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5.人間的時間へのギモン

江戸時代の農民は「1日が短いなぁ」とか「明日も仕事か…。」そんなことを考えたことはあるのだろうか。

人とネズミの時間の感覚が異なるとすれば、時代ごとの時間感覚に違いはあるのだろうか。

便利さ、時間短縮、作業効率化を追求するあまり自分の時間を失ってはいないだろうか。

生きるための効率の良い手段として農耕文化が生まれ、社会が出来てお金が生まれ、ありとあらゆる「面倒くさい」がビジネスになり、これを解消するために人は今日も命を削りながら忙しく働く。今はそんな時代でもある。

時代は変わる。しかしここまで早く生活様式や生産性が大きく変化したのは人類史上初めてであることには異論はないだろう。そんな中で、僕らは人間としての本質を失ってはいないだろうか?

食って、出して、寝て、生んで増え、死んで減る。これは生物としてのサイクルのスタンダード。では人間はどうだろう。

パスカルも言った通り、人間は考える生き物である。言語を操り、共同体を作ることもできる。

では、現代人、こと日本人に関してはどうだろう?
考えもせず、可処分時間をSNSに奪われて自分の言葉では語らず、共同体を作ろうともしていないではないか。

生きるために働くのではなく、働くために生きる人も多い。彼らは、消極法でその選択肢を選んではいないだろうか。だとしたら実にもったいない。

1度きりの人生だ!とはよく言われるが、それ以前に一度きりの、一瞬のこの時間である。時間を無駄にすること、それはすなわち命を削ること。

誰かが死んでも欲しかったその時間は、今自分が手にしているこの時間。砂時計の砂のように1粒1粒こぼれ落ちていく時間をこれからはもっと大事にして生きていきたい。

時間という資産は増えない。減るだけだ。時間に関していえば今この瞬間に生まれた赤ん坊がこの世で1番の億万長者である。

僕は人間的な時間を守り、使えているだろうか。
人としての尊厳を失わず、惰性ではなく感性で生きる。
そんな人生でありたいと強く思った。

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