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3月最終日 新しい希望の春
私が今まで、勤務していた学校では3月の最終日にはみんなでお茶を飲んでお別れの会をします。
私は、今年で退職なので、異動者とともにとりあえず、終わりです。
とりあえずというのは、時間講師として、学校に残ることになりました。
週2日の8時間のみ。
授業や集団を指導する力はブランクがあるとどんどん鈍ってしまうので、残してくれるのはありがたい。
今日は、私が良い先生を目指していたころのことを書きます。
私は、小さい頃から勉強が嫌いでした。勉強もなにも、自分が嫌だと思うことを強制されることが耐え難い子どもでした。
体を動かすのは好きではないので、体育はほとんど見学していました。
算数は小学校四年生からよく分からなくなってしまい、そこから勉強しませんでした。
英語も嫌い、世界史も嫌い。苦手なものには手もつけない子どもでした。
勉強は全くダメでしたが
人間関係には困ることはありませんでした。
自分の要求が通らないとなんとか変えられないかと交渉し、自分の思うようにする。そのために人間関係はいつも円滑になるよう気を配っていました。
学芸会の演目が気に入らないと、署名活動をして、意見を通すようなこともありました。
「しかたがないでしょ!」って友達に叱られて初めて「この世には仕方がないことがあるんだ!」と悟ったほとです。
そんな私が、先生をめざすと言ったので、
その親もその当時の彼(今の旦那)も大反対でした。
「あなたにはできるわけない」
「勉強できないじゃん!」
「そもそもこんなわがままで!」
それでも、苦手な勉強を学び直してでも先生になりたかったのは
大好きな先生がいたから。
どんなに問題を起こす子がいても
「この子は将来社長になるかも!」
と明るく言い、差別しない先生でした。
絵本をたくさん読んでくれて
今でも読んでくれた本を購入し直して持っているほどです。
私も人を差別しない。誰もが可能性を伸ばせる教室が作りたい。
と私は先生を目指したのでした。
実際のところどうだったかというと
15年勤めてみて、
人との出会いはタイミングだということ。
思うように人は動かないということ。
一人一人の子どもの中には可能性があるということ。可能性を開くためには、自分を信じる力をつける必要があるということ。
こんなことを学びました。
15年集団指導をしてきて思うのは、なかなかタイミングと信じる力をつけることは、集団では私には不向きだったということです。
だからそもそも出会いのタイミングから偶発性を高めて、個別に自分を信じる力をつけさせていきたい。
そんなふうに思って不登校支援を始めようと思いました。
甘いのかもしれない。教員という看板を下ろした私に何ができるか怖いけど、
なんかちょっと世の中と合わない。
集団に違和感がある。そんな人の役に立ちたい。
それが、自分の信じた世界から自分を高めるということ。
喫茶店
時間講師
不登校支援
三つの草鞋で生きていきます。
楽しみしかない。
自分の信じた世界から自分を高める
不登校支援の学び舎「HAG」
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