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スクリーン「チラシ大全集」Part4感想 スター新世代&映像革命vsヴァン・ダム

「チラシ大全集」Part4。90年代突入。映像表現が進化を遂げる一方で筋肉アクション路線が徐々に衰退。筆頭格スタローンも苦境に追い込まれていくこの年代で全盛期を迎えたのが「プレデターに成り損ねた男」、ジャン=クロード・ヴァン・ダム

開脚から繰り出される回し蹴りでKO量産(高確率で尻も出す)。定期的なテレ東での出演作放送とレンタルビデオ店での常時陳列で日本でもファンを獲得。現在でもツイッターではヴァン・ダムの画像がタイムラインに毎日投稿される程の熱烈な支持を得ており、筆者も無視できなかった。そこで、ここからは強引にキアヌ、ブラピ始め「スクリーン」読者の黄色い声援を浴び続けた人気者たちと人気投票の縁は皆無、コアファンと共に我が道を突き進むヴァン・ダムの双方の視点で見た感想を記そうと思う(イーストウッドでいう「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」みたいな)。ヴァン・ダム好きな方は読んでいただけると幸いです。

水没したバブル。引き揚げたUSJ

1990年。ジュリアナ東京が誕生する1年前で所謂バブリーダンスが流行り始めた頃、ヴァン・ダムは「キックボクサー」で己のダンシング・ヒーローを表現していた。

扇子を振るより、腰を振れ!

一方、ダンスはダンスでも「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でケビン・コスナーがアカデミー作品・監督の2冠。読者人気投票でも92・93年1位。「ボディーガード」、「パーフェクト・ワールド」も共に1位と日米両方で頂点に君臨した。95年の「ウォーターワールド」は制作兼任だった本人の拘りと相次ぐ水難トラブルで、総製作費1億7500万ドル(日本円にして約194億!)。自身も2000万ドル自腹という執念で完成させたが無情にも不発。以降、監督作も「長い」と酷評され低迷する憂き目に。救いは公開時に受け入れられなかった本作の世界観が年を重ねて受け入れられた事。その証拠にユニバーサルスタジオではアトラクションとして採用され、我が国USJでもオープン当初から現在まで名物となっている。コスナー自身も近年は脇役でまた存在感を見せていて、苦労して作った作品の失敗は無駄ではなかったという事で。

思い出の吹替名作。不死身のロボットと泥棒コンビ

1991年は吹替の名作「ターミネーター2」と「ホーム・アローン」が公開。シュワルツェネッガー日本最大ヒットの「T2」はフジで度々放送され、土8のめちゃイケ後の定番に。悪役→主役に転向のT-800=シュワの無機質だけど芽生えてくる父性。T-1000の舌打ちと人差し指を振る憎らしさ、母の強さを体現したサラ・コナーは「人間の骨は215本もあるけど、1本でも折れたら痛い」事を教えてくれた。余りに有名な親指を立てて溶鉱炉に沈むラストは私も涙した。「ホーム・アローン」は2の方が放送頻度が高い印象。あのトランプもカメオ出演し、泥棒退治もグレードアップするが今思えば主人公ケビンがサイコパスに思える程の残虐さで「ランボー ラストブラッド」のように肉片と化しても可笑しくないところを最後までピンピンしている泥棒コンビの不死身ぶりも新たな発見。「ターミネーター2」は91年作品1位。シュワは9位(意外やトップテンは2回のみ)、リンダ・ハミルトンは10位、エドワード・ファーロングは一躍1位に輝いた。ハリウッド史上最も稼いだ子役、マコーレ・カルキンは92年10位。

決闘!HOLLYWOOD vs HONG KONG ヴァン・ダムvsジャッキー

1992年。ヴァン・ダムの十八番、双子ネタ第1作「ダブル・インパクト」登場。そこに、あろうことかジャッキー・チェンも同じ双子の「ツイン・ドラゴン」をぶつけてきた。しかも配給元は「ポリス・ストーリー3」とヴァン・ダム最大の金字塔「ユニバーサル・ソルジャー」を2本立てで公開(チラシには「HOLLYWOOD vs HONG KONG」の文字)。「ダブル・インパクト」でヤン・スエとタイマンを張ったヴァン・ダムはチラシで銘打たれた通り、vs香港アクション勢との全面対決を繰り広げる事に。結果は上記含め4作公開のジャッキーが数に物を言わせて5位。無念、ヴァン・ダムは圏外で敗れ去った。

これがッ!  これがッ! これが『ヤン・スエ』だッ!

