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いつか自分と世界を許してあげたい

食物アレルギーへの向き合い方や、成人喘息の発症について書いてきました。その後もアレルゲン除去やステロイド吸引の治療を続けています。正直なところ状況は芳しくなく、日により体調にばらつきがあり酷い日は布団から起き上がることができません。ただ寝込むほどひどい症状は頻度がかなり減り普段の生活に支障はありません。転職で在宅勤務率をあげ、運動は高負荷の有酸素運動をやめて自重を用いたトレーニングを始めるなど新しい生活が始まっています。

かかりつけ医や薬剤師さん、また家族と友人の協力と理解に日々感謝しつつ、ただここ数か月の私は何を責めていいのかどう納得したらいいのか迷い続けています。

私はもともと体を動かすことが好きで、夫と出会ったのもある北アルプスの山頂でした。フルマラソンを走ったこともあるし、最近はクロスフィットで筋肉がついてきたところでした。挑戦することで確実に体や精神は確実に柔軟に力強くなることを知っています。

日常から離れた世界へ行くことも好きで、見たこともない風景に出会うためい世界を飛び回って各地で高所登山をしていろんな人と出会っていろんなものを食べて飲んで手に入れてきました。まだまだ行きたいところ出会いたい景色がたくさんあります。

そんななか成人喘息になってしまって、やっと支障なく生活ができるようにはなったけど激しい運動や高地への移動ができなくなりました。調子を維持するために食事にもさらに気を使わないといけなくなってしまった。

私の場合は原因は元から持っているアレルギー体質が強いことなのでどんなに気を付けていても遅かれ早かれ今の状態になったと思っています。少なくともそう思わないと気持ちがもちそうにありません。この夏に登りたかった北アルプス南アルプスの山々とそこで見るはずだった壮大な景色を夢に見るとき、いつか行こうと思っていたとある国の色鮮やかなマーケットを夢に見るときに、いつも独り絶望の淵に立たされています。だからといってこの体質を恨むことも嫌うこともできず、息苦しく制限の多いこの生活がゆっくりじわじわと「ふつうの生活」になってきていることに恐怖を感じています。このままアレルギー体質がもっと強くなってどんどんできることが他にもなくなっていって、この失うばかりの人生と私はどう付き合っていけばいいんでしょうか。

家族や友人にも何度も話してきたことですが、「(しないとしても)いつか挑戦できること」と「挑戦する可能性がない」というのは天と地ほどの差があると思います。ある山や国に(もし長期休暇が取れたとしても)[行かない]のと、制限があり[行くことができない]ことはまったく違います。

例えば、これまでの人生で出会いもうこれ以上のものはないと感じているあの数々の景色たちにもう決して出会えないとしたら?遥かネパールの奥、山を登り切った先の標高4300mで見たあの星空には決してもう出会えないとしたら?いつか行きたいと思っていたあの遺産にもう行くことができないとしたら?

いまは毎日毎日こんな感じです。ふと旅の間に撮影した写真を見ては「もう行くことができない」、本やでふと登山雑誌が目に入って「あの縦走路を歩いてみたかった」。。毎日がこの繰り返し。

挑戦してみたらいいと言う人もいます。でも私の体は私が一番わかっているので無理なことを知っています。むしろ挑戦して「あぁやっぱり無理だった」と明らかにしてしまうことが私にはできません。あぁ1500mを超える標高では過ごせないな、走ることがもうできないな、って私は打ちのめされるべきなんでしょうか。

ただ、私は自分を不幸だと思っていなかったし、自分を幸せだと思えるようにありたいと思います(今は正直無理、過去の自分ごめん。)。小麦を完全に絶つことを納得できるまで5年もかかったけど、今度は登山や旅への気持ちをどうにか納得できるまでに何年が必要かわからないけど、それでも毎日悩んで苦しいいまの私をいつか許してあげたいし、決して周りや世界を責めてなじったりすまいと決心しています。自分がどうしたいのか毎日自分自身ですら分からずずっと苦しいですが、いつか思い返して自分を褒めてあげたいし周りに感謝して何かを返せるだけの人間でいたい。

最近あまりに頭の中をぐるぐると回るので、つらつらと構成などは考えずに書き出しました。また数か月、数年たってから答えをもってここに帰ってこようと思います。

標高4300m、アンナプルナベースキャンプで撮影した星空。マチャプチャレ山頂付近。
日の出がイエローバンドを染めるアンナプルナ連邦
エベレストとともに。標高5300m、カラパタールより。


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