note140本目 アラスカ 風のような物語/やがて満ちてくる光の
読書というと私にとっては第一にフィクション(小説)なのですが、今回エッセイを2冊続けて読みました。
そしたら、そんなつもりではなかったのに、2冊は不思議と共鳴していた。
星野道夫と梨木香歩。
2つの魂が、時空を超えて共鳴するのを感じた。
星野道夫『アラスカ 風のような物語』
私が読んだのは、大型本の方で、「大きな本」だと思った。
本としてのサイズも大きいが、内包する世界が大きく、深い。
星野さんがアラスカで撮影したカリブーの群れ、クジラたち、グリズリーの親子。そして極北に住む人々。
特に印象に残ったのは、ムースだろうか、立派な角の頭蓋骨が、地面の上で苔むしている写真。
自然の悠久の営みに組み込まれた、一つの生命。
星野さんはカリブーの群れの季節移動を待って、何か月も、たった一人キャンプをはる。地を埋めつくすカリブーの大群に出会うことを夢見て7年、ついに待望の瞬間が来るが、群れ全体を見渡すためには高い場所が必要。
しかし、辺りはただただ平坦なツンドラだった……
新しい靴、春の気配で心が浮き立つとき。星野さんは言う。
線路ぎわのどこでも、手を振れば列車が止まるアラスカ鉄道。
その機関士のことば。
こういう人生がある。世界の広さに圧倒される。そしてうれしくなる。
「いつか自分が年老いた時、このカメラを手にしながら、」
子どもたちに、オオカミにカメラを盗まれかけた話ができるかもしれない、と書いた星野さんは若いまま亡くなった。
もしも星野さんが今も生きていらしたら、世界は今とは少し違っていたはずなのだ。
梨木香歩『やがて満ちてくる光の』
tsuyukusaさんのこちらのnoteに感じいって、読んだ。
これはぜひとも読みたい、読んで間違いのない本だ、と確信した。
どこもすばらしいが(「なしきさんは、ほんとうはリスだったの?」などあまりにも可愛い)
(着物レンタルと「慈しむ文化」のくだりは中学国語の教科書に掲載すべき)
(私も魚津水族館に行きたいし東ヌプカウシヌプリにも登りたい)、
tsuyukusaさんも取り上げられている「生まれいずる、未知の物語」というインタビュー記事は出色。
その中の「常に進歩するべき」という強迫観念についてのくだり。
すさまじいことを言っている。なんという徹底ぶり。
「タイパ」が重視される現代の「いいとこどり」精神に対して、
「ほんとうに、それでいいの?」と待ったをかけるような。
私としては、梨木さんがプロテスタント神学を学んでこられたというのが驚きでもあり納得がいくことでもあった。穏やかそうでも一本筋が通っていて、あたたかいけれども公正さにおいて譲らなさそうなところ。
星野さんと梨木さん
たまたま、星野さんの本の直後に読むことになったのだが、
心の深さ、自然との感応、
底の底で2冊はつながっている、と感じた。
別々なのに、つながっている。それこそ、菌類のように。
(「キノコというのは極度にストレスのかかったときの異常事態の産物」!! 新たな「キノコ目」が得られてしまった)
星野さんと梨木さんは会ったことがあるのだろうか。
対談があったら絶対にすばらしいものになったはず、と思って調べたら、
梨木さんの『水辺にて』というエッセイに星野さんに言及した箇所があるという。
『春になったら苺を摘みに』の表紙も星野さんの写真――私この絵はがき持ってる。
そうだよね。お二人はやはり、通じ合うものが、あるよね。
ぜひとも読まなければならない本がまた増えたようです。
(『旅をする木』も最高の一冊で、星野さんで一冊だけと言われたらこれかもしれない)
(↓↓積読の話↓↓)
(↓↓アラスカには行かないものの茶ぶどうの旅行例↓↓)
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