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自己承認欲求=生きづらさ

誰でも多かれ少なかれ自己承認欲求があるだろう。

そして、この欲求への対処が一番難しいと思う。睡眠欲なら寝ればいいし、食欲なら食べればいい。だが、自己承認欲求は、承認してもらう何かが必要になる。

なのに、僕みたいな空っぽな人間は、承認してもらう何かがない。特にこのコロナ禍の鬱屈とした世の中では。

人は、他者に存在を認められてから、自分の存在を確認することができる。女性がいるから、僕は男性でいられる。名前を呼んでくれる人がいるから、僕には名前がある。つまり、承認欲求が大きければ大きいほど、自分の存在を確認することが難しくなるので、生きづらくなるということだ。

少し余談になるが、「もしInstagramやTwitterなどのSNSやテレビ、YouTubeがなくなったらみんなの自己承認欲求はどうなるのだろうか」と考えたことがある。
現在は、パンケーキ1つの写真や、決して美男美女とは言い難い顔の写真でも、載せるだけで「いいね」などの反応がもらえて自己承認欲求を容易に満たすことができる。
だが、昔の人はこの欲求をどうしていたのだろう。

歴史学などに関して全くの無知である僕なりの超テキトーな仮説を2つたてたので紹介する。

1つ目は、「みんなめちゃめちゃ勉強するようになる」だ。これは、スマホがなくなったら勉強するだろうという浅はかな考えではなく、自己承認欲求を満たす方法が「学問」だけになるのではないかと考えたからだ。人類みんなノーベル賞を受賞することになるだろう。

2つ目は、「戦争が始まる」だ。これは物騒な仮説だが、昔は容易に承認欲求を得ることが出来なかったので、自分の強さを見せつけるために戦争をしたのではないかと勝手に推測したからだ。知らんけど。

3大欲求より自己承認欲求だな。

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