見出し画像

仏教ってなに? 基礎編−4

悟りの内容

 それでは、釈尊が悟ったという物事の本質的なありようとはどのようなものだったのでしょうか?釈尊は自分のこころの在り方をじっくり観察するところからスタートしました。自分とは一体誰なのか?何が自分の本質なのか?本当の自分はどんなものなのか?などについて、ずっと観察していると、結局、本当の自分など何処にも居ないことが分りました。あるのはただ「自分」という思いだけでした。自分の存在を根拠づけるものなどどこにもないことが分ったのです。ただただ「自分」という思いというか、思い込みのようなものがあるだけでした。その根拠のない思い込みの様なものが、自分の根底に出来上がっていて、そこから、その自分を守り、維持するための様々な働きが生じていることも分かりました。
 その「自分」という思い込みは、自分を他者や他の存在物と区別し、他者との生存競争に打ち勝ってでも、「自分」というものを維持しつづけようとする強い働きを持っていることが分ったのです。
 それは、あたかも大海原の波の一つがある日突然、「自分」という自意識をもち、その自意識から大海原を眺めてみると、他にも自分と同じような競争相手である波が無数に存在し、それらの波に負けない様にこの「自分」という波を維持し、より強くより大きな波になって生存競争に打ち勝とうしているのと似ていました。
 しかし、本当は海の波も、それぞれが他の波とは別の本質や本体を持っているわけではなく、全ての波は根底では繋がっています。要は思い込みの問題であって、波の一つが、自分を「波である」と思い込むのを止めて、自分は実は海そのものだったのだと気付いた瞬間に、波としての「自分」は消え去り、全世界の大海原そのものと一体となるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?