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◆不確かな約束◆しめじ編 第7章 上 後悔


僕は神田にある映像会社に就職した。パチンコ台のアニメーションや企業のPR映像などを主に手掛けている。従業員18名というコンパクトでアットホームな会社だ。僕はそこで営業の仕事をしている。

最初は実家から通っていたけど、国分寺からでは少し遠いのと、毎日、母親と顔を合わせるのが面倒で、半年で家を出た。そして今泉でひとり暮らしを始めた。今泉は浅草駅まで歩いて15分かかるが、そこからは神田まで銀座線1本で座っていける。(浅草から銀座方面は朝でも割と空いている) なにより、今泉くらいまで離れると家賃が格段に安くなる。隅田川もすぐそこで、休みの日には隅田川沿いを散歩したりしている。

営業の仕事は先輩の三田さんと一緒にすることが多かった。三田さんは奥さんと子供2人と一緒に稲荷町に住んでいる。浅草駅から銀座線で2つ目の駅だ。帰りの方向も同じなので、一緒に帰ることも多い。そして、殆ど真っ直ぐ家には帰りたがらない三田さんに連れられて、よく呑みに連れ回されるのだ。


三田さんのお気に入りの店は〈Bar S 〉。初めて入った時にはビックリした。Bar って書いてあるのに実際はスナックのようなつくり。カウンターだけの7,8人入れば満席というような店。カラオケのないその店では、常連の客同士、マスターも交えていつもくだらない話しで盛り上がっている。

ぶっきらぼうなマスターで、注文のタイミングを間違えると「お前もっとまわりの状況とか、空気を見て、考えてから言葉を発しろ。そんなんじゃあ、いい営業マンになれねえぞ」なんて叱られたりもする。

店の常連は個性的な人ばかりで、欧米の人のような大柄の体型のおネエや、江戸弁丸出しのチャキチャキな祭り好き会社社長、突然ギターを持って弾き語り出すモジャモジャ頭、そんなギター弾きの子供を生みたいから、種だけ欲しいと言い出すちょっと綺麗めなイカれた女性などなど。みんなキャラが濃い。

一度、三田さんに「この店のどこがそんなにいいんですか?」と尋ねてみたことがある。

「こんな変人ばかり集まる店はそうそうないだろ。なんかここで自分の実生活とは無縁のアホな連中とバカな話ししてると、日頃悩んでいる事とか全部馬鹿らしくなってくるんだよ。そういう意味では、ストレス解消とか、もしかしたら癒しになってるのかもしれないな」

確かにそういうものなのかもしれないと思った。仕事の話しをしかけた時マスターに「こんなとこでそんなクソ真面目な話しするんじゃねえよ」って言われた事もあった。


◆◆◆◆◆◆◆◆

仕事の契約を貰えた日の仕事帰り、

「今日は気分がいいから俺の奢りでキャバクラへ連れてってあげよう」

そう言って、三田さんに浅草橋まで連れていかれた。

キャバクラ初体験だった僕は、女の子とどう話していいのかわからず、カラオケの曲を探しているフリをしてごまかした。三田さんは慣れた様子で女の子達を笑わせていた。

僕の隣に付く女の子が2回替わり、4人目のコは少し歳上の人だった。

「メグです。よろしく。ねえ君、ずっと下向いてたみたいだけど、楽しんでる? せっかくお金払って来てくれてるんだから、もっと楽しまないと損よ。はいリラックスして私とお話ししましょ」

「じゃあまず、お名前教えてもらえるかな?別に本名じゃなくてもいいし。名前なんてただの記号だから、他の人と区別できればいいのよ。私達も本名でやってるわけじゃないしね」

「ああ シュウ。本名でシュウ」

「シュウ君。いい名前ね。シュウ君イケメンだしモテるでしょ。彼女さんいるの?」

「彼女は今はいないっす。全然モテないという事はないけど、モテるという程でもないかな」

「アハハ。シュウ君て喋ると面白いじゃない。独特な表現の仕方するよね」


メグちゃんは僕と話しながらも、まわりの様子を伺い、水割りをつくったり、先輩の灰皿を替えたり、時折、他のテーブルの女の子にも指示を出したりしていた。どうやら女の子達のリーダー的な役割をしているようだ。

「あっ シュウ君、今わたしのことオバサンだって思ってたでしょ。まあもう30越えてるしね。言われても仕方ないけど。もしあれだったら若いコとチェンジしてあげよっか?シュウ君と同じくらいの歳のコと」

