何かが作用して変わったとかじゃなくて、ぶっちゃけ、ピンチをきっかけに自分を変える決意をしたってだけなんだよね。

対人関係で遠慮しなくていい

で、具体的に何を変えたかって言うと、考え方を変えたんだよ。

「人間関係の失敗って、別に致命的なミスじゃないよな」って。だから、
人間関係での失敗を恐れなくてもいいやって思うようになった。

いいやって思うだけで自分を変えれる人は限られると思うが、
まぁ青年期の前にいろいろがんばったんだよ。

あと、論理的に考えてさ、日本に住んでる日本人である限り、基本的人権はあるわけじゃん?

  1. 自由権 要するに「好きに生きる権利」権利ってこと。 例えば、好きな服着たり、好きなこと言ったり、好きな宗教信じたりできるってやつ。

  2. 平等権 「差別されない」権利。 男も女も、金持ちだろうが上級国民じゃなかろうが、みんな平等に扱われるべきってこと。 要するに、生まれや環境で損しない権利。

  3. 社会権 「最低限の生活を保証される」権利。 教育受けたり、働いたり、病気になっても治療受けられたりする権利がある。 つまり、社会で普通に生きていける環境を公平に状況に応じて整えてもらう。 

  4. 基本的人権を守るための権利 「人権が守られる」権利ってこと。 例えば、裁判受けられる権利とか。 他の権利が侵害されたときに「それダメだろ」って言える権利。参政権や請求権が具体的な行使手続きで使われる。

  5. 新しい人権 「時代に合わせて新しいのも追加される」権利。 例えば、プライバシーの権利とか環境権とか。 社会が変われば必要な権利も変わるから、それに対応してもらえる権利ってこと。

って、学校で習ったよね?

別にマイノリティ側とか弱者側だからって、人権侵害されたまま放置される筋合いはないわけ。理屈で考えれば、「弱者とかマイノリティとか関係なく、人権を確保してもいい」ってことになる。

旭川の中学校の事件なんか、差別されて学校で最低限の生活を維持できなくなったわけだから、法律を理屈で考えれば 人権が守られるべきだった。
何十年も教育側の怠慢で放置されてきた問題なわけだから、SNSで叩かれまくるのも当然っちゃ当然だし、被害者も無理やり人権を確保するぐらいの
闘争をしても良い
と僕は考える。
(だって、権利あるはずなのに放置国家だし)

日本での人生に遠慮するのをやめた

だから、いろいろうつ病の時に考えを巡らせるうちに、
日本での自分の人生に遠慮するのを一切やめたんだ。

詳しい経緯は、うつ病の時のこともあるから、別に書いた方がいいと思うんだけど、とにかく、日本人全員が公平に機会を与えられて、力を発揮できる社会であることを望んでるよ。(そうするよ

俺自身も、そうなるようにしていくつもりだしね。

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