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ガクチカ書きたくないな、の哲学

ガクチカとかES、好きですか?私は嫌いです、とても。今日は、先輩からもらった「業界別!企業が求めてる人物像6選」を読みながら、オイオイおいらの人格カスタムドールかい!!!…ってツッコむ遊びとかしてました。書かなきゃだったけど全然書く気起きなかったからね。でも、自分のどこをどうこねくり回しても「新しい価値を生み出す人間」とか「変化に対応できる人間」の要素はさっぱり見当たりませんでした。それどころか、協調性もコミュニケーション力もそれを象徴したエピソードもありません。なんか無理くり捻り出したりもしたけど、自己認識と、自信に満ち溢れている(風)の文章に乖離がありすぎてゲボを吐いて白紙です。
 
でも、学生時代を無意義に過ごしたとは思わないんですよね。ただ、それは「ガクチカ」として定量化できるものではない。自分が大事だなって思ったのは「苦手な人と上手いこと同じ空間に存在する方法」とか「興味ないことでも誰かのスキを否定しない」とか、そういう小っちゃい気づきを積み重ねることであって、バシーっと「強みはコミュ力です!!!」みたいに明言できるモノではなかったんです(言語化へたっぴなのもあると思うけど)。それに、気づいたきっかけって友人と話す中で自分と違う価値観を見つけた瞬間とかだから、大きな挫折経験とかエピソードというよりは日常の中で日々アップデートされる感覚に近かったし。
 
もし本当に「学生時代力を入れたことはなんですか?」って聞かれたら「毎日を必死に生きることです」って答えます。いや、必死かはよく分からない。でも日常と友人とSNSには張り付いて、時計の進み通りにただただ毎日生きる。それが私の頑張っていることなのは確かだと思うし、無意味だとは思えないんです。
あーあ!願わくば誰か私のことを引っ張って、死なない程度に楽な場所に連れて行ったりしてくれないかな、きっともっと素敵な世界がある気がするんだよなーーー、なんて絵そらごとを前向きに考えつつ、就活をしたりしなかったりしている飯子でした。
 

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