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ぶらり関西みて歩記(あるき) 大阪の文学碑

〔第1回〕谷崎潤一郎

作家の偉業を顕彰する文学碑は全国いたるところにあって、作品の舞台になった土地、あるいは作家の生誕地などに建てられることが多い。

大阪が輩出した偉大な作家を顕彰する文学碑、歌碑、顕彰碑、記念館を独断で選んで街ぶらをしてみた。

■近代日本文学を代表する文豪

谷崎潤一郎は明治19年7月24日、東京市日本橋区蛎殻町(現、東京都中央区日本橋人形町)で生まれた。次男だったが、兄の熊吉が生後わずか3日で亡くなっていたため、長男として出生届が出された。

活動時期は明治末期から昭和中期で、近代日本文学を代表する作家として国内外で高い評価を受けている。作風、題材、表現、文体は様々に変遷し、語り口や方言の使いこなしは作品ごとに違うといわれるほどバラエティに富む。今日のミステリーサスペンスの先駆的な作品をはじめ、純文学、歴史小説、ブラックユーモアなど、多くのすぐれた作品を残した。

■谷崎潤一郎文学記念碑「蓼食う虫」

大阪メトロ・日本橋駅7番出口の階段を上がって、後ろを振り返るとすぐ目につく。

東京で生まれた谷崎は、関東大震災のあと京都へ移住し、まもなく神戸に落ち着いた。「蓼(たで)食う虫」(蓼喰ふ蟲)は、谷崎が関西に移住した5年後の昭和3年から東京日日・大阪日日の両新聞に連載された作品だ。

この場所にある理由は、作品中に文楽(人形浄瑠璃)をたびたび鑑賞する場面があるため、国立文楽劇場のそばに建てられたのではないかと思われる。

●アクセス/地下鉄堺筋線または千日前線「日本橋」下車7番出口すぐ

谷崎潤一文学記念碑「蓼食う虫」

■春琴抄の碑

道修町は製薬会社が軒を連ねる。「春琴抄の碑」は、薬の神様「神農さん」を祀る少名彦神社の入り口にある。道修町が作品の舞台になっていることから、道修町資料保存会によって建立された記念碑である。

盲目の三味線師匠・春琴と奉公人・佐助の純愛を描いた「春琴抄」の、校正原稿の一部が記念碑に刻まれている。

●アクセス/地下鉄堺筋線「北浜」下車5番出口から南へ徒歩5分

■谷崎潤一郎文学記念碑「蘆刈抄」

京都府八幡市にある文学碑で、谷崎の生誕100周年を記念して昭和61年に建立された。

京阪男山ケーブル・男山山頂駅を降りて石清水八幡宮へつづく道の途中、展望台のようにひらけた場所にある。天気が良ければここから京都方面を一望でき、京都タワーまで見える。

「蘆刈抄」の舞台となっているのは、大山崎町から八幡市の橋本へ渡る淀川の中州。碑文に刻まれているのは「蘆刈抄」の一部で、横にある説明文には、昭和8年に刊行された潤一郎の自筆本によるものとある。

●アクセス/京阪男山ケーブル男山山頂駅下車徒歩5分

谷崎潤一郎文学記念碑「蘆刈抄

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