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「82年生まれ、キム・ジヨン」を読みました


ネット上で話題になっているのを見かけ、前から気になっていました。行きつけの本屋さんの隅っこに陳列されているのを見かけて思わず手に取りました。

自宅に帰ってからお気に入りの栞を用意して読み始めましたが、それは必要なかったようです。2時間半ほどで一気に読んでしまいました。


私の周りにいるたくさんの女性がキム・ジヨンの中に集約されていると感じました。これから私が下に書くことは私自身が日本で育って感じた不当な扱いへの怨念のようなものも混じるでしょう。気が進まない人は読まないでください。

私は93年生まれで、私が小学校に上がった年はちょうど2000年でした。男女別の名簿はすでに廃止されていましたが、男女別の保健指導や女子にだけ細かい制服指導、好きな子をいじめる男児の存在、それをしょうがないことだと受け入れる教師などはまだ存在していました。

5年生になると少し早めの生理がきました。私は経血量が多く生理痛も伴うタイプだったため、生を受けて約10年にしてこっち側の性に生まれたことを恨むようになりました。当時はスポーツは何でも大好きな子供だったため、生理や生理前後の不調のために実力を出し切れなかったり、プールを休まなければならなかったりすることが悔しくてたまりませんでした。こんな事情は全く考慮されず、成績はつけられるからです。


中学のことはあまり記憶にありませんが、男子たちに顔面偏差値のランキングをつけられたことに不快感を抱いたことは覚えています。


高校受験を経てそこそこの地方進学校に進み、本格的な大学受験に臨む時期を迎えた時、何となく一人でも生きていけるかなと思える進路選びをしました。女も手に職を、ということがよく言われる時代でした。しかし、それは出産や結婚を経ても困らないように、という意図が含まれていたようにも思います。資格や能力があれば復職に困らないからです。


大学では医療資格を取るために勉強しました。2014年、その大学での教養科目に「ジェンダー論」というものがあり、単位取得の要件もハードルが低かったことから多くの学生が履修しました。私もそのうちの一人です。そしてその授業ではジェンダーという名前はさておき、内容のほとんどは男女の格差にフォーカスしたものが中心でした。男女での賃金格差や社会参画機会の差、家庭内における家事負担割合や子育てによるキャリアの断念、育休取得率の男女差、日本人女性のM字曲線、子育て支援の不十分さ、服装やメイクなどの社会圧力、家父長制、戸籍制度、性犯罪の検挙率と泣き寝入りの数、痴漢、性産業という負のセーフティネット、ルッキズムやエイジズム、、、

授業の中でわからないことはほとんどありませんでした。私が日本で女として生きてきて、女性が結婚して苗字が変わったり、女性が年老いてババアと蔑まれたり、女性が電車で痴漢にあったり、世の母親たちが安い時給でパートに出ていたり、女性の顔面の造形でランキングがつけられたりすることが普通にあったからです。わからなかったのはどうして私が女に生まれたのかということです。

私は授業を受けて自分の中で生まれそうになった化け物をそこにいると認識したくありませんでした。その負の感情を、どこにもぶつけることができないのに、どう解決することもできないのに認めたくなかったからです。あるとわかったら解決したくなるからです。その化け物がいなくなるように頑張らないといけなくなるからです。急に戦うべき敵が増えて生きるのが苦しくなるからです。見ないふりをして慎ましく穏やかにしていれば敵なんて見えないし戦う必要もありませんでした。一度化け物を心に住まわせてしまったら、自分が化け物になってしまうような気がして怖かった。当時、男女差別の解消に向けてすでに法律も整備されていましたが、フェミニストという存在は地方の大学生にとって身近なものではありませんでした。


特にフェミニストとして生き方を変えることもなく大学を卒業し、病院で働き始めました。2016年です。女性の職場でしたから産休や育休に入る方も多く、その半分くらいは育休後に復帰するようなところでした。同時に離婚される方も多いところでした。どうして、この仕事をしている女性は離婚率が離婚率が高いんでしょうね、と先輩と話していたら「そりゃあこの仕事なら一人で子供養って生きていけるからだよ。血の繋がってない男の面倒を余分に見るくらいなら、血の繋がった子供と自分だけで楽しく生きる方が楽なんだよ。」と言われました。私も、自分だったら家のことを何もしない、自分より給料が低い大人が同じ家にいたら別れるだろうなあと思いました。


社会人になって、社会とつながるようになってからは本当にいろんなものが見えてきました。職場では、医師を除いて育児休暇後の時短勤務の方が負担なく働けるように業務改善が度々行われました。病院に出入りする中年くらいの男性患者さんは若い女性職員に敬語を使う人が半分くらいしかいませんでした。職場の飲み会では男性の同僚から結婚願望や彼氏の有無をよく聞かれました。ある年にハラスメント講座が開かれ、参加が促されました。東京医科大の不正入試が院内でも話題になりました。男性医師と女性患者が密室で二人きりにならないよう、配慮を促す通知がきました。


そういったことに伴ってSNSでも女性の生き方に関するニュースや記事が目につくようになりました。#Kootooの運動や伊藤詩織さんの活動もそうですし、ニュージーランドや北欧での日本とは違う状況などにも目がいきました。ネット上での署名活動や募金も時々するようになりました。ですが私はまだ、自分がこの状況を静観しているような気がします。世間が、社会が良くなってほしいと願う一方で、どこか成熟した国に移住してこの戦いを放棄したいとも思っています。


今年27歳になりました。今後私がどのような選択をするのかわかりません。ただ、これから生まれてくるたくさんのキム・ジヨン氏が、これから不当な扱いを受けずに生きていけるよう望みます。

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