「いやっ 大丈夫です。メグちゃんがいいです」

「おっ シュウはメグちゃんがいいか。なら1人だけなら指名してもいいぞ。でもそのかわりメグちゃんもアフター付き合えよな」

ずっと隣の女の子に夢中だった三田さんに、そんなとこだけ聞かれてた。

「まあ三田さんたら。まあいいですよ。アフター付き合わせていただきますよ。今日はお腹減ってるから焼き肉がいいなあ」

「おお 今日は焼き肉でも寿司でもなんでも食わしたるわ」


店が終わって、メグちゃんと先輩のお気に入りのルリちゃんが出てくるのを待って、タクシーに乗り西浅草の焼き肉屋へと移動した。

メグちゃんもルリもよく食べた。ふたりともお酒もよく呑んだ。ルリちゃんが酔っぱらって甘えたしゃべり方になってきた頃、「じゃっ そろそろ俺達は別行動で」と言って三田さんは勘定を済ませて、ルリちゃんの肩を抱いて行ってしまった。

「ねえ もう一軒付き合ってくれない?次は私が払うから」

「えっ 別にいいけど」

店の前に停まっていたタクシーに乗り込み、今度は蔵前に移動した。

静かなバーだった。メグちゃんは席に着くなりジントニックを注文した。僕はあまりカクテルの種類がわからなかったので、メグちゃんと同じものにした。テーブルに置かれたチョコレートの包みをはがしながら話し始めた。

「ねえ私、真面目だけど変な話ししていい? 私ね、とっても好きな人がいたの。彼とは去年まで2年間、同棲してたりして、あーこのままこの人と結婚するのかな。って思ってたんだー。彼は優しい人で、こんな仕事してる私にも理解があったわ。ふたりとも仕事が休みだった日には、お客さんに会わないように少し遠くまで行って、手を繋いで公園を歩いたりするのが幸せだった。だけどね、それでね、去年の春に妊娠した事がわかったの。それまで私、ぜんぜん子供を欲しいと思ったことなんてなかったのに、できたとわかったら、わー 私のお腹の中に彼との子供がいるんだ。なんて急に愛おしくなってきちゃったりして、そんな自分の反応にも嬉しくなって、仕事から帰ってきた彼に、赤ちゃんできたよー。って。ふたりの子供だよ。って。これからは3人で仲良く暮らしていきましょう。ってバカみたいに、彼がどうしたいかなんて一切考えないで。今考えてみると、私、喜びすぎて舞い上がっちゃってたのよね。もっと慎重に伝えるべきだったのかもしれない。結果は同じだとしてもね。結局彼は次の日、テーブルの上に置き手紙だけ残して出て行ってしまったの。ごめん、俺にはまだ子供を育てていく自信がないから。って。たったそれだけしか書いてない手紙を残して。なんの話し合いもなく。その日私は一日泣いてすごしたわ。彼のことは恨んだけど嫌いになんてなれなくて。またそんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。次の日、朝起きると、このお腹の赤ちゃんどうしようって。ひとりで育てようかとも考えたんだけど、私、九州の田舎からひとりで飛び出すように出て来ちゃってるし、今更戻れないよなー。なんて考えてたら、やっぱり無理だわ。って。それで結局、堕ろしちゃった。」


メグちゃんは、時折涙を拭い、鼻をすすりながら、ひとりで話していた。その間、僕は相づちさえ打てずにただ聞いている事しか出来なかった。彼女の濡れたグラスをぼんやりと見つめながら、ミユの事を考えていた。ミユには本当に申し訳ない事をしたと思っている。でもあの時の自分には、まだ就職もしていない自分に、子供なんて育てていけるわけはないと思っていた。だからミユが自分で決断してくれた事に安堵する気持ちもあった。そんな自分が情けなかった。責任感の欠片もない。それから僕は、一人前になれるまで彼女はつくるまいと心に決めていた。メグちゃんの話しは自分が責められているようで辛かった。出来る事なら耳を塞いで、今すぐこの店を飛び出していきたかった。


「シュウ君 会ったばかりの君にこんな話し聞かせてごめんね。なんかシュウ君相手だと話しやすくって。酔っぱらっちゃってるね私。シュウ君はさ、彼女出来たら幸せにしてあげてね。シュウ君ならきっとできるよ」


その後も少し話しをして、カクテルを3杯づつ呑んで店を出た。メグちゃんが「私の部屋すぐそこのマンションだから少し寄ってく?」と訊いたけれど、僕は到底そういう気分にはなれなかったので断った。


今泉までの道をゆっくりと歩き、過去の事をいろいろ思い出しながら帰った。遠回りして、隅田川沿いを歩いてみた。ここに飛び込んじゃえば楽になれるのかな。なんて一瞬考えたりした。いや、みんなに迷惑がかかるからやめとこう。

少し明るくなりかけて、ホームレスの人達がダンボールと新聞紙にくるまって寝ているのが見えた。この人達も生きているんだな。生きる意味ってなんだろう。考えたところでわかるはずもなかった。頭が痛くなってきた。橋の下に隠れて、胃の中の物を全部吐き出した。胃液とジンの苦さが舌をさした。

「兄ちゃん大丈夫か?」声の方を見ると、そこにもホームレスのおじさんがいた。「あっ 大丈夫です」口の中に残った滓を遊歩道にペッと吐き出しながら、急いでその場から離れた。川の向こうを見ると、巨大な建造物が空に向かって無意味にそそり立っていた。

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