人気者、世代交代開始

1993年。ヴァン・ダムとの対決を制したジャッキーだったがベストテン落選。「シティーハンター」で「あなた、冴羽ちゃう、ジャッキーやん」と思われたのか(吹替はFIXの石丸博也さん、2年後公開のゲーリー・ダニエルズ主演「北斗の拳」は神谷明さん)否か、以降ベストテンに入らなくなる。代わって浮上したのが「スピード」で1位ゲット。後に映像大革命「マトリックス」でも主演を張るキアヌ・リーヴスにブラッド・ピット、レオナルド・ディカプリオで、常連組の顔ぶれに変化が。対するヴァン・ダムは「タイム・コップ」でマトリックス・ディフェンスを先取りする、開脚電流ピタゴラスイッチによる弾避けを披露。頑固一徹、初志貫徹。戦闘スタイルを変えずに突き進む。

ノブも「ちょっと待てぃ!」と押す展開

実力派揃い、そして殺し屋を愛した少女のその後

90年代の女優陣は実力派揃い。現在までずっと大スター。最近クラゲに刺されかけたジュリア・ロバーツ(90年1位)、アンチエイジングが近年注目のシャロン・ストーン(92年5位)、若気の至りで同じ髪型にした人は日本に多いらしいデミー・ムーア(90年2位)、銀杏BOYSの歌詞にも出たウィノナ・ライダー(94年1位)。77年7位初登場から14年越しの初1位&連覇のジョディ・フォスターは近年「5時に夢中!」でAD役で登場。意外やお茶目なところを見せた。
そして95年に「レオン」で映画デビューのナタリー・ポートマン(99年1位)。スター・ウォーズに出てもオスカー女優になっても、心に残るマチルダの姿。オスカー受賞翌年の授賞式で主演男優賞のプレゼンターを務めた際、初ノミネートのゲイリー・オールドマンを紹介した時のエモさは当時作品を見た人こそ味わえるもの。一時、彼女主役の続編企画もあったそうだが、今の活躍を見ると実現しなくて良かったのではと思う。在りしレオンの思い出を胸に幸せな家庭を築いている事を願う。

総括-テレビゲームの台頭

95年はブラピとサンドラ・ブロックが共に初の1位。トップ10入りしたアクション映画は「ダイ・ハード3」のみ。「レッド・ブロンクス」でジャッキーがハリウッドに認知されたので決して低迷した訳ではないのだが、前述の世代交代に加えてテレビゲームの台頭も大きいと思う。映画とテレビ以外に出てきた新しい娯楽。しかも時は第1次格闘ゲーム全盛期。アクションスターの動きを自分で操作・再現できるところに興味が映っていったのではないかと。

そこでヴァン・ダムは格ゲーの始祖にして当時頂点を走っていた「ストリートファイター」の実写化に挑戦。リュウを差し置いてガイル役で主役になったのに髪型は一切寄せない程に我が道を貫いた。1年違いで公開された日本のアニメ(ケン役は羽賀研二)は篠原涼子×小室哲哉の主題歌が28年ぶりにセルフカバーされ話題になったのに対し、米実写版は「俺のタイ王国を見せてやったのさ」発言が残るのみなのが公式における扱いを示している。

当時のカプコンはメディアミックスに熱心で木梨憲武さんデザインの憲磨呂なるキャラクターが登場。当初の必殺技は「おかんちょうサービス」で女性キャラにもHITさせ、スパイダーマンにお見舞いした映像を見たマーベルを本気で怒らせ必殺技ボツ&海外版出禁になる狂乱エピソードを残したものの、世間にはリーチした。

実際、このキャラ目当てで筐体遊びました。

次回は90年代後半。生身のアクションに変わり小惑星接近始めSF映画が台頭していく。ブラピ&ディカプリオのツートップが台頭する。

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