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笑顔でいられればそれで良いのではないか

1.久しぶりに出会った人が、とても明るくなっていた

 今日は私の年内最後のデイ・ケアの日だったんですが、久しぶりに知り合いの方とお会いできました。
その人も今年長く苦しんでいたそうなんですが、年末になって回復したそうで、たまたまお互いに今日、デイ・ケアに来たら久しぶりに会うことができました。

その人は以前ははにかみ屋なところがあるな〜と思っていたんですが、今日会ったらすごく明るくなっていてちょっと驚きました。
なのでお互いに積もる話もあったので、半日ずっと話して過ごしました。

その人も明るくなったし、私も今年の精神の不調から立ち直って性格がかなり明るくなっていた(と後から気づいた)ので、ずっと笑いながら楽しい時を過ごすことができました。
その人が明るくなって嬉しかったですし、苦しい時を過ごすことで「脱皮」できたのかなとも感じました。

2.その人と話していて、自分もかなり変わっている事に気づいた

 その人に今日感じた「明るくなったな」という印象がそのまま自分に当てはまることに今更気づきました。
前々から「元気になったね」とか言われていましたし、自分は変わったなとは思っていました。
それは前より精神状態が改善しているという意味で捉えていたので、性格的な事までは気にはしていませんでした。

それに今日、スタッフの方皆さんにお礼の挨拶をしていたら、一番ベテランの方に「明るくなってなによりで」と言われてそこでやっと分かりました。
自分は精神状態が良くなっただけでなく、性格まで明るくなっていたのだと

去年から冗談を言うのが好きになっていました。
それは職業訓練校で一緒になった人に冗談ばっかり言う人がいたので、自分もつられて冗談で返しているうちにそれが自然と身についたもので、特にがんばって身につけたものではありませんでした。
それにその人以外に冗談を言っても単発だったり理解されなかったりその後に話が続かなかったりと、他の人にはあまり有効なコミュニケーションのツールとして使えていませんでした。

それが今年のコロナ禍で精神が悪化してからその後に復活してからは、ある程度上手く使えるようになっているのではないかと個人的に感じていました。
話の途中で冗談を挟んで笑いを生んだり、また冗談をきっかけに話を始めたりと、自分でもよくは分からないけれどなんだか話す事が楽しいなと感じることができていました。
冗談は、ただ言えば話が盛り上がるといった単純なものではないという事、それは話の流れの中の一環の手段であり、それには話す本人もある程度明るく楽しく話さなければ意味がなさないことに気づきました。
そこには自分の性格が明るくなったおかげだと今更気づきました。

3.関西人皆んなが面白いことを言えるわけではない

 私は高校を卒業するまでは関西に住んでいました。
確かに面白い人は多かったです。
クラスに一人は芸人並みに話が面白い人がいるとは個人的に思っていました。
でも私はある時から暗くなっていました。
家庭で色々あったり、もう中2の頃には周りの騒ぎについていけてなかったりしていました(中二病だと思います)
でも暗かったら関西で生きていけないかといったらそうではなく、本当に多種多様な人を受け入れる土台が関西にはあったと感じていたので、別に辛くはなかったですし、そういう人でも何らかの形で友達ができたのでそれなりに生き生きしていました。

でも愛知に引っ越してきて、そもそも他所者ですし、溶け込むことが難しかったです。
私は以前にも健常者(障害を持っていない方です)の人にある種の型があるように感じたと書いたように、愛知にいる人にも何らかの「型」のようなものを感じたのは確かです。
何だか「勝ち組」と「負け組」の二極化があるなと最初は感じました。
勝ち組の人は生き生きと、そして堂々と胸を張って生きているが、負け組の人は片隅に追いやられて細々としているように見えて何だか息苦しかったです。
そして私ももれなく負け組の仲間入りをしたので、もう社会のおこぼれとしてどんどん自信を失っていっていました。

4.負け組だろうが笑えればそれでいい

 今は負け組でも苦にならなくなっています。
もう慣れましたし、特に今はそれで良いと思っています。
それに私が「脱皮」できたように、今はそれなりに楽しい毎日を過ごしています。
要は「楽しむこと」、その事にこの歳になって始めて気づきました。
人生は短くて一瞬に過ぎてしまう、それなら好きなことを躊躇うことなくやればいいことに今更気づきました。
それに人生を楽しむと、実生活(働くことや家族の交流)もうまくいくそうです。
河合隼雄先生の『こころの処方箋』にもこういう言葉があります。

自分のなかの新しい鉱脈をうまく掘り当ててゆくと、人よりは相当に多く動いていても、それほど疲れるものではない。それに、心のエネルギーはうまく流せると効率のいいものなのである。他人に対しても、心のエネルギーを節約しようとするよりも、むしろ、上手に流してゆこうとする方が、効率もよいし、そのことを通じて新しい鉱脈の発見に至ることもある。心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多いものである。

自分の心の中に潜んでいるが諦めている事、または他人に対して羨ましいと思っているが見ないようにしている事、全部は無理だと思いますが、何歳であろうが挑戦しても悪くないと思いますし、その事がこころのエネルギーの循環を良くするきっかけになるかもしれないと思いました。

私はただ笑えればそれでいいですし、お笑い番組を見て笑おうが、笑えれば何だろうが別に構いません。
凄く単純なんですが、今更自分の心の鉱脈を掘り当てれた気分です。

5.最後に

 今、こころが苦しくて笑うどころではない方は全く無視してください。
とにかく休養することを第一に考えてください。
そしてちょっとずつ自分の好きな事、子どもの頃に好きだったこと、やってみたいなと思うこと、これをしている時にこころが休まる事、なんでもいいのでとりあえずちょっとやってみる、そういう事からきっかけが生まれるかもしれません。

そしていつの日かきっと笑える日が来ると信じてください。
希望を無くさないでください。
それは誰であろうが決して手放してはいけないものだと私は思っています。

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