旅日記+α:中華人民共和国 満洲国皇宮の写真集と所感 in 長春
ユーラシア大陸北まわり放浪旅の1国目・中華人民共和国の長春にて立ち寄った、かつての満洲国皇帝の宮殿を復元した満洲国皇宮博物院を訪れたときの所感。
知識の記述が多くなったので日記から分離します。
「偽」満洲国皇宮
↓最寄の駅名でわかる中国共産党政府(以下中共)の歴史観。
中華思想においては、天命を受けた(正統)天子=皇帝は天下にひとり 王朝はひとつだけ。
だから中華人民共和国も中華民国もお互いの存在を絶対に認めなかった。
現在も、そしておそらく今後も台湾の存在を認めることはない。
中共の歴史観的には
清朝→中華民国→中華人民共和国
と「正統」が移っている。
もちろん「天命」だ「天子」だなどという表現をすることはない。
しかし世界観の枠組みはそのまま残っている。
「正統」ではない満洲国は、彼らにとって「偽りの」存在。
日本人来館者
↑珍しく日本語表記。
ここ満洲国皇宮博物院を訪れる日本人を想定してのことだろう。
少しでも歴史に興味があれば、長春に足を運んだ以上はずせないスポット。
(長春は満洲国の首都「新京」だった)
門をくぐると、中国人ガイドの説明を受ける年配の日本人男性がふたり。
他にも日本語を話す年配のグループが。
60代以上となると、何らかの形で満洲国に関わっていた人が身内にいる(いた)ことも珍しくない。
日本の敗戦後、外地から本土に引き上げた日本人は約660万人。
異文化を肌で知っている人間がこれだけいたことになる。
今の日本はどうだろうか。
入館係の意外な態度
博物院の外の売り場でチケットを買い、荷物検査へ。
英語でのやり取り。
『Where are you from, sir?』
彼らが受けている教育を考えると、この場所ではあまり答えたくない質問だが
ルーツを尋ねる質問に嘘では返せない。
『Japan』
と答えると
『Oh!Japan, nice to meet you, コンニチワー!』
あれれ。思ってたのと違う。
自分『日本語お上手ですね、You speak Japanese very well』
彼『アリガトウゴザイマース!』
嫌いではないこのノリ。
ともあれ入館である。
歴史観とプロパガンダまる出しの説明文
↑映画ホール。↓説明文
↑『日本の侵略戦争』と、しれっとプロパガンダ。
↑ビリヤード室。
↓説明文。どこまで本当なのだろうか。
↑溥儀の客間。
↓説明文。会見したのは「日満」ではなく「日偽」高級官吏。
↓溥儀と特攻隊員の方々?中国語が読めないので詳細はわからない。
↓関東軍司令部。
↓清朝歴代皇帝。錚々たる顔ぶれ。乾隆帝までは。
「皇帝から公民へ」
↓こんなコーナーもありました。
↓すべて溥儀のもの。写真によく写ってるアレです。
↓溥儀 皇后 彼の妹弟など
↓『国を焦土にしても満洲国の権益をゆずらない』
と狂った演説をしたこと(焦土演説)で有名な、1931年満洲事変当時の満鉄総裁 内田康哉(右)と
関東軍司令官 本庄繁(左)↓
↓満洲事変当時、日本の陸軍大臣だった南次郎(左)と
日本で一番有名な右翼 頭山満(右)↓
↓中共史観ではこういうことになってるようです。
↓靖国神社に参拝した溥儀。1935年4月。
↓昭和天皇と握手をする溥儀。1940年6月。
↓伊勢の神宮に参拝する溥儀。
↓1945年8月15日。
↓『中国共産党は人道主義の改造政策に基づき、溥儀に対して、十年にもわたる長期間の教育と改造をおこなった。』
「人道主義の改造政策」って語義矛盾のような気がするが。↓
↓「人道主義の改造計画」を施される溥儀。
↓修了。
↓「日本の侵略戦争を支援」
防空壕と庭園
↓「"天照大神"防空壕」
満洲国の末期、祭祀官は空襲のたびに壕の中に天照大神の厨子を運んだ。↓
↓「御用防空壕」溥儀が家族を連れて使用していた。
↑東御苑。
↓説明文。
再び館内へ
↓10の地域へ遠征し、版図を清朝最大規模まで広げた功績をもつ「十全老人」を自称した、清朝第6代皇帝 乾隆帝の印。↓
↓ここで満洲国皇帝としての即位式典を行ったようです。
説明文「(溥儀は)偽満洲国の傀儡皇帝をつとめた」
もうちょっとオブラートに包んだほうがプロパガンダとしても効果がありそうな気がするが。↓
↓仏堂。
チベット仏教ではなく日本仏教っぽい。↓
↓違う部屋だがチベット仏教画もあり。
↓中共が持たせたい歴史観 ストーリーがよくわかる。
しかしプロパガンダとはいえ、ここまでストレートな表現には文化の違いを感じた。↓
↑そのフレームだったら上部は脚立使った方がきれいに掃除出来ますよ。
満洲国皇宮博物院に来る意味
ここに来るだけで、中共が内外に浸透させたいストーリーがよくわかります。
そして満洲国は「日本史の」一部。
じかにここに足を運べば、現代の日本人と 当時外地を股にかけた日本人とで内面的にかなり違う部分があることもわかる。
自分が行った時には日本人は年配の方しか見えませんでしたが、若い人にも行って欲しい場所だと思いました。
↑満洲国当時の、新京(長春)大同広場
↓現在(2019年5月)
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