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私の目が黒くなった理由

人間の目には様々な色がある。
世の中にはどうしてかやたらと目が黒い人がいる。
私もそのうちの一人である。

本文で表現する”目の色”とは、比喩的表現と肉体的の実際の目の色どちらも解釈として使用して行く。

ユダヤの言葉でよく「なぜユダヤ人の目は黒いのか?」と言う問いに、ユダヤの方々は皆答えを持っているらしい。

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■はじめに、瞳の色の構造とは

目の色は生物学的な定義で言うとメラニン色素の多寡で決まり、メラニン色素が多い順に黒色 → 茶色 → 緑色 → 青色と大きく大別される。

端的に表現をするとメラニン色素の量で目に加わる光量が変わり、眩しさの感じ方は変わる。

元々日差しが弱い地域の瞳はメラニン色素が薄いようで、ヨーロッパの方がよくサングラスをするのはそれが理由だ。

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■自分の半生を振り返れば目の色が分かる

※※若干深刻な内容になるので興味がない人は読み飛ばしてください※※

ここで言う目の色(瞳の色)とは比喩的表現になる。
私の目が黒くなった大きな要因は20年前に受けた日本脳炎のワクチンから自らが脳炎にかかってしまったことだ。。
(正確に言うと病名は「急性散財性能脊髄炎」通称ADEM(アデム))
そしてその6年後に別の病名で再発をした。
ワクチンには主に3種類存在し、生ワクチン、不活化ワクチン、トキソイドが存在する。日本脳炎のワクチンは不活化ワクチンに属するが、当時はその製法に問題があった。。 続きは別記事で。。。割愛

当時のこの経験は多くを教えてくれた。
・何をするにも最低限のリスクを考えること。
(ネガティブになれと言うことではなく、回避策を練るということ)
・他者が言うことを鵜呑みにしない
・むやみに他者や物事に期待しない
・物事の本質に目を向ける    
             ・・・・・etc
当時、自由に体を動かせなかった時周りの人がとても輝かしく見えた。
自由に行動ができ、発言ができる。人間が生まれながらにして当たり前に持ち合わせていると思っていた全てが輝かしく見え眩しかった。
これらを当時の極限の状態の中で感じた瞬間、私の目は黒くなった。。

そう、本文で表現している”目が黒くなる”と言う表現は眩しさを感じなくなると言うことだ。
当時は何を見てもうらやましく眩しく感じた。。
その眩しさが辛く少しでも和らげたいと思い目を黒くしようと思った。(あくまでも比喩表現)

■目の黒い人

先の話で少し出てきたユダヤの方々も歴史的背景から目が黒いと言う。もちろん時代の変遷の中肉体的に元々瞳が黒色のモンゴロイド系の遺伝子が入っていると肉体的に瞳は黒くなるが、様々な人と仕事をしていると時折滲み出る目の黒さを感じる時がある。

多くの苦労や困難を乗り越えてきた人の目はなぜか黒い。。

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■これからのビジョン

幼少〜小学生の時のこの経験から、少しでも不慮の事故に巻き込まれてしまった様々な人が明日へ希望を持って生きて行くことができるような社会づくりをしていきたいと思った。
自らの経験の情報発信と、今日よりも明日にわくわくすることのできる会社を創設しようと思う。
さらに加えるのであれば、人間が古来より持ち合わせている生きて行くことに対しての意味の探究について考えていきたいと強く思い、今その過程にいる。

弱肉強食という前提のもと「適者生存の時代」。人と人とが手を取り心で繋がっていける相互理解のために。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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